071.ひとかけらの
「何でコウみたいに素敵な人が、あんな人と一緒にいるんですか?」
レストランのキッチン奥で皿洗いをしていたアレンが、隣で下準備をしているコウに問いかけた。
ジャガイモを剥いていた手を止めて、彼の方を見る。
泡立ったスポンジを握り締めて彼女の答えを待っているアレン。
「…何でって…師匠だから」
「いや、そうですけど!嫌なら嫌って言えば、何とかなるんじゃ…!」
「なると思う?」
彼女の問いかけに俯くアレン。
何とかなったら嬉しいが、何とかならないとわかっている。
それが可能だったならば、借金の肩代わりなんてせずにさっさと他の元帥の下についているはずだ。
はぁー、と溜め息を吐き出すアレンに、コウはクスリと笑う。
「まぁ、本部は私をあの人から引き離したがっているから、要望を出せば二つ返事で了承されると思うけれどね」
「じゃあ、コウはやめたらいいじゃないですか!僕より長く苦労してるんですよね?」
「付き合いの長さで言うなら、その通りね。はい、終わり。アレンもさっさと終わらせて帰りましょう」
最後の一つを鍋の中に放り込み、包丁を片付ける。
そして、もう少しで終わりそうなアレンを急かした。
自分の手が止まっていることを思い出したアレンは、慌てて手を動かす。
コウに遅れること5分。
食器を片付け終えたアレンと共に、コウはレストランの裏口を後にした。
「苦労していないと言ったら嘘になるの」
夜空を仰いで、コウがポツリとそう言った。
先程の続きなのだと知り、彼女を見る。
「でも、あの人のお蔭で救われている所もあるのよ」
「師匠の、お蔭で?」
「そう。師匠のお蔭で。だから、私はあの人の弟子をやめないと思うわ」
こんな風に夜遅くまで働かされて、借金を返して―――それなのに、ね。
そう言って彼女は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「コウって師匠のこと好きなんですか?」
「はっきり聞くわね」
「気になってたんですよ、ずっと」
ずばり核心に迫る彼の質問。
コウが苦笑を浮かべるけれど、アレンに引く様子はない。
「否定は嘘になるわね」
「…あんな、各国で女と借金を作るような人が好きなんですか?コウ、絶対損してますよ。
今だって、僕たちに仕事をさせて師匠は―――」
その続きを口にすることを憚られたのか、アレンは口を噤んだ。
バツが悪そうに視線をそらす彼。
コウはその横顔に向けて小さく笑みを浮かべた。
「アレンが知らないこと、沢山あるのよ」
「コウ。アレン」
コウの言葉に続くように、二人の名前が呼ばれた。
路地から顔を見せたクロスの姿に、アレンがビクリと肩を強張らせる。
先程の話を聞かれたのでは、と思ったのだろう。
しかし、彼の予想に反し、クロスは大股でコウに近付き、その腕を掴んで引き寄せ、アレンの方を振り向いた。
「先に帰ってろ」
「でも、師匠!コウだって疲れて―――」
「アレン、大丈夫」
気をつけてね、と言う笑顔によって、続きをかき消されてしまう。
先程まで別の女性と仲良くしていながら、疲れているコウを連れて行こうとするクロスに対しての怒りは消えなかった。
けれど、コウがそれを止めるならば、自分にそれ以上の発言権はない。
ぐっと唇を噛み締めたアレンは、そのまま宿の方へと走っていった。
「…アレンにも、教えてあげれば良いのに」
小さな背中が見えなくなったところで、コウがそう呟いた。
彼女の言葉に、無言で煙を吐き出すクロス。
「ガキにはまだ早い」
「一晩中のアクマ退治が?無理だとしても、事情くらい話してあげればいいと思いますよ」
確かに各地に好にしている女はいるが、女好きと言うほど見境がないわけでもないのだ。
「あなたが考えていること…ひとかけらでも伝えてあげれば、アレンは納得できるんですよ」
「…必要ない。お前が知ってる」
「アレンは、知りませんけどね」
まったく…と溜め息を吐き出す。
アレンが、この言葉が足りない師匠に愛想を尽かさないことを祈るばかりだ。
弟のような彼の事を考えながら、アクマ退治のデートへと向かい、歩き出した。
【 ひとかけらの 言の葉 】 クロス・マリアン / 羅針盤