054.静けさの中を駆け抜けて
「ねー、ローさん。どこまで行けば抜けるんだろうね、この霧」
額に庇を作るように手を添えてみるも、見える風景は一面の霧と、その合間にかすかに見える木々。
ハートの海賊団一行は、海軍の追手を逃れるために散り散りになって―――霧に迷い込んでしまった。
独特の湿気が、人間よりは優れた嗅覚を翻弄する。
「さぁな。一年の9割が霧だってんだから…相当深いんじゃないか?」
「ローさん、他人事みたい」
森の中で霧。
遭難の状況としては最悪のシチュエーションにもかかわらず、ローはいつもと同じく冷静に歩いている。
彼よりも少し先を歩いている彼女は、軽く肩を竦めてから傍の木にガリッと爪跡を残した。
こうしておけば、万が一同じ場所を歩いてしまっても気付く事ができる。
「皆は無事かなぁ…」
枝の合間から見上げても、深い霧に覆われていて青い空は見えない。
無駄な行動だったとばかりに溜め息を吐き出しながら、仲間の安否を気にする彼女。
「そんなに柔な連中じゃないだろ」
「…うん。そうだよね」
少し力のない笑顔を貼り付けた彼女が動くと、チリン、と鈴が鳴る。
海軍に追いかけられる事は、まぁそれなりの頻度だ。
全員がバラバラに逃げる必要がある場合も多い。
と言うより、その方が手っ取り早いので、自然とそうなっていると言うべきか。
強行突破の時以外は、四方に散って船で合流と言う事にしてある。
当然、独断行動を取らせるべきではない者もいて、予めある程度はメンバーを分けてあった。
それを決めたのは彼女が船に乗る前で、彼女が仲間になってからも改めてメンバーに割り振ったりはしていない。
彼女は自然とローについてくる事が多く、気がつけばそれが当然になっていたからだ。
「!」
ピクンと彼女の耳が反応した。
猫のように反応したわけではなく、実際に彼女の頭に猫の耳が生えたのだ。
それが何かを探るように前、後ろと動く。
「誰か来た」
「どっちだ?」
「待って」
集中するように目を伏せる。
ローの質問は、方向ではなく海軍か仲間かを問うものだ。
それを正しく理解している彼女は、5秒ほどで目を開く。
「海軍。6時の方向。距離は―――霧の所為で分かりにくいけど、100メートルくらい」
「そうか。行くぞ」
そう言って手ではなく腕を差し出された。
それを見た彼女は、即座に猫の姿になりながら地面を蹴る。
軽やかに彼の肩を借り、落ちないようにと服だけに爪を立てた。
手を差し出された時は人間のまま、腕を差し出された時は猫に。
僅かな違いだが、彼の求める行動を理解する為にとても重要なサインだ。
「船までどれくらいだ?」
「…たぶん、200…300くらいかな。潮の香がする」
「その距離なら撒けるか」
走るぞ、と宣言してから走り出す彼。
その肩に乗って、彼女は後ろを振り向いた。
音はまだ遠い。
「しかし…便利な耳だな。俺には何も聞こえない」
ローからすると、本当に追手が来ているのか?と思うような静けさだ。
そう言ったのが彼女でなければ、信じなかった。
「嘘だったらどうするの?」
「そう言うくだらない事をする人間じゃない事はわかってるからな」
迷いなく返ってきた言葉に、彼女は嬉しそうに尾を立てた。
当然ながら、猫の表情が大きく変化することはない。
だが、ぐるぐると控えめに喉を鳴らす音が聞こえ、ローは口元に笑みを浮かべた。
「…正直だな」
「…条件反射!」
【 静けさの中を駆け抜けて 】 トラファルガー・ロー / Black Cat