004.歌姫
「――――――」
声が聞こえた。
道行く人の声ではなく、ツナにとって大切な意味を持つ声。
リボーンから山ほど課題を用意されていて、声に現を抜かしている余裕などない。
昔のツナならば、そうだっただろう。
しかし、今の彼はリボーンの無理難題にもそれなりに応えられるようになってきている。
もう1時間も頑張れば課題が終わる量だと確認してから、彼は部屋を見回した。
テラスのほうから声が聞こえる。
ツナは静かに窓を開き、テラスから身を乗り出した。
綺麗に整えられた広い庭の中に、声の主がいる。
朝の柔らかい日差しを受け、彼女の黒髪が赤く輝く。
庭の薔薇の道をゆったりとした足取りで進みながら、彼女は静かに歌っていた。
洋楽なのか、ツナには所々しかその意味を理解する事はできない。
彼女が口ずさむそれはとても穏やかで、それでいて優しい歌だった。
声をかけようと口を開いてみるものの、彼女の作り出す世界を壊す事が躊躇われる。
やがて無言で口を閉ざし、テラスの柵に身体を預けた。
彼女の声は大きくはなく、部屋の中のツナが気付いた事が奇跡のようなものだ。
「…綺麗な声…」
小さく小さく、そう呟く。
ツナだからと言うわけではなく、人を魅了する声だ。
音楽を極めたわけではない彼にはよくわからない事だが、音程も決して悪くはない。
「―――…綱吉?」
ふと、音が途切れて自分を呼ぶ声が聞こえた。
うっとりと閉じていた目を開いて彼女を探せば、庭からテラスを見上げる目と視線が絡む。
どうやら、気付かれてしまったらしい。
「ご、ごめん!邪魔するつもりはなかったんだ!」
「別に構わないけれど…課題は終わった?」
「え?あ…あと少し」
何か言われると思っていたのに、彼女はそれとは関係ない課題について問う。
戸惑いつつも残りの量を伝えると、彼女はそう、と頷いた。
「良かったら、休憩しない?紅茶を入れようと思っていたの」
「…うん。そうするよ」
「じゃあ、準備を頼んでおくから、おりてきて」
そう言うと、彼女は庭のテーブルへと歩いていく。
彼女を待たせてはいけないと、ツナは慌てて部屋の中に戻った。
「イタリア修行は順調?」
「うーん…まぁ、そこそこかな」
「高校生のあなたが全てを覚えるのは難しいわ。焦らずに、ね?」
「そうだね。でも、面白いとは思うよ。色々と考えるべき事もあるけど」
「ふふ。綱吉なら、そうだと思ったわ」
「………ねぇ、さっき歌ってたけど…よく歌うの?」
「そうね…日本ではあまり歌わないわ。昔からこの庭が好きで…ここにいる間は、全てを忘れられるような気がしていたの。一種の現実逃避ね」
「え…何か忘れたいの?」
「今は違うわよ?今は…ただ、ここで歌うのが好きって言うだけ。ごめんね、邪魔をしようと思ったわけじゃないんだけど」
「邪魔じゃないよ!凄く綺麗で、俺の方が時間を忘れて聞き惚れちゃって…って、何言ってんだろ、俺…。とにかく、凄く優しくて…あたたかかった」
「…あの曲はね、地方の子守唄なの。いつか、子供が出来たら歌ってあげたいと思っている曲のひとつ」
「子供…」
「あら、綱吉。顔が真っ赤よ。風邪を引いちゃった?」
「!もう、そんな楽しそうな顔で言わないでくれよ!」
「ごめんなさいね。…その時を楽しみにしてるわね?」
「…熱っ!!」
「クスクス…ほら、気をつけないと。火傷していない?」
【 004.歌姫 】 沢田 綱吉 / 空色トパーズ