丸い窓の外は闇。
ちらほらと浮かぶ星は、女性ならば素敵と目を輝かせるものなのだろう。
しかし、紅はその光景に何の感情も抱かない。
感情を映さない目で窓の外を見つめ、指先ひとつも動かそうとしない彼女。
部屋の扉に鍵をかけることは出来るけれど、かかってはいない。
四肢どころか身体を拘束するものも何一つ存在していないけれど、彼女は一歩も動こうとはしなかった。
たとえば足を動かしたとして、一体どこへ行けと言うのか。
宇宙に飛び出してしまった船から逃れる術など持ち合わせてはいない。
紅は傍らに置いていた刀を手に取った。
スッと左右に手を引けば、すらりと美しい刀身が露になる。
これで急所を突けば、一瞬で終わる。
生きているだけの生活が終わると言うのに、それを実行に移すことができない理由はただひとつだ。
「また子は大丈夫かしら…」
声を出したのは久しぶりの様な気がする。
脳裏に浮かぶあの日の彼女はその身を赤く染めている。
命に関わるものではなかったと思うけれど、かすり傷とは言えない怪我だった。
“人間”の身体を考えれば重傷と表現するのが相応しいと思う。
そんなことを考えていた紅は、ふと自嘲の笑みを零した。
半分とはいえ天人の血が流れる彼女は、怪我の治りが早い。
身体も多少丈夫にできているらしく、怪我そのものも人間ほど多くはないのだ。
自分があまり怪我を負わない所為か、程度がわからなくなっているらしい。
命の危険があるかないか、それ以外が酷く曖昧になっている。
「私も…所詮、天人か…」
今までがおかしかったのだ。
天人の血が流れている自分が彼らと行動を共にしていた事が、おかしかったのだ。
もっと早くにこうあるべきだった…そう思えば、少しは楽になれるだろうか。
紅は無言で刀を鞘に戻した。
「ねー阿伏兎」
「何だ、団長」
「どうやったら感情が戻ると思う?」
ギィ、と椅子を鳴らしてそう問いかけた神威に、阿伏兎は怪訝な表情を見せた。
机の上の書類には一切手がつけられていない。
確か今日が提出だったよな、と思いつつも、見なかったことにした。
「何の話だ?」
「前は怒りとか憎しみとかさ。そう言うのはあったんだけど。今は無表情すぎて面白くないんだよね」
だから何の話だ、と心中で溜め息を吐く。
説明の下手な上司を持つと苦労するものだ。
自身の運命を恨みつつも、彼の話を頭の中で整理する。
「団長が拉致してきた竜陣族の姫さんの話か…」
「そうそう。攻撃して来てもいいよって許可してるのに、一向に向かってこないしさ」
「そりゃ、元の場所がよほど居心地が良かったんだろうさ。
感情を戻したけりゃ元の場所に―――いや、何でもねぇ。悪かった」
言葉の途中で、神威の笑顔が深くなったことに気付く。
あの笑顔は危険だ。
あれは、「今のは気に食わなかったぞ」と言う笑顔だから。
「そもそも、あの姫さんは何なんだ?こっちはその説明も貰ってないんだがな」
「前に調べさせたんだけどさ。俺の血って竜陣族と相性がいいんだって。強い子が生まれるんだよ」
だから連れてきた、と笑顔で語る神威に、阿伏兎は頭を抱えたくなった。
確かに滅びたとも噂される竜陣族の女を探すのは骨が折れる。
だからと言って、見つけた女を拉致していいはずがない。
海賊なのだから今更人としての道理を説くつもりはないが、一言、言いたい。
「諦めろ、団長」
言い終わるが早いか、何かが頬を掠めた。
頬がチリッと痛いし、後ろの壁からドゴンと変な音が聞こえた。
原因である神威を見るが、何食わぬ顔で「役に立たないなぁ」なんて文句を零している。
「面白くないんだよ。人形みたいでさ。逃げないけど、全部諦めたみたいな顔で窓ばっかり見てる」
「あー…じゃあ、あれだ。少しくらい休ませてやれよ。団長のことだからかなり無理させてるんだろ?」
「無理?何が?」
きょとんとした神威に、阿伏兎は心中の苛立ちを飲み込む。
やることはやってんだろうが、と口元を引きつらせながらそういえば、あぁ、と頷く神威。
「やってないよ。あんな眼のあいつが欲しかったわけじゃないし」
「…団長、あんた…嘘だろ?」
相手のことなど関係なく自分の思うままに動く唯我独尊な男。
一度床を共にした女でも、気に入らなければぷちっと殺してしまうような男。
阿伏兎の中で、神威はそういう男だと認識されている。
そんな男が、面白くないと思う女を生かしている?それも、手を出さずに?
天地がひっくり返るよりも驚いた。
開いた口がふさがらないと言うのは、まさにこの事だろうか。
「おいおいおいおい。本気かよ…」
この男に限って、と思うけれど、浮かんでしまったひとつの仮説が頭から消えない。
もしかして、もしかするのだろうか。
ありえないだろう、と否定してから、いやしかし、とそれを更に否定。
阿伏兎の脳内は、今日も今日とて大忙しだ。
絶賛忙殺中彼の脳内で、ふと嫌な予感が浮かんでしまった。
「団長。ひとつ聞いていいか?」
「何?」
「あの姫さん…名前くらいは知ってるよな?」
両者の間に沈黙が下りる。
そうだよな、名前くらいは知ってるよな。
そう言おうとして開いた阿伏兎の口が言葉を発する前に、神威が呟いた。
「そう言えば、知らないや」
「悪いことは言わん。まずはそこから始めろや、団長」
色々と段階をすっ飛ばしすぎだ。
「初めから?面倒だな」
「感情がなくなってるのが気になるなら、まずは姫さんの事を知ってやれ。そうすれば何か浮かぶだろーよ」
「…ま、いいか。暇だし」
少し悩んでいたようだが、神威はひょいと椅子から降りてドアへと向かう。
そして、振り返ることなく部屋を出て行った。
未だかつて見たことのない神威だ。
驚き以上の何かこみ上げるものを感じて、阿伏兎はやれやれと肩を落とす。
「団長が惚れる?ありえねぇよ。冗談きついぜ」
言い聞かせるように呟いた言葉は、弱すぎて逆効果だった。