056.我慢できない

カウンター越しに動く彼女が見える。
こうして、自分の私生活の中に彼女が入り込むようになって、どれくらいの時間が経っただろう。
バスケットの事しか頭になく、あの日も他の女子生徒と同じように扱った。
まさか、探していた“体育館の女”が彼女だったとは思わなかったけれど。
探していたといっても、真剣に探していたわけではない。
それでも向こうから見つかりに来てくれたというのは、自分でも運が良いと思う。

朝食が出来上がり始めているのか、良い匂いがリビングのソファーの所まで届いてきた。
仕上げに取り掛かっているらしく、カチャカチャと皿を動かす音も聞こえてくる。
気紛れに、運ぶのを手伝ってみようと思った。
ソファーに沈めていた身体を起こし、歩幅を大きくキッチンへと歩いていく。

「待ちきれない?」

気付いた彼女がそう言って笑った。
作業する手を止めてこちらを見ている彼女に、首を横に振って返事。
不思議そうに目を瞬かせてから、彼女は作業を再開させる。
右へ左へと動いているのに、忙しさを感じさせない光景。
壁にもたれながら、こちらに向いている彼女の背中を見つめる。
ふわり、と彼女の柔らかい髪が、動きに合わせて揺れる。
衝動―――と言うのだろうか。

「―――る、かわ…?どうしたの?」

少し戸惑っているような彼女の声が近い。
手の平から指先にかけて伝わるサラサラとした感触。
想像していたよりも柔らかい髪が、指の間をすり抜けていく。

「…何でもねー」

そう言いつつも、指先は彼女の髪を解放しない。
やがて、彼女は困ったように微笑んだ。

「流川は本能のままに生きてるね。ほら、準備できたから…食べよう?」

彼女はそう言って、いくつかの皿を残して両手に朝食の一部を持ってキッチンを出て行く。
スルリ、と指先を逃れていった彼女に、小さく息を吐き出した。
尚もぬくもりを求める手をぎゅっと握る。

「………ちゃんと我慢してんじゃねーか」

本当に触れたかったのは彼女自身だと言ったら…彼女は、どんな反応を見せるのだろうか。

流川 楓 / 君と歩いた軌跡

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08.09.25