064.仮初
たとえどこまで進もうとも、二人の進む道は平行線で、決して交わる事はない。
既に亡くなった白哉の前妻、緋真を、朽木家を知る人物は『仮初の妻』と評する事がある。
一言に朽木家を知る人物と言っても、その幅は広い。
ここでの人物は、朽木家を四大貴族として見ている人々の事だ。
「元より朽木家に見合う家柄は少ない。白哉様も、その事を思い出したようで…」
「まったくもってその通り。ここの本家のご息女となれば家柄も良く歴史も長い。これぞ、相応しい婚姻ですな」
「人生、一度くらいは道を踏み外してみたいと思うものです。此度の事で白哉様も落ち着かれた事でしょう」
嘲笑めいた声が囁く。
いっそ、聞こえている、と窘めようかと思ったが、実行に移す事無く瞼を伏せた。
聞こえるように囁く声を咎めたところで、口を開く機会を与えるだけだ。
貴族の恩恵に縋って生きる小さな小貴族程度の言葉、気にするまでもない。
「随分な事を仰いますわ、皆様」
凛とした声がその場に響く。
陰口の様に囁かれていた声が、ピタリと止んだ。
「こ、これは奥方様…お見えとは知らず…」
途端に腰を低くする男たち。
先ほどまでの勢いはどこにもなく、咎められる事を恐れているように見えた。
「私は良き妻でしょうか?」
「それはもちろん!容姿は然る事ながら、聡明でいらっしゃる。死神としての期待も大きいと聞き及びます。まさに朽木家に相応しいお方かと!流石は白哉様、お目が高い」
そう褒めちぎる男に、彼女はにこりと微笑んだ。
「では、緋真様は、とても素敵な方だったのですわ」
「そ、れは…」
「皆様が褒めてくださる私よりも相応しいと、白哉様自身がお選びになったのですから」
そう言う事ですよね?と笑顔で言ってのける彼女の言葉に、白哉を咎める色はない。
彼女は純粋に、緋真の存在を肯定した。
「ご病気がなければきっと、今も良き妻として白哉様を支えていらっしゃったでしょうね。後に入った私が仮初とならぬ事を祈ってくださいませ」
柔らかい物腰の中に、有無を言わさぬ強さを秘めた言葉の数々。
彼女は終始笑顔で、彼らの反論の機会を奪っていた。
さあ、と手を叩いて侍女を呼び、皆様はお帰りですよと告げる。
説明など要らず状況を理解した侍女が、小貴族達を部屋から連れ出した。
「…要らぬ気遣いをさせた」
連中が去った部屋で、白哉が彼女に向かってそう呟く。
「あれで暫くは大人しくなるでしょう。それにしても…黙っているとは、白哉様らしくありませんね」
「あの手の輩は口を開けば更に喧しい」
「…仰ることはよくわかりますが…沈黙は肯定です。白哉様だけは…否定すべきだと…そう、思います」
賢い選択ではないのかもしれない。
けれど、彼だけは…緋真を想うのならば、彼だけは否定しなければならないと思う。
「…申し訳ありません。出すぎた事を…」
ハッと我に返った彼女は、そう頭を下げて足早に部屋を出て行く。
引き止められる事を拒むように襖を閉ざした。
選ばれた彼女と、彼女がいなくなって初めて選ばれた自分。
どちらが仮初かなど…考えるまでもない。
苦い感情を飲み込み、代わりに小さく息を吐き出した。
【 064.仮初 】 朽木 白哉 / 睡蓮