058.吹き抜ける
「どうした?そんな所で」
ベランダで手すりに身を凭れさせて空を仰いでいた彼女の背中を見つけ、ティキがそう声をかける。
振り向いた彼女は驚いた様子もなく、ただ「何でもない」とだけ答えた。
彼女がそうやって言葉を誤魔化すのは、よくあることだ。
言わないのか、言えないのか、もしくはその両方なのか。
そんな彼女を無理強いすることなく、ティキは自由を与えている。
「そっか。そろそろ出かけるけど」
「…ええ、大丈夫」
「って顔には見えねぇけどな」
苦笑を浮かべた彼が、彼女の頬をなでる。
大丈夫ではなかったとしても、彼女を残していくと言う選択肢はない。
これは、彼女が選んだことだからだ。
「大丈夫よ。私は…ちゃんと」
その続きの言葉はなかった。
「さっき、空を見ていたでしょう?」
道を歩きながら、彼女がそう言った。
話す気になったらしい彼女を横目に、聞いているのだと教えるように一度相槌を打つ。
「あれね。風を…感じていたの」
「風?」
「私にとっては風は懐かしいものなのよ。私のイノセンスは、風を起こす能力を持っていたから」
指先一つで旋風を起こし、時には竜巻のような激しいうねりまでそれを育て上げた。
そうして、アクマを破壊してきたのだ。
「初耳だな」
「話していなかったわね」
思い出すように、彼女は目を細めた。
「私の起こす風は、人々から神風と呼ばれた」
「神風…ね。皮肉なもんだな」
「…ええ、本当に。でも、誰も私の考えには気付いていなかったと思うわ」
神だけが扱うことのできる自然現象。
それを起こす彼女は、神同様に神格化され、既に人ではなかった。
「あまりにも近い存在だったからかな。とても…懐かしく感じる時があるの」
そう言った彼女の言葉に呼応したかのように、ザァ、と風が吹く。
二人の間を走り抜けた風は、そのまま振り向くことも立ち止まることもなく去っていく。
「風が嫌いか?」
「…嫌いじゃないわ。風はずっと、優しかった」
「なら、それでいいんじゃないか?少なくとも、お前は風に嫌われてはなさそうだな」
イノセンスを破壊し、その身体に悪魔の刻印を刻んだと言うのに、彼女はまだ愛されている。
そう感じることがあるのだ。
今のように、その身を守るように風が吹いている時は、特に。
「不思議ね。エクソシストだった時には、知らなかった」
神ではない何かに、こんなにも愛されることができるのだと言うこと。
皮肉にも、神を拒んだからこそ、それに気付くことができた。
「…覚悟、決めろよ?」
「わかってるわ。神ではなく、あなたを望んだ瞬間から…わかっていたことだもの」
歩く先にあるのが、完全なる決別だと理解しながら、彼女はその歩みを止めようとはしない。
そんな彼女を応援するように、風が二人の間を吹き抜けた。
【 吹き抜ける 神風 】 ティキ・ミック / 砂時計