003.欲求不満

夜も更けた頃、ふと目を開く蔵馬。
シーツから身体を起こせば、サラリと銀色の髪が流れ落ちた。

―――あぁ、またか。

いつの間にか妖狐の姿を取り戻しているらしい自身の手を見下ろした。
まだ感覚として掴めておらず、無意識のうちに戻ってしまうことがある。
母さんに見られたら大事だ、と思いつつも、対処法は感覚で覚える他はない。
姿が変わるのが夜中だけだと言うのは、不幸中の幸いだろうか。

妖狐の姿が本来の姿と言う認識があるからこそ、戻ることに不満はない。
問題があるとすれば、それは―――

「―――紅」

この場にはいない、最愛の妻の名を紡ぐ。
妖怪とは、実に本能に忠実な生き物だ。
それ故に、自分の欲求にはどこまでも正直なのである。
彼女に会いたい。
彼女に触れたい。
彼女を抱きたい。
一度抱いてしまった欲求は、満たされるまで尽きることはない。
ざわざわと己の内を黒く塗りつぶしていくそれに、自嘲の笑みを零した。

「俺も、随分と変わったものだ」

彼女と出会い、暁斗が生まれ、そして不本意に別れ、人間に憑依して―――また出会った。
様々に変化する状況の中、それでも彼女は自分の元へと帰って来た。
しかし、彼女は今、手の届かない場所に居る。
少し駆ければすぐにでも会える距離だが、一瞬で手が届く距離ではない。
二度と手放すまいと思う一方で、現実的な距離が二人の間に横たわっている、矛盾。
胸にぶら下げたままの絳華石を拾い上げ、それに唇を触れさせた。
彼女の血から生まれるそれが彼女のぬくもりを持っていると言うことはない。
ひんやりとしたそれに触れた途端、理性が深々と頭を垂れた。
開かれたままの窓から舞い込んだ夜風が、蔵馬の部屋のカーテンを揺らした。





「蔵馬?」

呼んだわけではない。
しかし、彼女の部屋の窓が見える木の枝に下り立った所で、カーテンが開かれた。
驚いた表情の後、クスリと微笑む美しい彼女。
カラリ、と窓が開かれ、二人を分かつ壁が消えた。
迷いなく部屋の中へと入り、寝ていた為に体温の高い彼女の身体を抱き締める。
間を置かずに唇を重ねれば、彼女は息継ぎの合間にクスクスと笑い声を零した。

「どうしたの?いつもの余裕がないわ」
「…妖狐の時は昂るらしい」
「ふふ…昔を思い出すわね」

あの頃も、そうだった。
魔界に居た頃の、思うままに生きていた彼を思い出し、そう呟く。
ベッドの上に横たえられ、夜の寒さを吸い込んだ冷たい手で頬をなぞられる。
冷たい指先が温かい肌を撫でる感覚に、ゾクリと背筋が逆立った。

「…すまない」
「なぁに、急に」
「…多分、無理をさせる」

静かにそう告げる切れ長の双眸を見上げ、ふっと笑みを零す。
拒む意思はないのだと告げる代わりに、自ら彼の首に腕を絡めた。
少しだけシーツから身体を浮かせ、唇を重ねる。

「愛してくれるなら、文句は言わないわ」

耳元に息を吹きかけつつ優しく囁く彼女に、最後の枷が外れ、カランと音を立てた。

妖狐蔵馬 / 悠久に馳せる想い

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08.11.21