086.初めての

世界を渡ったのだと理解して、一番に安心したのは、言葉が通じると言うこと。
どう言う原理なのかはわからないけれど、普通に会話が成り立つ事はとてもありがたいことだった。
その次は、食生活。
見た目にもさほど差はなく、少し味付けが違う程度だった。
食事を取らずに生きていくことが出来ない人間として、これはとても喜ばしいことだったのだろう。
そうして、この世界に溶け込むようになり、一年近く。
世界にも慣れ始め、油断していたのかもしれない。





目の前にドンと置かれたそれに、彼女は言葉を失った。
祝いの席で用意される定番料理だと、誇るように説明してくれる料理人は、それに気付いていない。
しかし、彼女の隣に座っていた彼は、それに気付いたようだ。

「もしかして、初めて?」

その問いかけに、油の切れた機械のような動きで頷く。
漸く一度だけ頷くことができた彼女に、彼はやっぱり、と呟いた。
この表情を見ていれば、事情を知るものならばその心中が悟れるというものだ。

「これ、ここでは普通なの…?」
「…そうだね。まぁ、定番の祝い料理だと思うよ。僕も小さい時から食べてきてるし」
「へ、へぇ…」

珍しく声が上擦っている。
衝撃が大きすぎるんだな、と苦笑する彼。
食文化の違いに戸惑う姿は初めてだ。
この様子から察するに、苦手というよりは、それを食べるということ自体が考えられないのだろう。

「無理しなくてもいいよ。料理は他にもあるし」
「え、えぇ…でも、こっちでは普通…なのよね?」
「…まぁ、そうだね。山奥の民族料理ってわけでもないし」
「じゃあ、これから食べる機会は…」
「…祝いの席では定番だから、可能性は高いね」
「………」
「………」
「………頑張ってみるわ」
「…いや、本当に、無理しなくていいんだよ。嗜好の問題として考えれば、苦手な人はいるし」

泣きそうな表情を浮かべている彼女に、どうして食べろと強要することが出来ようか。
心なしか声も震えている気がする。
努力しようと思っているだけ、十分だと思った。

「ちょっとごめん」

彼は後ろを歩いていた料理人の一人を呼び止めた。

「これを向こうのテーブルに運んであげてくれる?もうなくなりそうだから」
「え?あ、大丈夫です。今から追加を作って―――」
「いや、これを運んでくれていいよ。彼女はそっちの料理が好きなんだ。追加してくれるなら、それを頼むよ」
「そうでしたか。では、すぐに」

あっさりと別の料理を運ばせるところまで話を進めた彼は、よろしくね、と料理人を見送った。
相手に不満を感じさせることなく、寧ろ好印象すら与えて事を終えてしまった彼に、感嘆の吐息がこぼれる。

「あ、ありがとう…」
「食事の席で泣かれるのは困るからね。努力も程々に」
「…そうね。でも、あなたは好きなんじゃないの?」
「僕?別に可もなく不可もなく、かな。食べ慣れているから平気だけど。こっちの方が好きだよ」

以前彼女が美味しいと言っていた料理を口に運びながら、にこりと笑う。
例の料理が視界から消えたおかげなのか、彼女の表情にも漸く笑顔が帰ってきた。
ありがとう、と再度礼を述べる彼女に、どういたしまして、と答える。

例の料理の材料に使われた物は、彼女の世界では神聖な物とされていたらしい。
食べるなど考えられず、目の前が真っ白になった―――後に、彼女はそう語った。

【 初めての 料理 】  1主 / 水面にたゆたう波紋

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09.06.11