雲雀くんのお姉さん
「ちょっと、そこの野球少年」
そう呼びとめられて振り向いた先には、年上と思しき女子生徒。
この制服は…そう、確か並盛高校のものだ。
肩あたりまで伸びた癖のないストレートの髪が揺れ、素直に「綺麗だ」と思った。
切れ長の目がにこりと弓なりに笑みを浮かべる。
「何スか?」
「部活中にごめんね。確認したいんだけど、今の風紀委員の活動場所は応接室で良かったかな?」
「あー…はい。でも、危ないから近付かない方がいいッスよ」
応接室での一件を思い出し、そう助言する。
並盛高校の生徒が風紀委員に何の用事なのかはわからないが、あそこは不必要に近づくべきではない場所だ。
そう言うと、彼女はクスリと笑い、大丈夫、と頷いた。
とそこで、カキーン、と言うヒット音が聞こえる。
「うわ、馬鹿…!!」
「山本ー!!!」
焦ったような声に、彼女の肩越しにグラウンドを見る。
そこで、風を切って真っ直ぐこちらに向かってくるボールに気付いた。
このままでは彼女の後頭部に直撃するコースだ。
部員の声に気付いたのか、彼女もまた、そちらを振り向く。
山本は咄嗟に彼女の腕を引いて自分の後ろへと庇い、もう片方の手で担いだままだったバットを握った。
フォームを気にする事無く片手で力の限り打ち返したボールは、綺麗な弧を描いて校舎の方へと飛び―――
「…やべ」
山本の小さな呟きと同時に、どこかの窓ガラスが、割れた。
あちゃー、と気の抜ける声を発した後、彼はくるりと彼女を振り向く。
何を思っているのか、彼女はきょとんとした表情で瞬きをした。
「大丈夫ッスか?」
「うん、私は。でも…」
「あぁ、お姉さんが気にする事ないッスよ。俺から顧問に事情を話して、謝っておきますから」
彼は、彼女に一切の罪悪感を抱かせないような、すっきりした笑顔でそう言った。
それから、彼女を校舎へと促す。
またね、と言い残すと、彼は爽やかな笑顔を返してくれた。
借りたスリッパではローファーのようにカツカツと足音を鳴らすことは出来ない。
パタパタと間抜けな足音をさせてそこへと辿り着いた紅は、バンッと勢いよく応接室の扉を開いた。
ここが風紀委員の活動場所と知りながらこんな事をするのは、彼女くらいのものだろう。
「恭弥、聞いて!」
迷いなくそこへと踏み込むと、ソファーの所でトンファーを構える恭弥がいた。
彼は紅の姿を捉えると、何だ、とばかりに腕を下ろす。
「どんな勇者が乗り込んできたのかと思ったよ」
「あら、お楽しみを奪っちゃった?ごめんね。それより、呼びつけるなら部屋を教えてくれないと」
困っちゃうじゃないの、と笑う彼女の声は軽い。
そして、恭弥の向かい側のソファーに腰を下ろしながら、ぐるりと室内を見回した。
「ふぅん…応接室をこうやって使うのも悪くないわね。私の時は生徒会室だったけど…あそこ、不便だった?」
「生徒会が邪魔」
「そっか。恭弥は風紀委員だけだものね」
隠すまでもない事であるが、紅は並盛中学校の卒業生であり、風紀委員会の創設者。
彼女が生徒会長に選ばれて二日後、規律の乱れた学校を見て「風紀委員会を作る」と言った。
その三日後には風紀委員会が出来上がり、彼女が生徒会長と風紀委員長を兼任した。
その実行力は素晴らしく、口に出したことは100%、実現してしまう。
生徒からの人望は厚く、教師でも迂闊に逆らえない生徒。
それが、紅であり、今の風紀委員の基盤を築いた人物なのだ。
「それより、何を聞いてほしかったの?」
