044.青い

金を払って宿に入り、荷物を解く。
さほど多くはないそれを解くのにかかる時間など僅かなものだ。
足りないものを補充しなければ、と考えていた彼女は、不意に地面を叩く雨音に気付いた。
閉じられていた障子を開くと、そこには整えられた庭が目に入る。

「え?」

そこに咲いていた花に、思わずそんな声を零した。
今はその花が咲くような時期ではないはずだ。
雨の雫を纏った青い紫陽花を見た彼女は、そんな感想を抱く。

「狂い咲き?」

桜と時期を同じくして咲く紫陽花など、聞いたことがない。
首を傾げる彼女の視界を、宿を手伝う娘が通り過ぎた。
娘は彼女が何かを見ていることに気付いたようで、少し足を早くして彼女の所までやってくる。

「何かお困りでしょうか?」
「いいえ、大丈夫。それより、あの紫陽花は?」

指差した先にある紫陽花を見た娘は、あぁ、と納得した様子で頷いた。

「数年前にこの宿にお泊りになった天人さんにいただいた種を育てました。その天人さんの星では、紫陽花は年中咲いている花なんだとか」

紫陽花のようで、少し違う。
それが、今の時期に花を咲かせている理由なのだろう。

「花言葉は移り気…だったかしら。宿の花としては、気になる言葉ではないの?」
「え?あ…確かに、他のお宿に移られてしまったら大変ですね」

彼女が言った言葉の意味がわからなかったようだが、少し考えてその答えに行き着いたようだ。
苦笑を浮かべた娘は「でも」と言葉を繋いだ。

「青い紫陽花には、別の花言葉があるんですよ」
「へぇ、そうなの?」
「はい。忍耐強い愛―――青い紫陽花の、花言葉です」

満足げに微笑んだ娘は、失礼します、と頭を下げて仕事に戻っていった。





開け放たれた障子に凭れるようにして雨に濡れる紫陽花を見つめる。
そんな風に時間を過ごしていた彼女は、ふと外に立つ気配を感じた。
荷の中に隠していた刀に手を伸ばそうと思わないのは、その気配の人物をよく知っているからだ。

「何やってんだ」

低い声が聞こえ、首だけをそちらに向けた。
立ったままの高杉は火のついた煙管を銜え、彼女を見下ろしている。

「あの紫陽花、一年中咲くんですって」

答えになっていない言葉を返す。
高杉は軽く眉を顰めてから、彼女が言う紫陽花に目を向けた。
花に興味はないけれど、紫陽花が咲く時期くらいは知っている。
そして、今がその時期ではないことも明らかだった。

「狂ってんのか」
「天人の持ち物だそうよ」
「…狂ってることに変わりはねぇな」

天人と言う言葉に一呼吸置いた彼は、煙管を唇から離す。
ふぅ、と息を吐き出せば、白い煙が外へと流れた。

「一年中、来る日も来る日も…一体、誰を待っているのかしらね」
「あぁ?」
「忍耐強い愛、なんですって。青い紫陽花の花言葉」

そう答えた彼女を見てから、もう一度紫陽花を見る。
花びらに落ちた雨が、まるで涙のようだ。
空を見上げ、何かに焦がれるように涙する姿を見た高杉は、ククッと喉を鳴らす。
そして、その笑い声に反応して訝しげな視線を向ける彼女を見下ろし、呟いた。

「てめーには似合いの花だな」
「え?どう言うこと?」
「さぁな。自分で考えろ」

そう言って笑うと、彼は煙管を銜え、空いた手で彼女の腕を引く。
座っていた彼女は否応無しに立ち上がり、部屋の中へと引きずり込まれた。
ずっと障子を開いてそこにいた所為で冷えた手には、高杉の体温すら温かいと感じる。
そのぬくもりにいくらかの安心感を覚えた彼女は、最後に庭先を振り向いた。
雨に濡れて来ぬ人を待つ紫陽花と、身体を冷やして待ち続けた自分と。

―――あぁ、確かに似ているのかもしれない。

自嘲の笑みを零す彼女は、彼の手によって閉ざされた障子にその視界を奪われた。

【 青い 紫陽花 】  高杉 晋助 / 朱の舞姫

Menu(お題順) Menu(ジャンル別)

09.03.25