038.沈む

ふと顔を上げた先に、家の屋根に沈んでいく太陽が見えた。
太陽が沈んで、夜が来る―――そんな光景は、言葉に出来ない小さな寂しさを生み出す。
夕焼けに染まる空が逃げていく光景に、知らず知らずの内にポケットから取り出した携帯電話。
ロックのかかったアドレス帳から探す時間すら惜しむように、覚えてしまった番号を入れて、通話ボタンを押す。
暫く続くコール音に、まだ終わっていないのか、と少し肩を落とす。
留守録に残しておく気にはならなくて、溜め息と共に電源ボタンに指をかけた。

『ごめん!遅くなった!!』

電話口の向こうから聞こえた言葉は、まず謝罪から始まった。
息を切らしているところを見ると、急いで電話に出られる場所に移動してくれたのだろうか。
そんな彼の様子を想像してクスリと微笑んだ彼女の脳裏に、先ほどの落胆はない。

「こっちこそ急がせてごめんね。今、大丈夫?」
『あぁ、大丈夫。もう帰り道だから』
「…じゃあ、今までは部室だったのね。もう少しだけ待てばよかったわ」
『別にいいって。それより、何か急ぎだった?』

そう問いかける陸に、思い出したように空を見る彼女。
東の空には夜が顔を覗かせていて、西の空にはまだ赤い太陽がその名残を残している。

「夕日が綺麗だなって」

どれだけ離れていようと、日本と言う国にいれば、時差は殆どないに等しい。
この綺麗な空を、離れている場所で見ることが出来るのだと―――そう思うと、無意識に電話をかけていた。
そう語った彼女に、返って来たのは沈黙だ。
似合わないことを言ってしまっただろうか、と少しだけ心配した彼女が、小さく彼の名を呼ぶ。

『…あのさ』
「ん?」
『今、帰りだよな?』
「うん。もうすぐ駅」
『じゃあ、待ってて』
「…来るの?」
『一緒に見た方が綺麗だろ?夕日が沈む前には無理だけどさ』

そう言って笑う彼。
走っているのか、少しだけ息が弾んでいる。
ぶつからないでね、と告げると、彼は「大丈夫」と楽しげな声を発した。
彼女が駅に到着するのと、彼が駅に到着するのは、殆ど同じタイミングだったようだ。
また後で、と切れた電話を見下ろし、改札口を抜ける。
階段を上って線路を越えて、階段を下りる。
彼が下りてくるであろう路線の所に下りた彼女は、西を見た。
先ほどまでは見えていた夕日も、すっかり沈んでしまったようだ。
赤い空だけがそこに残っている。

「夕飯食べてくのかな…」

これからの時間を考えている彼女の頭に、寂しさはなかった。

【 沈む 太陽 】  甲斐谷 陸 / 向日葵

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09.03.17