山本くんのお姉さん
「紅、今日も出かけるのかい?」
「もちろん。今日は南の方へ出かけてみようと思って。オススメのお店とかある?」
「ああ、それなら―――」
仲良くなったホテルマンから色々と話を聞いて、ホテルを出発する。
さて、今日も残り少なくなったイタリア生活を満喫しよう!と意気込んでいた矢先。
まさか、ホテルを出て30メートルで誘拐される羽目になるなんて…誰が想像しただろう。
護身術としての必要最低限の枠よりは二歩・三歩進んだ実力を持っている事は否定しない。
とは言え、それはあくまで一般的に見たレベルの話。
相手が裏社会で暗躍するような人間だった場合は、全く役に立たない。
あ、と思った時には、もう遅かった。
パチッと目を開く。
勢いよく身体を起こし、自分がソファーに横たわっていたのだと知った。
ぐるりと見回した室内には、あちらこちらに高級感のあるインテリアが置かれている。
手をついているソファーも、たぶん高級品。
「…どこよ、ここ…」
脇に無造作に置かれていたバッグを膝の上に引き寄せる。
中に入っていた携帯電話を取り出し、それを開いたところで部屋のドアも開いた。
もちろん、自動ドアと言うわけではないので、開いた人物がいる。
顔を上げた紅の目が、あ、と気付いた。
「あの時の」
「あら、起きたのねー。もう少し眠ったままだと思ってたけど…意外と丈夫ね」
一瞬、耳を疑った。
少なくとも、筋骨隆々な成人男性の口から飛び出すような口調ではなかったからだ。
しかし、紅の脳はそう言う常識の枠を飛び出す事柄に対して、驚くほどに寛容だ。
混乱はものの3秒で、その後は「これも個性」と割り切ってしまう。
「…私に何か御用ですか?」
この筋肉が見せかけには見えないし、何よりピリピリと肌を刺す威圧感がある。
たぶん―――この人は、裏の人だ。
紅は開きかけた携帯を閉じ、意識をその人へと向けた。
ずかずかと大股で紅に近付いてきた彼は、腰を折る様にして彼女の顔を覗き込む。
思わず逃げるように仰け反る紅。
「んー…普通の子に見えるけど…どこが気に入ったのかしら」
「…あの…」
近いんですけど、とは言えないので、その続きは黙り込んでしまう。
相手が満足するまでを耐え、漸く顔が離れたところで小さく息を吐き出す。
サングラス越しとは言え、値踏みするように見つめられるのは気持ちの良いものではない。
「ま、どうでもいいわ!とりあえず、スクアーロが帰ってくるまでこの部屋から出ちゃ駄目よ」
興味を失ったかのように、彼はドアの方へと歩く。
そして、部屋を出る直前、思い出したように紅を振り向いた。
「下手に出歩いたら―――死ぬわよ」
楽しげな口調でそう言い残し、彼は去って行った。
再び部屋の中に一人と言う状況に逆戻りしてしまった紅。
「…スクアーロって誰」
結局、何一つ会話が成立していなかったと…今になって、気付く。
まだ傷も癒えていないと言うのに、上司が容赦ないお蔭でスクアーロに休みはない。
半ば八つ当たりのように任務を片付け、本部へと戻った彼は、報告を終えて廊下を歩いていた。
その時、向こうからやってきたルッスーリアが「見つけた」と喜びの声を上げる。
「やっと帰って来たのね。待ちくたびれたわよ」
「…何だ?」
「西の応接室に行ってみなさい。イイものがあるから」
本人は笑顔のつもりだろうけれど、ガタイの良い男の笑顔に魅力を感じられるはずもない。
眉間の皺を深めるスクアーロに、彼はもう、と口を尖らせた。
さりげなく視線を逸らす。
「早くいかないと、ベルあたりが気付くんじゃないかしら」
「…あいつがどうした?」
