阿伏兎が神威の居場所を突き止め、そこへと向かう途中。
彼は歩いてくる紅とすれ違った。
腹部を中心に真っ赤に染まった様子に、阿伏兎ですらギョッと目を見開く。
しかし、それを気にした様子もなく歩く彼女は、彼に興味を持たなかったようだ。
それを見送ってから、ハッと我に返る彼。
彼女が血塗れで、それでも普通に歩いていると言う事は、まさか。
あり得ないとは思うけれど、相手も天人の血を引いている。
絶対とは言い切れないと、浮かんだ最悪の事態を掻き消せずにいた。
阿伏兎ははやる気持ちを抑えて現場へと急ぐ。
すると、そこには地面に大の字に伸びている神威がいた。
いつものように笑顔を浮かべて手を振る彼に、団長が死ぬわけないか、と安堵する。
「おい、団長。どう言う状況だ?」
「あ、阿伏兎。良い所に。紅を船に連れてってよ」
「紅?」
「竜陣族の彼女」
それを聞いて、漸く名前を聞いたのだと悟る。
しかし、名前を聞くだけでこれだ。
子供を作る段階に行くと、船と言わずに星一つくらいは消し飛ぶ気がする。
地形まで変わっている周囲の光景に、阿伏兎は軽く蒼褪めた。
「あの女なら普通に歩いてたぞ」
「俺ほどじゃなくても重傷だと思うよ。腹に風穴開けちゃったし」
「腹に…穴!?」
確かに尋常ではない血の量だったかもしれない。
だが、あまりにも普通に歩いていたので、それは殆ど返り血なのだろうと勝手に想像していた。
まさか、腹に穴が開いていようとは…考えもしなかった。
そこで、ん?とある事に気付く。
「“俺ほどじゃなくても”?」
「あぁ…うん。見た目以上にやられてるよ。特に最後の蹴りが効いたなぁ…」
もうちょっとだと思ったんだけど、と呟く神威は、心底楽しそうだ。
これで重傷とは思えない。
思えないけれど…もしかして、立ち上がらないのではなく立ち上がれないのか。
先ほどから動こうとしない神威を見て、阿伏兎はそれを悟った。
一方の神威は、自分の怪我を気にした様子もなく、笑顔で先ほどの事を思い出している。
手を差し伸べ、数秒。
その前の反応からして、何となく手応えを感じていた。
仲間を守って自ら囚われたくらいに優しい彼女だから、これなら落ちるだろうと心中で拳を握る。
しかし、油断していた神威に向かって来たのは彼女の手ではなく、強烈な蹴りだった。
一瞬で起き上った彼女が、迷いなく回し蹴りを食らわせたのだ。
靴底は微塵の手加減もなく鳩尾を捉え、ギリギリのところで折れていなかった骨を砕いてくれた。
流石の神威もなす術なく後方に十数メートル飛ぶ。
それを見送り、紅は息の塊と共に血を吐き出した。
派手に動けば腹の傷は痛むし、出血も多くなる。
「よくやるね、その怪我で」
起き上がらずに紅を見た神威が、そう言った。
紅はフンと鼻を鳴らす。
「私は敵に甘い顔を見せるほど莫迦じゃない。数多の死線を潜り抜けてきた朱羅を舐めんじゃないわ」
興奮は落ち着いたのか、彼女の目の赤は引いたようだ。
それでも十分すぎるほどの殺気を纏い、神威を睨み付ける。
それに怯むような彼ではなく、寧ろその視線に心地よさ気に目を細めた。
彼女はそれ以上何も言わず、彼とは別の方向へと歩き出す。
そして、時は冒頭へと戻るのだ。
「かなりプライドが高いみたいだから、倒れるまで平静を装うと思うよ」
そう言った神威の言葉通り、来た道を戻ってみた阿伏兎が倒れている紅を発見した。
血の道が出来ていたので、彼女の行方を追うのはそう難しい事ではない。
よくよく考えてみれば、返り血としてはあり得ない量だとわかる。
「ったく…やせ我慢もここまで来ると脱帽だな。流石は竜陣族」
阿伏兎の知る竜陣族は、孤高の一族だ。
それは、他人はおろか、身内にすらも弱点を見せないと言う徹底ぶり。
竜陣族は、生涯でただ一人、唯一の片割れを決める。
それは自らの感情が決めるものではなく、魂が決めるものだ。
そして、その唯一の一人にのみ、全てを許すのだと言う。
これは、神威が竜陣族の彼女に興味を持ってから調べた事。
古い知識ではあるけれど、彼女を見ていればあながち間違いではないのだと感じた。
彼女の魂が決めた一人は恐らく。
「おーい、団長。見つけたぜ」
腹に穴が開いているので肩に担ぐわけにもいかない。
ほんの少し悩んだ後、彼は紅を横抱きにした。
意識を失っていなければ、間違いなく骨の一本や二本や三本は折られただろう。
しかし、今が無事でも万が一目を覚ましたら―――そう思うと、爆弾を抱えている気分だった。
背中の冷や汗の感覚を嫌でも意識しながら神威の元へと戻る。
そんな阿伏兎を迎えたのは、矛盾しているかもしれないけれど不機嫌な笑顔だった。
無駄に良い笑顔な所が尚更、その恐怖を引き立てる。
「だ、団長?」
「なーんか気に食わない絵だなぁ。医療チームの連中に担架でも持ってこさせたら?」
「…医務室が真っ二つにされる位置だったってのは知ってるか?」
今頃、役に立たない船の中では医療チームのメンバーが忙しく右へ左へと動いているだろう。
そうでなければ、阿伏兎だってこんな危険を冒して彼女を運んだりはしない。
阿伏兎の言葉に、神威は仕方ないね、と呟いた。
そして、漸く身体を起こして立ち上がる。
その動きは通常では考えられないほど時間をかけていた。
今ここで襲われるような事があれば、いくら神威でも危ういかもしれないと思わせる。
「恐ろしい女だな…」
蒼を通り越して白い顔色の彼女。
この彼女が、神威をここまで追い詰められたとは…信じられない。
「残念だよ。ハーフじゃなくて純血種として生まれてれば、間違いなく竜陣族の頂点だっただろうね」
そう呟いた神威の肩がゴキンと音を鳴らした。
どうやら、関節が外れていたらしい。
「満身創痍だな、団長」
「うん。こんな風になったのは初めてだよ」
こんな状態だと言うのに、面白くなってきた、と笑う神威。
末恐ろしい奴らだな、とこれからの航海に不安を抱いたのも、無理からぬ事だった。