098.薄れてゆく
「あら…」
何かしら、と首を傾げる。
今の光景と言うか、言葉と言うか…昔、同じようなことを言った気がする。
口を噤んで悩んでいる様子の彼女に、雑誌を読んでいた蔵馬が顔を上げずに口を開いた。
「昔、同じ事を言ってたよ」
「あぁ、やっぱり?と言っても、思い出せないんだけど…」
「…もう、200年くらい前かな。思い出せなくても無理はないと思うよ」
そこで漸く雑誌を置いた彼は、楽しげに微笑んでいる。
「流石に、何百年も生きていれば、思いでも消えていくよ」
「…そうね。日々新しい情報が入ってくるわけだし。…勿体無いとは思うけれど」
「そう言う事。毎日毎日、新しい思い出が刻まれているからね。この一瞬の記憶も、いつまで覚えていられるかな」
話している内容は、聞き方によっては寂しさを感じさせるものだ。
しかし、彼はそんな表情ではなく、寧ろ爽やかさすら感じさせる。
「忘れていくことが楽しいの?変わってるわね」
「残念、はずれだよ」
クスリと笑った彼が、手招きをして彼女を呼ぶ。
一人分の距離はあっさりとなくなり、柔らかく腕の中に閉じ込められた。
「忘れるのが寂しくないとは言わないよ。でも、その代わりに新しい記憶がある」
「私は、昔の事も大切にしたいと思うけれど…」
「まぁ、大切だけどね。どうしても忘れてしまうなら、新しく生まれる思い出を大切にしたいじゃないか」
過去をないがしろにするのではなく、忘れてしまう事は仕方がないのだと理解して、新たな今を大切にしたい。
蔵馬の気持ちは、よくわかる。
「…そうね。全てを覚えておくのは、不可能だから…あなたの言っている事は、間違っていないと思うわ」
「でも、やっぱり忘れるのは不服?」
顔に書いてあるよ、と苦笑を浮かべた彼の指が、彼女の頬をツ、と撫でる。
まったく、彼には隠し事が出来ないから、困ったものだ。
「それなら、どうしようか?忘れなくてすむように、日記にでも書いておく?」
「何十年分を?」
「後から読み返すのも楽しいかもしれないな」
それを思い浮かべた蔵馬がクスクスと笑う。
つられるようにその様子を思い浮かべ、彼女は首を振った。
「どうして?」
「…どうせ、あなたのことばかりになるに決まってるのも」
「なるほど。じゃあ、君の行動は俺が日記に書いておこうか」
「止めて。小恥ずかしくて読み返せたものじゃないわ、きっと」
僅かに頬を染めた彼女に、確かに、と笑う蔵馬。
結局のところ、惚気ばかりの内容になるのならば、わざわざ書きとめておく必要もないだろう。
「思い出は上書きされてこそ、楽しいのかもしれないわね」
「…うん、そうだね」
「きっと、今日のことを振り返る日が来るのよね…何年後か、何十年後か…わからないけれど」
楽しみね、と呟き、蔵馬の胸に背中を預ける。
思い出が薄れてしまう事は寂しい。
けれど、それすら感じさせないほどに幸せな今がある。
明日も彼が隣にいてくれるとわかっているから―――そっと、新しい思い出に胸を躍らせた。
【 薄れてゆく 思い出 】 南野 秀一 / 悠久に馳せる想い