朱の舞姫

Another story  神威

鏡の中からじっと見つめ返す自分自身を見て、もう元には戻れないのだと理解した。
哀しいと感じる心もあれば、肩の荷が下りたような安心感もあって。
相反する感情が、身体の中で燻っているのを感じる。


感情論では結果が出せない。
だから、私は賭けに出た。
残りの人生をかけた、一生に一度の大きな賭け。

「私と戦って。真剣勝負―――命を懸けて」

最後の包帯を解き、やってきた神威に向かって、そう言った。









認めよう、自らの中に流れる、天人の血を。
そして、天人らしく―――力に全てを委ねる事にした。

「俺が勝ったら、付いてくるんだね?」
「ええ。帰りたいとも言わないし、あなたに従うわ。その代わり、私が勝ったら―――」
「地球に帰すよ。その後も、一切干渉しない」

これでいい?と条件を確認する神威に、一度だけ頷く。
そんな紅を見て、彼は満足げに笑みを深めた。

「安心してよ。無理やりは好みじゃないから。君が自分の意思で船に残るなら、そう無茶は言わないよ」
「…ええ、わかってる」

そう言う人だったなら、力に物を言わせて紅を抑え込めばよかったのだ。
けれど、彼は一度たりともそうしようとはしなかった。
それがわかる程度には何となく、神威と言う人が見えてきている。











「無謀だって…わかってんだろうな、お前さんは」

神威との命を懸けた真剣勝負は明日。
丁度、仕事で殲滅させる予定だった惑星で行われる事になった。
それだけを決め、出ていく神威と入れ替わるようにしてやってきた男。
阿伏兎…と言っただろうか。

「…わからないような馬鹿に見える?」

紅は彼の言葉に自嘲を返した。
50が100に勝てるなんて、思っていない。

「アイツは、一度だって本気で私を殺そうとしていない。手加減されているって事くらいは、理解してるわ」

既に治っている腹の傷あたりに手を添える。
神威が理性を失って、本能のままに紅と対峙していたならば、彼女は今ここに生きていないだろう。
幾度となく理性を失ったかのような眼を見せたけれど、ギリギリのところでそれを保っていた。

「…知ってるんでしょ。竜陣族が、魂の片割れを決めるって話」
「………ああ」
「優先されるのは感情じゃないの。魂の決定を覆すには、本能に刻まなければいけない」

自らが従うべき相手が、誰なのか。
何かを決意したような紅の横顔に、阿伏兎は彼女の心情を理解した。
彼女は、勝てる見込みのない無謀な賭けに打って出たわけではなく。

「けじめ、か」

人の中で、人と交わって生きて行く事に、不安を感じた。
知らなければ、微温湯の世界はとても平和で、心地良かったのに。
自嘲するように笑い、紅は傍らの刀を半ばまで鞘から抜く。
ずっと、長年を共にしてきた相棒に映る自分の顔の、何と情けない事か。

「…嫌いよ、アンタも…アイツも。天人の本能なんて知らなければ、微温湯で生きて行けたのに」

呟いた声に覇気はない。
彼女の横顔には、己の行く末への憂いもなければ、不安もない。
あるのは、全ての成り行きを見定め、受け入れるための決意。

「………ま、悔いの残らないようにな」

自分に言える事はそれだけだった。











それにしても、と考える阿伏兎。
紅のあの変化は、何なのか。
裏があるのではと勘ぐってしまう程に、彼女はあっさりと状況を受け入れている。
最後の賭けとて、彼女にとってはきっかけに過ぎないのだろう。

「随分と…急激な変化だな」

呟く声が届いたのか、神威が振り向く。
そうして、紅の事?と確認するように首を傾げた。

「気付かなかったんだ?」
「気付く?」
「紅の眼」

そう言われて思い出すのは、決意を秘めた横顔。
眼、と言われても、真正面からそれを覗き込んだわけではない。
彼女は、視線を合わせる事を避けていたような気がした。
ただ、何か漠然と…数日前との違和感は、あった。

「紅の眼、竜陣族特有の“朱”が抜けてないみたいだね」
「…ああ」

そう言う事か。
言われて初めて納得する。
そう言えば、彼女の眼はいつも以上に朱く澄んでいた。

「興奮すると色が増すって聞いたけど…そんなレベルじゃないよね」

紅は今まで、戦いの中に在れど平和な日々を送っていた。
未だかつて、神威との戦いのように本能を刺戟されるような事態はなかったのだろう。
興奮は、時間が経てば冷める。
しかし、本能への刺戟は確かな記憶として、彼女の中に刻み込まれた。
最早、彼女はそれを知らなかった日々には戻れないのだ。

「…団長、アンタ…」
「知ってたわけじゃないよ。ただ、戻れなくなるかもしれないって言うのは、わかってたけど」

紅の中の天人の血は、解放の時を待っていたのだ。
神威はそれに気付き、少しのきっかけを与えただけ。

「折角あるものを抑え込んで過ごすなんて、馬鹿みたいだよ」

好きな時に、好きなように暴れればいい。
常にそうして生きてきた神威には、紅の生き方は理解できないものだった。
自分を制する必要がどこにあるのか―――考えても、彼女との思考は交わらない。

「明日は気を付けないとなー…紅と戦ってると、うっかり本気を出しそうになるんだよね」

心底楽しげなその声に、阿伏兎は人知れず溜め息を零した。

12.02.27