「初めまして、竜陣族のお姫様」
にこりと笑った青年に、何故か背筋が粟立つのを感じた。
一目見て、本能的な恐怖を感じたのかもしれない。
「あなたは…誰?」
「通りすがりの夜兎とだけ言っておこうかな」
敵か味方かもわからない相手に、怯えた顔など見せられない。
唇を引き締め、青年を見上げた。
青年の笑みが深められる。
「…血の臭いがする。あなた、とても多くの人を殺してきたでしょう?」
「へぇ、わかるんだ?君もあんまり変わらないと思うけどね」
彼はそう言って、とても楽しそうに笑った。
真意を悟らせない表情は、崩れることなく笑顔を浮かべている。
「所で、前に別の星で会ったのを覚えてる?」
ふと、前触れもなくそう問いかける彼。
その言葉に、否応無しに記憶を探る。
こんな男を見た覚えは、ない。
「…生憎だけれど」
「そっかー。鶏頭の連中が仕切ってる星なんだけど」
覚えてない?と再度質問を重ねられても、やはり記憶の中に彼の姿はなく。
「―――…」
沈黙を返すことしか出来ずにいると、彼は残念そうに肩を落とした。
「覚えてないかー。残念」
「…それがどうかしたの?まさか、一目惚れなんてありきたりな事は言わないでしょう?」
「まぁね。でも、運命とか言えば、嬉しいんじゃないかと思って」
その言葉が出ている時点で、真に相手を思ってそうしているわけではないとわかる。
ただ、形式染みた幸せを演じ、与えようとしているだけだ。
「…女が皆、そんな非現実的で形のないものを好むとは思わないで」
「だろうね。そんな女は願い下げ。ま、さっきの戦う姿はそそられるものがあったよ」
そそられる、と表現した彼の表情と声。
再び、ゾクリと背筋が粟立った。
「―――私に何の用?」
話題を変えることで、その感覚から逃れようとした。
彼はあえてその思惑に乗り、ころりと表情を変える。
同じ笑顔と言う表情なのに、それが変わると理解できるほどに、彼の表情は変化する。
「うん。俺の子を生んでもらおうと思って」
固まった時間は、一瞬ではなかった。
彼の言葉の意味が理解できない。
「…は?」
間の抜けた声を上げても、彼は笑みを崩さなかった。
楽しげに笑い、説明するように続ける。
「君の子は、遺伝子的にかなりの確立で強い子が生まれそうなんだ。まぁ、竜陣族だしね」
君の、子。
その言葉の意味は理解できる。
しかし、初対面の男の口から飛び出す言葉としては、それはあまりに不自然なものだ。
「な…何を寝惚けた事を…」
「俺も半信半疑だったんだけど。ガセネタでどうでもいい女を孕ませるのも面倒だし。
さっきまでは、そう思ってた。でも―――」
彼の手が伸びてきて、逃げる暇もなく顎を掴まれる。
青年と呼ぶには少し小柄な彼は、自分とそう身長が変わらない。
けれど、何だろうか。
この身体から感じる、刺すような威圧感は。
「気が変わった。アンタを俺のものにするよ」
最早、大人しく話を聞いている理由はなくなった。
顎を捉える手を振り払えば、彼は驚いた様子もなく一歩だけ身を引く。
「黙って聞いていれば…ふざけないで!」
「ふざけてないよ。真面目も真面目―――本気だよ?」
その目は、確かにふざけている様子はなかった。
本気だと言う彼の目が、肉食獣のそれにも思えてくる。
―――この男は危険だ。
本能がそう悟るのと同時に、強く地面を蹴ってその場から走り出す。
目的地など必要ない。
ただ、男から逃れるのみ。
「あはは!逃げるんだ?うん、賢い選択だね。でも―――正しい選択じゃない」
随分と遠くに聞こえていたはずの声が、すぐ後ろで。
腕を掴まれて、それを背中で固定され―――気がつけば、地面に伏す形で完全に抵抗する術を失っていた。
「自分より疾い相手からは逃げられないよ?」
相変わらず浮かべられている笑顔が憎い。
こんな時、純粋な天人として生まれてこなかったことが悔やまれる。
純粋な竜陣族だったならば、本性を表せば、この程度の男に捕らえられることなどありえなかった。
「放せっ!!誰がお前なんか…っ!!」
こんな突然現れ、訳のわからないことばかりの男に良いようにされるなど、プライドが許さない。
何より―――
「…ふぅん。もしかして、好いた男に操を立てるタイプかな?もしくは…恋人がいる」
「―――っ」
思わず息を呑めば、男は楽しげに「当たり」と笑った。
「ふざけるなっ!!」
「真面目だって。そっか…恋人がいるんだ。まぁ、その方が面倒がなくていいかな」
「恋人がいる女のどこが面倒じゃないんだ!?」
相手の男のことを考えれば、面倒など山のように出てくる。
それを面倒じゃないと表現する男に、怒鳴るようにしてその疑問をぶつけた。
「面倒だよ。初めての相手は色々とね。その辺は察しなよ、ガキじゃないんだから」
クスクスと笑われ、男の言葉の意味を理解する。
同時に、カァッと頬に熱が集まるのを感じた。
子を成すと言うことがどう言う事なのか。
それを理解していないわけではなかったけれど、こうして決定付けられるのとは訳が違う。
不思議と死の危険は感じなかったけれど、代わりに身の危険を感じた。
「あぁ、そう言えばまだ名乗ってなかったね。俺は神威。夜兎の神威だよ」
無理に覚えなくて良いよ―――男はそう言って笑った。
「嫌でも、忘れられない名前になるから」
目が笑うのをやめて、全身が硬直するような表情を見せた。
背中を見せているはずなのに、その眼差しに気付く。
つぅ、と頬を汗が伝い、ぽたりと地面に落ちた。
逃げられないならば、いっそ殺して欲しい。
戦い、散ったならばまだ許せる。
しかし、この男は決して自分を殺しはしないだろう。
頭が、身体がそれを理解するのと同時に、ぎりっと唇を噛み締めた。
―――助けて。
彼に助けを求めたことなどない。
けれど今、切実にそれを望んだ。
「へぇ…泣いてるんだ?」
男の手が頬へと伸びてきて、笑いながらそう紡ぐ。
それを聞いて、初めて自分が涙を流していることを知った。
涙など、もう覚えていないくらい昔に流して以来だ。
「そっか。そんなに大事な男がいるんだ」
んー…、と何かを考えるように声を発する間、男の視線から逃れることが出来た。
彼が何を見ているのかを確かめる気力はない。
「じゃあ、一回だけ逃がしてあげる」
拘束が緩んだ。
迷いなくそれを抜け出し、一気に距離を取る。
辛うじて立っているけれど、言葉に出来ない威圧感に耐えていた身体は限界まで疲労していた。
肩で息をする自分をその場から動くことなく見つめる男。
「どこか遠くに逃げるなり、その男に縋るなり…好きにすれば良いよ。
死んでも―――良くはないけど、多分、アンタには出来ないね」
「……………」
「次に捕まえた時は、逃がさないよ。精々、死ぬ気で逃げて、見つからないようにね」
行きなよ、と手を振られ、それを見届けることなく走り出す。
また追いかけてくるかもしれないと思ったけれど、追跡はなかった。
姿も気配も消えて、その場には神威の他には誰もいない。
孤独の中にいながらも、彼はそれを微塵も気にすることなく、笑った。
「イイ女だったなー。うん、探すのが楽しみになってきた」
そう遠くはない未来に出会うであろう、彼女の姿を思い浮かべ、静かに口角を持ち上げる。