「そうそう!すっごく爽やかで紳士な野球少年を見つけたの!」
表情を輝かせた紅に、雲雀は「へぇ」と珍しいものをみる表情だ。
彼女の興味を惹くような人物がこの学校にいたのか。
新たな発見は、自然と口角を持ち上げた。
「あれは、将来が楽しみな子だわ」
あの状況で咄嗟に女の子を庇える中学生は少ない。
そもそも、紅自身が“庇われる”事がないと言っても過言ではなかった。
何故なら、紅は風紀委員の基盤を築いた人物―――雲雀紅と聞けば、この辺りの不良は顔色を蒼くする。
当然、真っ直ぐ飛んでくるボール程度が彼女の障害になるはずはない。
避けようと思えば避けられたし、受け止める事も然り。
彼は紅が“そう”だとは知らなかったにせよ、あまりにも当然のように庇ってくれた。
そんな彼に、不覚にもときめいてしまった自分がいた事を否定できない。
あんな風に誰かの背中を見たのは、初めての事だった。
そんな事を考えていた紅は、ふと窓からの風を感じてそちらに視線を向けた。
「…って、恭弥、あれ…どうしたの?」
「あぁ…さっき、割れた」
これの所為でね、と取り出したのは、破裂した野球ボール。
恐らく雲雀のトンファーの餌食になったのだろう。
―――そんな事よりも。
「恭弥。野球部をどうするつもり?」
「さぁ…どうしようかな」
応接室の窓ガラスを割った罪は重い、とばかりの表情だ。
実に楽しげな弟の表情に、紅は溜め息を吐き出し、ねぇ、と声をかけた。
「お咎めなし、にしてくれない?」
「何で?」
即座に不満を露わにする恭弥に、事情を掻い摘んで話す。
「お願い」
「………」
「…恭弥」
「………はぁ…わかった。姉さんに免じて、今回だけは目を瞑ってあげる」
折れたのは恭弥。
第三者が見れば目と耳を疑う事態だが、紅と恭弥にとっては割と日常的だ。
紅自身が“お願い”する事は少ないけれど。
「ありがとう」
お礼と一緒に、自分と同じ髪質の頭を撫でた。
「なー、山本」
「ん?」
「あの時一緒だった女子高生って、もしかしてさ…雲雀紅じゃねぇの?」
「雲雀…?あの風紀委員の雲雀の関係者か?」
「山本、知らねぇのか!?雲雀紅って言えば並盛ではめちゃくちゃ有名だろ!!」
「関係者どころか実姉だって!でもって風紀委員の創設者!」
「へぇ…あの人が。そう言えば、目が雲雀によく似てたな」
「お前…!どんだけ他人事なんだよ!今から応接室に謝りに行くんだろ!?」
「死ににいくようなもんだぞ!?」
「そんな大袈裟な。その…紅さん?が事情を話してくれてるかもしれないだろ」
「何だってお前はそんなに呑気なんだ…!!」
「いや、寧ろこれでこそ山本だ…」
「つーか、俺も雲雀紅を生で見たのは初めてだな…遠目だったけど」
「噂によると、でかい不良を一発で伸す大女だとか」
「二目と見られない酷い顔だとか、逆に絶世の美女だとか」
「真相はどうなんだ、山本!?」
「んー…普通に綺麗な女の人だったぜ?あ、でもきょとんとした顔は可愛かったな。
っと。俺、とりあえず窓の事謝りに行ってくるわ」
「………」
「………」
「………山本だな」
「………あぁ、山本だ」
「何か、アイツが女を綺麗とか可愛いとか言ってんの初めて聞いた気がする」
「そう言えば…。いつもその手の話には無関心だからなぁ…」
「………」
「………」
「…無自覚か?」
「…あいつだからな…」
「何だって初っ端から雲雀紅みたいな難易度の高い女に…!」
「いや、まだそうと決まったわけじゃ…」
11.05.15