手首に残る手形が消えない。
まるで、あの日の事を忘れさせないと言っている様だ。
半分の天人の血のお蔭と言うべきなのか、今まで男に敵わないと感じたことはなかった。
男所帯では少し線が細いと言うだけで、男装している身であっても性的に危険な目に遭うことはある。
しかし、紅はいつでも己の力でそれらを返り討ちにしてきた。
そうしている内に高杉が隣に立つようになり、無謀な輩は消えたと言ってもいい。
偶に酒の所為で絡んでくる愚かな人間は居たけれど、翌日にはその姿を見ることはなくなっていた。
自分の置かれていた状況を思い出した紅は、静かにその身を抱き締めた。
己の力…この身体に流れる竜陣の血を過信していたのかもしれない。
守られていたのだと―――そう、自覚した。
「晋助…」
戦って負けるのならば諦めは付く。
しかし、彼女は一矢報いるどころか、逃げることすら叶わなかった。
あんな恐怖を感じたのは生まれて初めてのこと。
また、あの夜兎と出会ってしまったら―――不安が、身体を芯から凍らせていく。
「あ、いたいた。姐さん!!」
向こうの方から声が聞こえて、過ぎる程の反応を見せてしまった紅。
振り向く彼女の顔に浮かんでいた一瞬の表情に、声をかけた来島が首を傾げた。
「姐さん?何か…前の星から帰ってきてから、顔色が悪いっすよ?………まさか、どこか怪我でも…!?」
勝手に想像を膨らませて慌てる来島に、違うのだと首を振る。
「大丈夫よ。心配させたなら、謝るわ。怪我は…していないから」
気にしないで、と言う言葉が二人の間に線を引く。
そして、紅は彼女が何かを言う前に、その用事を促した。
納得はしていない様子だったけれど、目的があったのだろう。
その話はひとまず置いておいて、ここに来た理由を明かした。
「晋助様が呼んでるんす。前に話していた…何とかって言う宇宙海賊との交渉の話で、姐さんが必要みたいで」
流石っすね!と拳を握って自分のことのように喜ぶ来島。
高杉晋助と言う人は、よほどのことがない限りは勝手に話を進めてしまう。
ある程度進み、もう止まらないと言う時点で漸く幹部がその内容を告げられるのだ。
しかし、紅は違う。
考察の段階から彼の話を聞き、意見できる立場にある、唯一の人だ。
「疲れてるなら無理しちゃ駄目っすよ。晋助様も心配します」
「うん。わかっているわ」
大丈夫。
そう言って笑う彼女は、来島にとっては尊敬すべき上司であり、そして姉のような存在でもあった。
肉体的な強さに憧れて高杉と共に行く事を決めて、精神的な強さに憧れて紅を慕う。
大好きな二人が互いを信頼し合う光景は、来島にとってはとても嬉しいものだった。
テロだの何だのと悪く騒がれる位置にあり、ある意味では正義とは逆方向にいる鬼兵隊。
世間的には悪と称される自分たちだが、それはあくまで他人の物差しによる判断だ。
憧れる気持ちも、何かを守りたいと思う気持ちも―――他の人と、何ら変わりはない。
「ありがとう、また子。行って来るわ」
スッと腰を上げた紅を見て、来島はとんでもない、と首を振る。
礼を言われるような事はしていない。
「頑張ってください!宇宙海賊との交渉が上手く進めば、有利になること間違いなし!」
「…そうね」
そう言って微笑んだ紅。
ふと、来島は彼女の手首に視線を落とした。
着物の裾から覗く手首には、見慣れない包帯。
「姐さん、それ―――」
触れようとした手は、驚くほどに素早く離れた紅の手により、目的地を失う。
その反応を不思議に持った来島が顔を上げると、また、あの表情が見えた。
「…もう仕事に戻ってくれていいから」
追求を避けるように、彼女はくるりと踵を返し、足早にそこを去る。
残された来島は、不自然に手を持ち上げたまま動けなかった。
突き放すような声は冷たく、まるで彼女ではないような錯覚すら起こす。
「姐さん…何かあったんすか…?」
言葉に出来ない不安。
慕う彼女が変わってしまうような気がして、来島はギュッと唇を噛み締めた。
「晋助様、お願いだから気付いて…」
彼女が彼女であるように。
切なる願いが二人に届くことはない。
「団長。やけに機嫌がいいな」
「そう?まぁ、その通りかもね」
ニコニコと笑顔を浮かべているのはいつものことだ。
しかし、鼻歌を口ずさんでいるのだから、その機嫌の良さは明らかだろう。
「…あんたのその機嫌の良さは不気味だ」
この若すぎる上司が鼻歌など、気味が悪い。
よくないことが起こるに決まっている、と阿伏兎はこれからを思って溜め息を吐き出した。
そんな部下を見て、神威はより一層笑みを深める。
「失礼だなぁ。不気味だなんて。楽しい時に楽しいと笑うのは普通だよ?」
彼自身が楽しいと感じる内容が重要なのだ。
阿伏兎の心中を他所に、彼はクスクスと笑う。
「次はどこに行こうかな。簡単に見つけちゃったら、面白くないしね」
「…団長、今日は上のお偉方から地球の連中との交渉に当たれって言われてなかったか…?」
予定を思い出すようにしてそう呟く阿伏兎。
そう言えば、とその予定を耳にしていたことを思い出したけれど、交渉なんて面倒は性に合わない。
「そんなの、俺がすっぽかせば別の奴が行くよ」
「命令ってのはすっぽかす為にあるんじゃないんだがな」
「俺の癖は上の連中の方がよく知ってる。
近くの星で春雨にたてついた連中がいたってぼやいていたから、それを片付ければ文句は出ないよ」
そうと決まれば、と戦うことに関しては軽い腰を持ち上げ、さっさと歩き出す神威。
阿伏兎はその背中に揺れる三つ編みを見ながら、本日何度目かの溜め息を吐き出す。
「…興味深い奴でも見つけた、か。あの団長に気に入られるとは………気の毒に」
彼と言う夜兎の性格を知っているからこそ、相手に対しては同情の心しか浮かばない。
その命がいつまでもつのかはわからないが…全く以って、気の毒なことだ。
上司を通り越して自分に向けられるであろう命令違反と言う名の愚痴を想像して、どんよりと気分を重くした。