062.名前を呼んで、いつもみたいに
「おい」
「はい、師匠。何ですか?」
にこりと笑顔で振り向いた弟子に、クロスは唇を結ぶ。
何が不満なのかを悟りながらもあえてその不満を解消しようとしない彼女。
まったく、イイ性格だと心中で毒づく。
「そう呼ぶなと何度言えばわかるんだ、お前は。いつものように呼べ」
「“いつも”?おかしな事を仰いますね。いつもこのように呼んでいると思いますが、師匠?」
やたらと『師匠』の部分を強調する彼女に、その笑顔の向こうの感情が垣間見えた。
どうやら、彼女はまだ機嫌を損ねているようだ。
「…理解したんじゃなかったのか」
「理解と納得は別物ですよ」
「まったく…面倒な弟子だな」
「師匠がアレンを放り出すと言わなければいいんですよ。あの子にはまだ教えなければならない事は山ほどあると言うのに」
「いつまでも居座られて堪るか。必要な事は教えてある」
「殴って気絶させたところで消えるなんて、師匠のすることじゃありません。アレンが師匠のように馬鹿になったらどうするんですか?」
クロスに向かって迷いも躊躇いもなくこんな事を言えるのは、世界広しと言えど彼女くらいだろう。
アレンも言う時は言うだろうけれど、一種のトラウマのようなものが彼の言動に歯止めをかける。
止められなかった自分が言うのもなんだが、アレンは中々に酷い扱いを受けてきていたから。
「で、お前のその荷物の少なさは何だ?」
指を指された彼女は、自身の姿を省みて―――にこり、と笑う。
わかっているでしょう、と言いたげな表情に、溜め息を吐き出した。
「なら、あれを連れて行くついでにこれも持っていけ」
そう言うと、どこから取り出したのかという量の紙束を彼女に手渡す。
しっかりした重量を腕に感じた彼女は、一気に表情を歪めた。
「嫌ですよ。何で仕事の報告書を私が任されなければならないんですか。元帥の仕事です」
「お前は元帥になれるだろうが」
「可能と言うだけでなった覚えはありません」
「いいからやっとけ。終わる頃に連絡する」
「終わる頃って…どれだけ掛かると思ってるんですか」
ペラペラと確認しただけでも、二日やそこらで終わる量ではない頃は明らかだ。
溜め息を吐き出した彼女を見ながら、クロスがそっと手を伸ばす。
ぽん、と彼女の頭に手を載せた。
そして、手袋越しに彼女の髪を撫でる。
「…じゃあな。アレンの事、任せた」
「………天邪鬼ですね、本当に」
返事の代わりにそっぽを向いて、フン、と鼻を鳴らす。
歩き出す彼の背中を見つめながら、彼女が口を開いた。
「無理をしないでくださいね―――クロス」
彼は応えるように、手を上げた。
【 名前を呼んで、いつもみたいに 】 クロス・マリアン / 羅針盤