朱の舞姫

Another story  神威

広い地球の中で会える保証なんてどこにもなかった。
けれど、江戸の地に降り立って、その懐かしい空気を肺へと吸い込んで。
何の確証もなく、“会える”と確信した。







「出航は三日後だよ」

船を降りようとする紅に、神威はそれだけを告げた。
引き止める素振りも、疑う様子もない彼に、紅の方が怪訝な顔をする。
そんな彼女の心中を察したのか、彼はクスリと笑った。

「“君は裏切らない”」

船の中で聞いた言葉を、繰り返す。
行っておいで、という声に見送られ、紅は彼に背を向けた。

「…逃げたらどうするんだ、団長?」
「心配?大丈夫だよ。紅は…逃げないよ」

本気の彼女と戦ってみて、よくわかった。
彼女は自分と同じだ。
一度知ってしまった闘争本能は、決して無視できない。
だからこそ、彼女は―――微温湯には、帰れない。

「他に生きていける場所なんて、ないんだよ」

既に姿の見えない彼女に、言い聞かせるかのように。















「―――紅?」

江戸の雑踏の中を歩く。
足の向くままに歩いていた紅の耳に、自分を呼ぶ声が聞こえた。
ふと足を止め、声を振り向くと、そこにはやや驚いた表情を浮かべた銀時がいる。
彼は、振り向いた紅の顔を見て、更に驚きを大きくし、その次に複雑そうな表情へと顔を変えた。

「…来い」

手を取られ、引かれる。
向かう先の見当は付いたけれど、紅は抵抗しなかった。






万事屋には、銀時以外は誰もいなかった。
神楽や新八は出払っているらしい。

「悪いな、茶しか出せなくてよ」
「…気にしないで」

ことん、と紅の前に置かれた湯呑には、緑茶が湯気を立てている。
吐息で冷まして口に含んだ一口は、想像した通りに少し濃い。
客人にお茶を淹れる事なんて、あまりないのだろうと感じた。

「…その眼、どうした?」

古い友人の目は誤魔化せないらしい。
昂揚している時だけに見られていた朱が消えない眼。
あの戦争の頃、幾度となくその眼を見てきた。
けれど、こうして日常を送る彼女の眼にそれを見たのは、今が初めてだ。
天人の血を持つ彼女の生態全てを知っているわけではないけれど、これが異常だと言う事だけはわかる。

「…変わってしまった―――ただ、それだけ」

環境、身体―――“変わった”と言う言葉は、紅を取り巻く状況の中のあらゆる場所に当て嵌まる。
深く話せば長くなるが、簡潔に言えばそれだけだ。

「それはお前にとって良い変化か?それとも…」

普段の気の抜けた様子も見せず、真剣な表情で問う銀時に、紅は言葉を詰まらせる。
良いのか、悪いのか。
その判断は難しい。
天人の紅にとっては良い変化で、人間の紅にとっては悪い変化だ。
けれど、悪いと言っても状況は既にそうなってしまっているのだから、受け入れて前に進むしかない。
もう、過去には戻れないのだから。

「昔が懐かしいよ、銀時」
「…紅…」
「銀時がいて、桂がいて、坂本がいて―――晋助がいて」

それぞれの正義のために刀を振るって、天人を斬って。
平和ではなかったし、穏やかでもなかった。
けれど、紅はあの時を忘れない。

「お前、今はどこにいるんだ?」

紅の様子に何かを察したのか、銀時がそれを問う。
彼が聞きたかったのは、きっと“どこ”、と言う場所ではない。
誰の傍にいるのか―――それが聞きたかったのだろう。
紅は小さく口角を持ち上げた。
まるで、諦めたような笑み。

「どこに…いるんだろうね」

心と本能が違う場所を求める時、身体はどうすればいいのだろう。

竜陣族の血を受け継ぐ紅にとって、その選択肢はない。
神威が持つ紅の逆鱗は、彼女の命に等しい。
紅が死ぬか、その繋がりがなくなれば逆鱗は砕ける。
そして、その逆もまた、然り。

今この瞬間も、紅の命は神威の手の中にある。








銀時は短く溜め息を吐き出した。
紅はこれで結構な頑固者だから、言わないと決めたら頑なだ。
聞き出そうとしても不可能だと言う事は長年の経験から知っている。

「…何かあればいつでも頼って来いよ」

腰を上げ、外へと向かおうとする紅にそう声をかけた。
彼女は首だけを振り向かせ、小さく笑う。
先ほどとは違い、かつての彼女を思い出させる笑顔だ。

「ありがとう」

引き戸がカラカラと開かれ、そして閉ざされる。
ありがとう、と言いながらも、彼女が自分を頼る事はないだろう。
紅がそう言う人間だと知っている。

「…何やってんだよ、高杉。…テメェの仕事だろうが」

この場にいない、かつての同志に向かって吐き出す。
何があったのかは知らないが、高杉の存在が彼女のストッパーになればいいと思う。
けれど、それが無理だと言う事にも―――何となく、気付いていた。
やりきれない感情を吐き出すように、深い息を吐く。

「…甘いもんが食いてぇなぁ…」

この不完全燃焼な胸の燻りを、全てを忘れてしまえるように。

12.04.15