087.予定は未定
「…ねぇ、これって、混ざったらどうなるの?」
「そっちは視覚的に作用するから…耳でも生えるんじゃないか?」
「へぇー…その、混ざっちゃいけない物の試験管にヒビが見えるんだけど」
「「「え?」」」
「おまけに、いかにも「限界です」って感じにガラスが鳴いて、震えてるわ」
そのうち割れるわね、と呟いた彼女に、その場に居た全員の動きが凍りつく。
グラグラと煮詰められているそれを見つめる科学班メンバー達。
「―――――…」
「―――――……」
「―――――………」
「―――――…………に、逃げろー!!!」
そう叫んだのは誰だっただろうか。
蜘蛛の子を散らすように方々へと散った彼らを追うように、試験管が限界を迎えた。
パァン、と言う乾いた音の後、中の液体がその下に置かれていた液体の中へと飛び込んでいく。
彼らの目には、その光景が、まるでスローモーションのように映っていた。
「―――で、結局こうなるのね…」
フルフルと、肩と言わず全身を震わせる彼女に、科学班のメンバーもまた身体を震わせた。
ただし、その顔はどうしようもないほどに緩んでいる。
つまるところ、彼らは笑い出すのを必死に抑えていた。
彼女の感情にあわせ、その頭から生えたモノがピクリと動く様が何とも笑いを誘うのだ。
笑ってはいけない、笑えば、その先に待つのは地獄だ。
「どこのどなたが発案者なのかしら?」
ギリギリのところで笑顔と呼べるそれを浮かべた彼女に、メンバーは一斉に発案者を指す。
指先が集まったのは、意外にも科学班の班長だった。
「い、いや…落ち着け。お前に使う予定はこれっぽっちもなかった。断言する」
「じゃあ、誰に使うつもりだったの?」
「そもそも猫耳が生えるような薬を作るつもりはなかったんだって!
それに割れた方はコムイ室長の分だ!」
割れた残骸を指差し、そう叫ぶ。
彼女の表情は、矛盾しているけれど「凄む様な笑顔」と言うのが最も近い。
青褪めた様子のリーバーに、科学班の面子が同意するように頷いた。
「室長がそこに置き忘れていったんだよ!」
「ちなみに今はリナリーが帰って来たからって迎えに行ってる!」
「大丈夫だって!効果は一日程度だし、それによく似合って―――」
「ば…っ!!」
口を滑らせたジョニーに、仲間の一人がその口を塞ぐ。
誰もが思っていたことだが、誰もが言わずに耐えていたことだ。
しっかりと彼女の耳に届いてしまった「似合う」と言う言葉に、室内は最早氷点下の様相を見せる。
「………とりあえず。効果は濃度からして、一日程度だ。
リナリーに使おうとしていた以上、身体に害はない―――はずだ」
「…室長の予定通りなら、よね、それは」
「いや、これ以上予定外の事は…出来れば起こって欲しくない」
力なくそう言ったリーバーに、これ以上は何も言えそうになかった。
ここから先は、今日も今日とて周囲に迷惑を振りまいている室長を責めるべきだろう。
溜め息を一つ落とし、彼女は諦めたように髪の中に生えた耳に手を伸ばす。
見える筈もない耳を見ようとすれば、目は自然と上目遣いに。
指先で髪と同じ色の毛並みに包まれた耳を触る動作は、いつもの凛とした空気とは違い、どこか可愛らしいそれを醸し出している。
磁石が磁気に引き寄せられるのと同じように、彼女は男たちの視線を集めた。
「………」
「…リーバー?」
じっと見つめられている視線に気付いたのか、彼女が首を傾げる。
彼は何も言わず、彼女の肩を掴んでくるりと反転させ、そのまま背中を押して退室を促した。
疑問符を連ねる彼女を保管室へと押し込むと、自分もその中に入る。
バタン、と後ろ手にドアを閉めると、長い溜め息と共にそれを背にしゃがみ込んだ。
「どうしたのよ、一体」
「お前…それ、反則」
「はぁ?」
「リナリーは似合うだろうとは思ったけど…くそ」
片手で口元を押さえた彼が視線を逸らす。
内容を頭の中で整理して、漸く理解した彼女は、僅かに頬を染めた。
「…ちょ…そんな反応、リーバーらしくないから。エクソシストを守ること以外興味ありませんって姿勢を貫いてくれないと…こっちが、照れるじゃない」
「………俺も、男だからな」
一応、と補足する彼に、彼女は熱を含んだ頬を冷ますようにと手で扇ぐ仕草を見せる。
それから、彼の隣にちょこんと腰を下ろし、その肩に凭れかかった。
「どっか悪いのか?」
「別に。ただ、迷惑料として肩を借りるだけ」
「…俺は仕事が残ってるんだが…仕方ないか」
「そりゃ、仕方ないでしょ」
「………ったく…あの巻き毛の所為で、予定外の事ばっかりだ」
「予定は未定って事ね。先を見越して動かないと」
「あの巻き毛の行動を読めと?無茶言うなよ」
「…それもそうね」
リーバー・ウェンハム / 鎮魂歌