071.好きだって言うのは癪だから
「ほら、どうした?」
ゆったりとソファーに腰掛け、ニヤリと口角を持ち上げているのは蔵馬。
今日は何の関係なのかわからないけれど妖力が高まっているようで、南野秀一ではなく妖狐の蔵馬として彼はそこにいる。
やや気紛れな彼の性格を現すように、銀色の尾がゆらりと揺れた。
「…まさか、チェスで負けるとは思わなかったわ」
自信があったのに、と呟いてみる。
すると、彼は心外だと言いたげな表情を浮かべ…やはり、笑った。
「いつまでも勝ちを譲る男ではない事は、お前が一番よく知っているだろう?」
「そうね。あなたは…そう言う人だったわね」
はぁ、と溜め息を吐き出した。
こんな事ならば、賭けなんてしなければ良かった。
暇潰しに彼の提案に乗ってしまったのが運のつき。
盤上で逃げ場をなくした白のキングを見下ろし、再び溜め息。
賭けの内容は、気にするほどの事ではない。
そう言う空気になれば自然と口に出来るものではあるし、口に出す事に抵抗があるかと言えば別にそうでもなく。
要するに、言葉自体には羞恥心のようなものはないのだ。
しかし…賭けに負けてそれを紡ぐと言うのは、やはり何か違う。
そんな微妙な心中を理解した上で、困らせるようにとそれを賭けとしたのだろう。
「ほら、早く済ませてしまえばいい」
「…ええ、そうね」
得意げに笑う彼が憎らしい。
けれど愛しいとも思う。
病的だな、と心中で自嘲の笑みを零してから、無駄な足掻きはやめる事にした。
ソファーの彼に近付き、するりと彼に身を寄せて。
そして、その耳元へと唇を近づけた。
求められているのは『好きだ』と言う一言。
けれど、それをそのまま言うのは癪だから、ほんの少しだけ抵抗してみようと思う。
「愛しているわ」
小さくてささやか過ぎる抵抗に、彼は笑った。
【 好きだって言うのは癪だから 】 妖狐蔵馬 / 悠久に馳せる想い