065.髪を梳る指先
風呂から上がり、まだ少し湿り気を帯びる髪をそっと解いて、鏡台の前の櫛を手に取る。
この櫛は何年か前に政宗に贈られたものだ。
現代にいた頃の櫛とは形状が大きく異なるものだが、既に使い慣れている。
迷いなく毛先から髪を梳かして行く。
梳かしながら濡れた髪を布で拭えば、手入れは終わり。
いつもよりはひんやりとした髪が、風呂の後だと教えているようだ。
「終わったか?」
「はい」
障子の向こうから聞こえた声に答えれば、名を呼ばれた。
櫛をいつもの場所に戻して、彼の元へと向かう。
縁側で月見酒を楽しんでいる彼の背中が見えた。
いつもの引き締まった着物とは違い、浴衣を緩く纏う彼の元へと近付く。
当然のように隣に腰を下ろし、傍に置いてあった徳利から酒を注いだ。
「月が綺麗だな」
「ええ、本当に」
結っていなかった髪が肩からするりと胸の方へと流れてくる。
邪魔になる、と思った彼女がその髪を耳にかけようと手を伸ばした。
しかし、それよりも先に政宗の手が彼女の髪に触れる。
「冷たいな。風邪を引くなよ?」
「大丈夫ですよ、いつもの事ですから」
「女は髪が長い分面倒そうだな」
「あら、女に限った事ではありませんよ。幸村殿も長かったかと」
思い出すようにそう答えると、彼の手が優しすぎるほどに弱く、彼女の頬を抓む。
「この雰囲気で他の男の名前を出すとは…いい度胸だな」
「そ、そんなつもりはなかったんですが…」
「ほぅ…意識せずに、ってか?もっと悪いぜ?」
にこりと微笑む彼の笑顔に違和感を覚え、早々に白旗を揚げる。
ごめんなさいと言う謝罪を述べれば、彼の手が頬を離れた。
代わりに、彼女の髪を梳るように指先が何度も黒の流れを掠めていく。
何が楽しいのかわからないけれど、彼はよくよく自分の髪に触れる。
優しくされていると実感できるから決して嫌いではないけれど、飽きないのだろうかと不思議だった。
ふと、彼女は徳利を置く。
そして、手を伸ばして政宗の髪に触れた。
「どうした?」
問いかけられる声に答えず、二・三度髪を梳いてみる。
―――なるほど。
無防備に髪を預けられるというのは、その態度から信頼や親愛を感じるものらしい。
「…わかりました」
「何のことだよ?」
一人、納得した様子の彼女に、笑って問いかける政宗。
無理に聞こうとしていないのはその態度から十分わかっている。
何でもありません、と誤魔化して、髪を撫でる手にそっと瞼を伏せた。
【 髪を梳る指先 】 伊達 政宗 / 廻れ、