002.指先の言葉
ふと、ベッドに凭れるようにしてカーペットに座り、雑誌を読んでいる翼の背中が目に入る。
振り向いてほしいだとか、声をかけてほしいだとか。
そんな事を思うよりも先に、まず思い浮かんだのは、触れたいと言う思い。
何を目的とするでもなく、伸ばした指先が彼の背中へと進む。
いや、ある意味では彼に触れる、と言う目的を持っていたのかもしれない。
ほんの少しの悪戯心が『彼の首筋に触れてみたら』と囁いたけれど、きっと怒らせてしまうだろうから、耐える。
「!」
服越しに触れた何かに気付いたのか、翼の肩が僅かに揺れた。
「…どうしたの?」
「気にしないで」
始めは、上へ下へと指を動かしているだけだった。
けれど、いつしかその指先は何かを辿るように動き出す。
彼女が翼にとってわけがわからない行動を取る事は、頻繁ではなくとも偶にある。
いつもの事だと好きにさせていた翼だが、当然のことながら雑誌に集中できるはずもない。
意識は既に8割以上が背中に注がれていて、これ以上は無意味だな、と判断するまでに時間はかからなかった。
ぱたり、と雑誌を横に置いたことに気付くと、彼女の指先はますます大きく動き出す。
気付いて、と訴えるその動きに、翼は前を向いたまま苦笑した。
指先が辿っていた何かは、Tシャツの柄でもなんでもない。
彼女からの、音にならない言葉だ。
それが何を示すのかはまだわからないけれど。
翼がそれを読み取ろうとしていることに気付き、少しだけ速度を落としてその『言葉』を背中に書く。
「…わかる?」
「もう一回」
感覚が鈍いわけではないけれど、一度でわかるほど敏感でもない。
ましてや服越しのそれは、手の平に書いてもらうよりも遥かに難易度が高かった。
クスリと笑ってから、もう一度同じ文字を書く彼女。
その指先に集中しながら、言葉ならぬ文字を拾い上げていく。
「………“つばさ”?」
「当たり~。じゃあ、次ね」
おめでとー、と笑った彼女は、すぐに次の文字を書き出す。
まるで子供の遊びだなと思いながらも、不思議と乗り気な自分が面白い。
偶には童心に返ってみるのもいいのかもしれない。
「ね、わかった?」
「あぁ、ごめん。ちょっと別のこと考えてた。もう一回」
「もう。これでラストね」
彼女の指先が動く。
あ、し、た―――
「“明日、部活休み”?何か急に長くなってない?」
「気にしない気にしない」
「で、本当なの、それ?」
「うん。さっき翼が飲み物取りに行ってた時に電話がかかってきたから」
「そっか」
「そうなの。そこでね?」
そう言った彼女が続きを声に出さず、また翼の背中に指先を動かす。
「……………うん、いいよ」
「ちゃんとわかってる?」
「“デートしよ”だろ。いいよ、最近部活ばっかりだったし」
「何か、もう慣れてきちゃってるね。じゃあ、これは?これが最後だから…書くのは一回だけね」
彼女の指先が、殊更ゆっくりと動いた。
一文字ずつに思いをこめるような動き。
最後に彼女の指先が離れると、翼はふっと口元に笑みを浮かべた。
「ね、答えは?」
後ろから覗き込むように動こうとした彼女の腕を、自分の腕とわき腹の間に通すようにして引っ張った。
背中から抱きつかれるような姿勢だ。
そして、彼女が抗議の声を上げる前にその手首を掴んで、もう片方の指先をその手の平に滑らせた。
「くすぐったいよ…っ」
「集中しなよ」
「無茶言うし…」
何とかくすぐったさに耐えて文字を読み取ろうとするのだけれど、やはり指先の感触の方が気になってしまう。
すぐに逃げ出す手の平に書いた答えが彼女に伝わるのは、それから暫くしての事だった。
【 指先の言葉 】 椎名 翼 / 夢追いのガーネット