目が覚めた。
ただそれは、瞼を開き、意識を取り戻したと言うだけの話。
思考回路は未だ、正常に動いていない。
ぼんやりと天井を見上げる事数秒―――漸く動かした視線の先に、点滴を見た。
「………」
細い管を通って、血管に入り込むそれ。
今日があの日から何日目なのかはわからないけれど、その間の生命を維持するために、これが必要だったのだろう。
紅は無言で管を持ち、ブチッとそれを抜く。
突如解放された針穴から血が溢れるのも気にせず、腹筋だけで身体を起こした。
「……っ…」
だが、起こしてからそのまま、腰を折るようにして蹲る。
力を入れた筋肉が、酷い痛みを訴えてきたのだ。
ゆるりと着衣の袷を解くと、きついくらいにグルグルと巻かれた包帯が目に入った。
「穴が開いたんだっけ…」
少し掠れた声で、そう呟く。
痛みが残っているのは厄介だが、これのおかげで分かった事もある。
まず、あの日から三日以内だ。
それ以上であれば、少なくとも痛みを感じない程度には傷が治るはず。
憎むべき天人の血は、容赦なく紅を癒し、生かす。
ふと、窓の方へと視線を投げた紅は、そこに広がる光景に小さく溜め息を吐き出す。
眠っている間に、船は再び宇宙へと旅立ってしまったらしい。
いっそ、腹の傷口を抉り続ければ死ねるだろうかと、恐ろしい方へと思考が傾いていく。
それを振り払うように緩く首を振り、苛立つ感情を抑えようと瞼を伏せた。
―――ストレスの溜め過ぎは良くないよ?ちゃんと発散しないと。
聞いた声が、脳裏に甦る。
紅は再びベッドに横たわった。
天井を見上げ、あの日の事を考える。
「“すっきりした”…ね」
この感覚がわかるのは神威…だけではないけれど、少なくとも彼に近い人だ。
恐らく、高杉にはわからない。
彼は人間で、紅は天人のハーフだから。
天人の中には人間と見分けがつかない者もいるが、内に秘める力は大きい。
どれだけ口で伝えようと、目で見せようと…理解しきれるものではないのだ。
紅は今、人間と天人の境界をはっきりと自覚した。
自分の天人の部分を、正しく理解した相手に出会ったのは、これが初めてだ。
人質を取り、ここに繋ぎとめる憎むべき相手が、自分の本質を理解した。
悔しいと感じると同時に、なぜか納得できてしまった。
「どれだけ近くても…相容れるものではなかったのかな…」
あの解放感を知ってしまった今―――違う自分を垣間見て、世界が色を変えた。
ずっと、背中を向けていた自らの中の天人の血が、すぐ傍らにあるのを感じる。
けれど、その大いなる力に対する不安は、ない。
「………助けて、…」
何かが変わってしまった。
そして、これからも変わっていく。
時が経てば経つほど、前の自分に戻れないような―――そんな、確信があった。
「ほらよ、団長。頼まれてた資料だ」
バサッと分厚い紙束を机の上に放り投げる。
デスクワークなどするつもりのない神威は、広い椅子にこれでもかとだらけ切った様子で座っていた。
行儀悪くも机の上に乗せた足のすぐ近くに放り出された紙。
「何?」
「竜陣族の資料だ」
「ああ、あれ」
よっと身体を起こし、机から脚を下ろした神威が紙束を持ち上げる。
あの日、紅によってつけられた傷の殆どは、昨日あたりに治った。
頭に巻かれている包帯も、殆ど格好だけのもので大した意味は持っていない。
それに比べて、紅はまだ医務室。
100と50ではここまで違うのか―――阿伏兎は、そんな事を考えた。
「あー…やっぱりね。そんな気はしてたけど」
何ページ目かに視線を落とした神威が、小さく笑う。
それから、興味を失ったように紙束を机の上に放り出した。
「さて、と…そろそろ起きる頃だと思うんだよね」
そう言い残して、彼は部屋を出て行った。
神威が近付いている事に、気配で気付く。
隠そうともしないそれが部屋の前に来て、扉が開いた。
気怠く視線を上げると、今しがた部屋に入ったばかりの彼と目が合う。
やぁ、と呑気な声をかけられた。
「まだ傷が治らないの?地球産の血は不便そうだね」
紅の顔色や、微妙に腹を抱え込むような姿勢から、そう察したのだろう。
面倒そうに肩を竦めた彼の動きに、怪我に対する気遣いはない。
骨も何本か折ったはずなのに、これだ。
「…随分と治りが早いのね」
「紅も地球の連中からすれば規格外だよ」
「………当然よ」
人間じゃないんだから。
皆まで口にせず、唇を結んだ。
「“暁斗”」
神威の視線から逃げるように顔を背けた紅が、ピクリと肩を揺らす。
「…って、知ってる?」
疑問形で尋ねられているにも関わらず、無視や沈黙を許さない空気。
暫し黙り込んでいた紅は、やがて諦めたように視線を戻した。
「もちろん―――宇宙で一番、憎い名前だ」
この憎しみを忘れないようにと、その名と共にあの時代を生き抜いた。
いつかきっと―――この名を持つ男を、この手で。
幼い頃、自らに誓ったその想いを忘れた日はない。
「いいね、その目。ゾクゾクする」
そう呟く神威の目が狂気を帯びる。
肌を刺すような殺気の応酬。
やがて、彼はいつもの笑顔を浮かべた。
「ねぇ、俺とおいでよ」
「連れ去った奴が、何を今更」
「地球に帰ろうなんて、馬鹿な事を考えないでさ。自分の意思で、俺とおいで」
つい三日ほど前に、本気で殺し合った相手だとは思えない気軽さだ。
思わず反論の声を忘れ、神威を見る紅。
「一度自覚した天人の血には抗えないよ。食われる前に、おいで。
ちゃんとストレス発散もさせてあげるし―――望みも、叶えてあげる」
「………」
「地球みたいな辺境にいたって、暁斗は殺せないよ?」
何故知っている―――そんな疑問は、愚問なのだろう。
「微温湯じゃなくて、本能が疼くような、血が騒ぐような刺激をあげる。だから、俺とおいで」
甘い誘惑に、本能が揺らいだ。