030.堕ちていく

「馬鹿野郎!!」

怒鳴り声が聞こえ、ビクリと肩を震わせる。
何事?と思ってそちらを見ると、先ほどの怒声とは似ても似つかないような小柄で綺麗な顔立ちのサッカー部員が居た。

「声を出せって!何度言ったらわかるんだよ!!」

大声で怒鳴るような人は嫌いだった。
けれど、彼は、ただ怒っているわけじゃなくて…とても、真剣な表情をしていた。
だからだろうか。
怖いとは思わなかった。
それどころか―――足元でボールを捌き、流れるように立ち向かってくる相手を追い抜いていく。
彼の放ったシュートが、白いネットを揺らす。
格好良いと思った。

「あれ、お前。こんな所で何やってるんだ?」

休憩が始まり、声をかけてきたのは、首からタオルを提げた兄だった。
忘れていた弁当を突き出せば、慌てたように謝る兄。

「悪い悪い。急いでたから忘れたんだな」
「ねぇ、お兄ちゃん。あの人、誰?」
「あ?どれ?」
「あの小柄で綺麗な人」
「あぁ、椎名か。俺らのキャプテンだ。かなり有名なのに、知らなかったのか?」
「だって、興味ないもん」

そっけなく答えてから、椎名先輩、と呟く。
名前は何て言うんだろう、と思ったけれど、兄に聞くのはやめようと思った。

「あの人、煩いけどサッカーには真剣で格好良いんだ。でも、惚れるなよ」

そう言うと、兄は私の頭をぽんと叩いて、弁当さんきゅ、と離れていく。
もう遅いよ、と思いながら兄の背中を一瞥し、そして椎名先輩の方を見ると、さっきとは違っていた。
椎名先輩の傍に、女の人。

「記録した?」
「うん、大丈夫よ。各自のデータは明日までに出しておくから」
「ん。頼んだよ」
「ここの所は翼の意見が欲しいんだけど…」
「どれ?…あぁ、じゃあ…部活が終わってから、家に行くよ。ついでに手伝うし」
「うん。ありがとう。お礼は夕飯でいい?」
「…うちの親が居ないの、言ったっけ?」
「おばさんから聞いたよ。翼は忘れるだろうからって。さすがね、おばさん」

時折笑い声を上げて、楽しそうに話す二人。
その話の内容は、キャプテンとマネージャーと言う関係で括るには、あまりに深いものだった。
二人の雰囲気は、他人の入る隙など微塵もないと感じさせる。
一目見て、付き合っているのだとわかった。

「相変わらず仲良いなぁ、あの二人」
「幼馴染からの付き合いだろ?」

部員の呟きが遠い所で聞こえた。

格好良いと――― 一目惚れに近い形で恋に落ち。
それを自覚した3分後に、失恋。
とてつもなく短い時間で終止符を打たれたその恋は、それでも消えてくれそうにはなかった。

彼の隣に居る自分を想像する。
どきどきするほど切なくて、嬉しかった。
けれど、想像した光景は、今自分が見ている光景とは比べ物にならないほどの違和感を覚えた。
二人が並んでいる光景は、そう感じさせるほどに一番自然な形だった。

「…ずるい…」

気がつけばそう呟いていた。

私が先に出会っていたら、二人が出会わなかったら、あの人が…いなかったら。

自分の中でどろどろとした感情が湧き上がるのを自覚して、それを振り払うようにグラウンドに背を向ける。
早すぎる足でそこから遠ざかり、校門を抜けた所で立ち止まる。
先ほどの光景が、頭から離れなかった。

【 堕ちていく こころ 】  椎名 翼 / 夢追いのガーネット

Menu(お題順) Menu(ジャンル別)

09.03.05