079.零れ落ちる

草木も眠る丑三つ時。
まどろみから急速な覚醒を余儀なくされた彼女は、バッと勢いよく身体を起こした。
全力疾走の後のような呼吸と倦怠感。
すべては、先程までの夢に原因がある。

「ゆ、め…」

それが夢だということを理解しながら、見ていたという記憶はある。
しかし、夢だと思っていても…やはり、見たくないもの、聞きたくないことはある。
ドクドクと煩く鳴り響く心臓の辺りの着物を掴み、浅い呼吸を繰り返した。

―――硝煙の臭いの立ち込める戦場。
―――耳に残る、争いの音。
―――そして、血溜まりに伏した―――

自身の脳裏に再度繰り返された映像に気付き、慌てて首を振ってそれを消し去ろうとする。
しかし、身体は脳の動きに正直だ。
夢だと理解しながらも、現実と切り離せない。
自分の手が震えていることに気付き、ギュッと両手を握り締めた。

生きていく上では仕方がないとは言え、彼女の持つ刀が奪うのは、人の命。
その重さは、一度や二度の出兵で理解、消化できるようなものではなかった。
時折、忘れることなど許さないとばかりに夢に現れる光景は、彼女をじわりじわりと追い詰める。
目の辺りがほんのりと熱くなった事に気付くと、そっと膝を抱えてそこに額を埋めた。

泣いてはいけない。
これは、自らが選び、望んだ道なのだから。
口先だけだとしても人を殺すことの重みを理解して、戦に臨んだのだから。
奪った自分には、その為に涙を流す権利などありはしないのだ。

「――、―…」

か細い声が、途切れ途切れに何かを紡ぐ。
とても聞き取れるようなものではなかったけれど、彼女の唇は確かにこう動いた。

―――政宗様、と。

助けを求めることも、弱音を吐くことも間違っていると思う。
けれど、どうしようもなく…本能という、身体で一番正直な部分が、彼を欲していた。

随分と悩んだ末、彼女は夜着の上に上着を羽織り、足音を立てないようにと部屋を後にする。
向かう先は、三つ隣―――夜の間だけ、政宗が執務を行うために設けている部屋。
片付けたい仕事があると言って、彼は彼女に先に休むように告げた。
布団には自分以外の体温がなかったことから、彼はまだ仕事をしているのだろうと思う。
暗い廊下を進めば、案の定その部屋に明かりが見えた。
彼は自分の存在に気付いている。
だからこそ、無意味に気配を消したりはせず、足音だけは気をつけながら、部屋に近付く。
ゆっくりと障子を開くと、文机に向かう背中が見えた。

「…どうした?」

彼は振り向かずにそう問いかけてくれた。
彼女はその言葉に何も答えず、部屋の中に入る。
そして、その背中に自身の背中を合わせるようにして、ちょこんと畳みの上に座り込み、膝を抱えた。
ふと、筆の音が止まる。
しかし、その静かな音はすぐに再開され、無音ではない時間が流れた。

「…守りたいと思うのに…」

ぽつりと、そう言葉を始める。

「…守りたいと思うからこそ、刀を取ったと言うのに………私は、その守りたいものと同じ“人”を…」

なんて矛盾した行動なのだろうか。
背中を合わせている彼には、彼女の表情は見えない。
けれど、その空気が涙を零しそうなほどに落ち込んでいる事はわかった。

「…夢だ」

この時間に、こうして弱気な姿を見る原因は限られている。
政宗はあえて手を止めることなく、そう言った。

「夢に押し潰されるな。現実は、もっと重い」
「…そう、ですね」
「夢の中では零れ落ちたものも、現実では手が届くかも知れねぇ。だからこそ、人は足掻くんだ」

足掻いて、抗って。
臨んでいる未来があるからこそ、必死になる。

「悪夢だったなら、現実にしねぇ。そう言う気持ちで、臨めばいい」

どうしろと具体的な助言をするわけではない。
けれど、彼の言葉は確かに彼女の心をすくい上げていた。
暗くて寂しい場所から、優しい陽だまりへと運んでくれた。

「…あなたは…」
「ん?」
「政宗様は………負けません、よね?」

その声は震えていたかもしれない。
切ない問いかけに、彼は何となく悪夢の内容を理解した。

「まぁ、負けるつもりはないが…可能性はある」
「…」
「だが、死なねぇよ」

安心しろ、と背中の体温がそう語ってくれた。
彼女は、漸く全身の強張りがほぐれていくのを感じる。
それと同時に、強烈な眠気が瞼を重くした。

「ありがとう…ございます…」

ぎりぎりの所で告げたお礼は、彼の耳に届いただろうか。



「…こんな所で寝たら風邪引くだろうが…」

まったく、と苦笑いをする。
仕事はある程度片付いた。
この続きは、起きてからでも問題はないだろう。
カチャ、と筆を置いた彼は、道具をそのままにして軽く腕を回す。
そして、自分の背中にもたれる彼女を落とさないように振り向き、その膝の上に抱え上げた。
気を失うように眠った彼女の頬が少しだけ濡れている。
一筋分のそれは、彼女が涙を流すことを拒んでいた証に見えた。

「…無理せずに泣けばいいものを…。不器用な奴だな」

いっそ、泣き叫べば少しは気分が晴れるかもしれない。
前を向き、正面から立ち向かうその心意気は評価できる。
しかし…涙を堪える背中は、時としてひどく痛々しいのだ。

「安心しろ。夢は現実にはならねぇよ」

さら、と彼女の額の髪を掻き分け、そこにそっと口付ける。
暫くそうしていた彼は、やがて無言で彼女を抱き上げ、寝所へと去っていった。

【 零れ落ちる 願い 】  伊達 政宗 / 廻れ、

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09.05.28