008.愛しい

焦がれるような…そんな、恋をしたいと思っていた。
けれど、先が見えている命だからこそ、国のためにとそんな願いは棄ててしまうつもりだった。
好きなように生きなさい、と言った父の言葉に、タイクーンが好きですから、と返すことが出来たのも、それが偽りのない本心だったから。
世界が変わり、人並みの身体を得て…そして、見つけてしまった。
魂が求めるような、そんな人を。





「コウさん。坊ちゃんを…おや」

ノックの後に入ってきたグレミオは、部屋の中を見るなり言葉を止めた。
彼がここへやってきた理由であるティルが見つかったからだろう。
彼は、しぃ、と人差し指を唇に添えて立てるコウに、了解した、とばかりに頷いた。
そして、足音を忍ばせて部屋の中に入ってくる。
幸い、毛足の長い絨毯に覆われた床は、靴音を飲み込んでくれた。

「熟睡…ですね」
「もうすぐ一時間くらいでしょうか。疲れてるんですね、きっと」

そう言って微笑んでから、コウは太股の上に乗せたティルの髪を撫でる。
グレミオは彼らの様子を見つめて、疲れているだけじゃない、と心中で呟いた。
ティルがこんな風に無防備な寝顔を晒すのを見るのは、何ヶ月ぶりだろうか。
追われる身となった彼は、一時期は眠る時ですら棍を離せなくなった。
物音一つでバッと身体を起こすほどに、全てを警戒していたというのに。

「坊ちゃんにとっては…コウさんの傍は、安心できる場所なんですね」

少しだけ切ないと思いながらも、彼が全てを預けられる人がいるという事は歓迎すべきだと思った。
肩に圧し掛かる重圧に耐え、歩き続ける彼のためにと出来る事は少ない。

「コウさん」
「?はい」
「ずっと、坊ちゃんのお傍にいてあげてくださいね」
「グレミオさん?」

首を傾げるコウに、彼は多くを語ろうとはしなかった。
そして夕食予定の時間を告げ、早々に部屋を後にする。
残されたコウは、静かに息を吐き出した。

「ずっと…か」

出来ることならば、そうしたい。
初めて、家族愛ではなく大切だと思った人だ。
彼が傍に居るだけでこんなにも心が安らぎ、癒される。
自分の命を繋ぐ紋章が酷く満足げな波長を響かせるのを感じた。
この想いは紋章による錯覚なのかもしれない。
けれど、そうではなく…コウ自身の意思なのだと、そう思いたい。

「今はこんな事を考えている場合じゃない。だから、言えないけれど…いつかは」

溢れそうなこの思いを、唇に乗せて伝えたい。
指先から少しでも伝わればいいと、そっと彼の額をなでた。
手袋越しに紋章に触れれば、互いのそれが持つ魔力が穏やかに脈打つのを感じる。
いっそ一つになってしまいたい、とでも言うかのような紋章の波長に、コウは苦笑を浮かべた。
少なからず、自分も同じことを考えている時があるから。

「―――…コウ?」

瞼が揺れ、彼の眼がうっすらと開かれる。
視界に映りこんだ彼女の名前は、少しだけ掠れた声によって紡がれた。

「…おはよう、ティル。よく眠っていたわね」
「そう…みたいだね。一週間分くらい…寝た気がするよ。変なこと言ってなかった?」
「―――ええ、何も。ぐっすり眠っていたから」

ニコリと微笑んだコウに、彼は安心したようにはにかんだ。
そして、上半身を起して手櫛で髪を整え、バンダナを巻く彼にグレミオの来訪を告げる。
自分が起きなかったことに驚いた様子で、彼はわかったと頷いた。

「じゃあ、行こうか」

差し出される手を取って、そうね、と答えた。

夢の中に居た彼の唇の動きは、自分の願望だったのかもしれない。
けれど…いつの日か、その言葉を彼の口から聞ける日が来たならば。
その日を夢見ながら、コウは彼の隣を歩いた。

【 愛しい 】  1主 / 水面にたゆたう波紋

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09.01.25