「あ、そうそう。お店だけど、いくつか書いておいたわ。起きたみたいだし、本人と相談したらどう?」
はい、と紙切れを握らされる。
広げたそこには、いくつかの店の名前と簡単な所在地が書かれていた。
そう言えば、今朝、任務に出る前にこいつと会った時にそんな話をしたな、と思い出す。
「お店?何の―――って、女ね!どんな相手なの?」
「普通の日本人だ………気色悪いから近寄るな!!」
「何の騒ぎ?」
「聞いて!スクアーロに春が来たみたいなのよ!」
「テメーら…うるせぇ!!散れ!!集まんな!!!」
その後は強引に本部を出たので、どういう会話になったのかは知らない。
それにしても―――スクアーロは、脳内で先ほどの会話を整理する。
そしてふと、一つの可能性に行き着いた。
まさか―――そうは思うけれど、やりかねない連中だ。
「昨日のスクアーロに残っていた気配でマーモンに念写してもらったから、間違いないわよ!」
ぐっと拳を握り、親指を立てる。
そう言う問題じゃねぇ!!と怒鳴る暇すら惜しいとばかりに、スクアーロは走り出した。
もちろん、すれ違いざまにルッスーリアを蹴って行く事は忘れない。
―――何の見返りも求めないけど…気になるなら、今度会えたら美味しいジェラートでもご馳走してくれればいいわ。
彼女がそう言っていたから、何となく店を探してみた。
だが、自分一人では知識など高が知れている。
ふとした思い付きで、その手の事に詳しいルッスーリアに聞いてみたのが間違いだった。
まさか、ヴァリアーの本部に誘拐してくるなんて…誰が想像しただろうか。
半ば蹴破る勢いで応接室のドアを開く。
「―――………おい」
思わず、そんな声が零れた。
護身術程度は身に着けているらしいが、それでも一般人とそう大差はない。
そんな彼女がヴァリアーにいて、もし他の隊員に見つかったらと思って走ってきた。
そう、スクアーロは彼女の身を案じてきた、はずなのだ。
「………寝るか、普通…」
脱力するのも無理はない光景が目の前にあった。
一人で腰かけるには広すぎるソファーで、背もたれに沈み込んで小さく寝息を立てている彼女。
あの月夜の下で見た彼女に間違いはない。
少なくとも、同意を取るような連中ではないので、彼女は攫われてきたのだろう。
そのはずなのだが…寝ているのだ、この状況で。
「図太すぎるぞ…」
どんな大物だ、と呆れてしまう。
歩幅を大きく近付くスクアーロ。
荒い足音は毛足の短い絨毯によって吸収される。
ソファーの前に立っても、彼女は気付く事無く穏やかな表情で寝入ったままだ。
ヴァリアーではありえない緊張感のなさが、彼女が一般人である事を物語っている。
短く溜め息を吐き、彼女を起こすべくその手を伸ばした―――途端に。
「!」
先ほどまでの暢気な寝顔が一転。
パチッと目を開き、それに気付くと同時に視界が反転する。
腕を引かれ、足を払われ―――いつかと同じように、背中でソファーに着地した。
もちろん、マウントポジションには彼女がいる。
あの時と違うのは、首に冷たい何かが押し当てられている事だろうか。
―――この女…。
スクアーロは眉を顰めて彼女を見上げる。
油断していたと言っても、スクアーロはヴァリアーのボスとして候補に挙がった男だ。
怪我が治っていない事を差し引いても、好き勝手に上に乗られるほど落ちぶれてはいない。
その自分を、大した腕力もなくあっさりとひっくり返している彼女。
彼が驚くほどに、彼女はタイミングと重心のずれを上手く利用する。
柔よく剛を制す、彼女の動きは、正しくそれだ。
「…あら?」
自分が下敷きにしている男を見て、紅は二・三度瞬きをした。
これが、二人の再会だった。
11.11.22