037.ささやかな嘘
「北の山の主を落とすとは…予想以上だな」
桜の木に凭れかかる次期総大将候補である彼は、クッと口角を持ち上げた。
彼が腰掛ける枝を見上げ、丁度90度ずれるようにして一つ下の枝に座る彼女は、ゆらりと揺れた自身の尾を抱く。
母譲りの金色の毛並みは、手に触れるとひんやりとしている。
けれど、その奥に僅かなぬくもりが隠れていて、それを抱きしめれば夜着一枚であると言うのに寒さを感じない。
「落としたとは失礼ね。力で解決したわけじゃない」
「あぁ、そうだったな。十二を過ぎた程度の小娘に従う理由が見えてこねぇが…まぁ、いい。
で、気分はどうだ?」
薄っすらと微笑むリクオは、桜を背に彼女を見下ろす。
その低い声に反応するように、彼女の耳がピクリと揺れ動いた。
「…そうね。悪くはない」
いつ帰ることができるともわからないこの場所で、自分の存在理由を見つけた気がした。
腰を落ち着けるにはいくらか軽すぎる理由かもしれないけれど、それでも、ここに居てもいいのだと…誰ともなく、そう認められたように思えるのだ。
地に足が着いていないような感覚に陥っていた事に、彼は気付いていたのだろう。
「意外とよく見えているね」
「妖怪の事はな」
「そう。でも、見えないものもあるみたいだけど」
含みを持たせた微笑みに、リクオが怪訝そうな表情を見せた。
そんな彼にクスリと笑って見せると、彼女は自身の人差し指を唇に乗せる。
「私は、“十二を過ぎた程度”の小娘じゃないわよ?」
妖怪の中では若輩である事は否めない事実だから、小娘と言うところは否定しない。
けれど、前の部分は現実とは違っている。
「…嘘か」
「あら、心外。妖怪としての年齢まであなたと同じだって言った覚えはないけど…誤解させたならごめんなさい?」
誤解しているとわかっていてそう言うのだから、性質が悪い。
誰に迷惑をかけたわけでもないささやかな嘘だが、リクオにとっては由々しき事態だ。
不機嫌に口を噤む彼に、彼女はクスクスと笑った。
「妖狐の幼少期は長いからね、誤解も無理はないと思うよ」
「…と言う事は、この先も数十年そのままか」
「残念。50を過ぎればあなた達とそう変わらない速度で成長する」
遅いのは今だけ、と彼女は笑う。
彼が、そうか、とどこか安心したように頷いた理由はわからない。
いつか知る事ができるのだろうかと、他人事のように考えた。
「他にもあるのか?」
「何が?」
「嘘、もしくは隠し事」
「…さぁ、どうだろう。言ってない事は沢山あると思うよ。だって、あなたと私は別々の妖怪なんだから」
全てを伝えろというのは不可能なのだと告げれば、正論だな、と答えが返ってくる。
「いつか…」
「ん?」
「お前の世界の話が聞きたい。面白そうだ」
「うん。そうだね、もうすぐ夜が明けるから…次の逢瀬の時にでも」
あっという間に夜明け前の空が見えて、彼との会話は存外に楽しいものなのだと悟る。
次の逢瀬がいつになるのかはわからないけれど…きっと、そう遠くはないのだろう。
【 ささやかな嘘 】 奴良 リクオ / 桜花爛漫