072.抱き込んだ
弱点などないに越したことはない。
特に、魔界のように他人を排除して生きていかなければならない場所では。
それなのに、弱点を得てしまった自分。
不安が常に隣にあった。
まるで、死神の鎌がそっと首に添えられているように。
親に捨てられ、血の定めだと命を狙われ。
数百年、たった一人で生きてきた。
そんな彼女にとって、蔵馬から与えられる愛情は心地良くもあり、また不安でもあった。
彼女は、他人を頼る事を知らなかったのだ。
その愛情にもたれかかることも、同じように愛情を返すことも知らない。
大切なものを得た幸せよりも、それを失った時の方が恐ろしかった。
名を呼べば返事をして、問いかければ答えが返ってくる。
当たり前のことであろうと、無反応で冷たい視線だけが返って来た昔よりは随分と進歩している。
しかし、まだ足りないと思った。
半ば強引にアジトから連れ出してからは、前よりはいくらか打ち解けてきている。
それなのに、彼女はいつまで経っても自分のことを『頭』としか見ていない。
数多くの種の妖怪が集う盗賊団の中、唯一同じ妖狐である彼女。
彼女を助けたかったのは、同じ妖狐と言う種だったからではない。
もっと重くて、本能的な理由だ。
過ぎるほどの美しさを持つ彼女は氷のように冷たい眼差しをしていた。
安易な欲望で手を伸ばせば、一瞬で凍り付いてしまいそうな、そんな空気すら感じさせる。
しかし、蔵馬は知っていた。
その鋭い眼差しが優しく、時に哀しく揺らぐ瞬間があるということを。
「―――何をしている?」
真夜中に動く気配を感じた。
隣の部屋から出たそれが、屋根の上に移動する。
少し悩んだ末、蔵馬は寝台から身体を起こし、窓からするりとその身を滑らせた。
そして、月の下で佇む背中に向けて声をかけたのだ。
「…起こしてしまった?」
「いや…」
「そうか」
振り向いた彼女は静かに頷いた。
二人の間に沈黙が下りる。
「蔵馬は…月がよく似合う。いや、月のようだと言うべきか…」
空を仰いだ彼女がそう呟いた。
雲一つない空から降り注ぐ月明かりに、その金色の髪が美しく輝く。
「…お前の髪は日の光を思わせるが…似合うのは月だな」
いつの間に傍に来ていたのか、蔵馬が彼女の髪を掴み口付ける。
その行動に言葉はなかったけれど、その髪を美しいと褒められている気がした。
「…月のようなお前に似合う、か?」
蔵馬の言葉を正しく深読みした彼女が、クッと口角を持ち上げる。
苦笑めいたそれは、彼の言葉を否定しているように見えた。
「いい加減、諦めたらどうだ?」
「…私は、誰のものにならない。誰も要らない」
「頑固だな」
難攻不落な心を落とすのも悪くはない、と思ってしまうのは、盗賊の性だろうか。
そんな彼の手を逃れるように、彼女はスッと身を引いた。
水が零れ落ちるように手の平をすり抜けていく金の髪。
蔵馬はそれを傷つけることを恐れ、引き止めようとした手をピタリと止めた。
そんなさり気ない優しさに気付きながらも、直視できないで居る彼女。
「おやすみ、蔵馬」
後ろ髪を引かれる何かを感じつつも、無理やりに背を向けて歩き出す。
それを見送り、蔵馬は溜め息を吐き出した。
「まったく…思い通りに行かない女だ」
それでも、諦めるという選択肢などない。
本能が欲する片割れを見つけたのだ、どうして諦めることが出来ようか。
一方通行ではないと確信しているからこそ、例え壁があろうと歩み寄ることをやめない。
その壁をぶち破る日は、そう遠くはないと…他でもない己自身をそう信じていた。
「信じれば裏切られる。愛せば…失ってしまう」
心が彼を欲している。
この人しか居ないと訴えかけてくる心を、いつまで誤魔化す事が出来るだろうか。
いつか、彼への想いが恐怖に打ち勝つ時が来るならば…その時は、正面から彼の言葉を受け入れよう。
まだ遠い未来の日を思い、彼への愛情ごと、自身の身体を抱き締めた。
【 抱き込んだ 愛情 】 妖狐蔵馬 / 悠久に馳せる想い