百花蜜
「あの幻騎士…信用できますか?」
窓から下を見下ろしながら、紅がそう呟いた。
部屋の中に置かれたソファーに腰掛けたまま彼女の方を見た白蘭は、にこりと笑う。
「大丈夫。それなりの成果はあげてくれると思うよ」
過度の期待はしていない。
全てを受け入れているように笑顔を浮かべながらも、白蘭は全てを拒んでいるように見える。
彼が心から誰かを信頼することはあるのだろうか。
見えなくなった幻騎士の背中を思い、そんな事を考えた。
「さて、と。来訪があるかもしれないから、準備しておいて」
「…来訪?襲撃の間違いでは?」
幻騎士が白蘭の命令を成功させたなら、来訪などという穏やかな言葉を使える状況ではなくなる。
しかし、白蘭はそうはならないと考えているようだ。
「ま、一応ね」
笑って誤魔化してしまう彼に、紅はそれ以上無理に問い詰める事は出来なかった。
半ば強引に食事に誘われ、VIPルームで白蘭の向かいに座る紅。
見つめられる事には慣れないながらも作法を誤る事ほど緊張しておらず、いつもと変わらぬポーカーフェイスだ。
腹具合も程よくなってきた頃、紅の携帯が着信を知らせる。
何かの報告かもしれないと思い、白蘭に一言断ってからそれを開いた。
相手はジェッソの部下だ。
部屋の外で応じようと席を立つ紅だが、白蘭に止められた。
その場で話していい、と言う事なのだろう。
目の会話に頷くと、彼女は席に座って電話を耳に添えた。
「―――はい。わかりました。結果は連絡します」
部下からの報告を受けた紅は、静かに電話を下ろした。
通話の間、黙々と食事を続けていた白蘭が紅を見る。
「ジッリョネロのボスが話し合いの場を設けて欲しいと」
「敵陣のど真ん中に乗り込もうなんて、度胸があるね」
「どうしますか?」
「いいよ。帰ったら、話を聞いても」
あいてる客間はあったかな?とのんびりした口調の彼。
そんな彼に、紅はふぅ、吐息を吐いてから鞄の中のパソコンを取り出す。
持ち運びに便利なポータブル型のそれは、彼女の持つポーチにも十分収納できた。
いつでも動かせるようにと、電源は切っていない。
膝の上で操作をして、今日の予定を確認する。
「…15時から下見を予定していましたが…変更しておきます」
「うん」
「10階の客間を押さえますので、そちらで行ってください。部下には連絡しておきます」
それだけを伝えると、部下へのメールを作り、送信しておく。
その他の出来ることを準備し終えた頃に、白蘭が食事を終えた。
「じゃ、帰ろっか」
心の中の読めない笑顔で、白蘭がそう言った。
昼食を終え、アジトに戻った紅はここでなければ整わない準備をする。
それが片付いた頃、正面入り口の前に黒い車が止まった。
下からの連絡を受けた紅は、白蘭に向き直る。
「到着しました」
「ん。時間通りだね」
満足げに笑う彼の向こうにエレベーターが到着する。
四人の男に囲まれるようにして現れたのは、まだ年端も行かぬ少女だった。
「あなたが白蘭ですね」
子供らしくない、冷静な声。
事実に驚く紅をちらりと横目で一瞥してから、白蘭はその少女を見る。
「えーと、誰だっけ…―――って、知るわけないか。見るのも会うのも初めてだもんね、ユニちゃん」
ニコリと笑う白蘭に、護衛の男がその視線を遮るようにと少女、ユニの前に立つ。
一気に警戒心を見せた男らに、紅もまた、白蘭の邪魔にならない位置で自身の武器を意識した。
そこから暫くは腹の探りあいのような会話が続く。
いや、ある意味ではその会話すら、既に白蘭の意のままだったのかもしれない。
「立ち話もなんだからゆっくり話そうか……………できればボス同士、水いらずで」
即座に否定したのは護衛の男だ。
しかし、それすらも遮るように、ユニはそれを了承した。
ジェッソのメンバーが話し合うのを横目に、紅は白蘭に近付く。
彼女が何かを言う前に、白蘭がその口を開いた。
「美味しい飲み物を用意してくれる?そしたら、下がってくれていいから」
「ですが…」
「ボス同士の話し合い。ユニちゃんがそれを了承するのに、僕が君を連れているわけにもいかないしね。
ついでと言ってはなんだけど、彼らをもてなしてくれるかな」
有無を言わさぬ、と言うのはこういう事を言うのだろう。
反論する余地などない。
「…わかりました。………どうか、無茶は…」
「大丈夫。話をするだけだよ」
無茶をしないで欲しい、と言うのはどちらに対する言葉だったのだろう。
白蘭を案じての言葉なのか、あの少女を案じての言葉なのか。
二人を招き、沈黙する扉を見つめながら、紅はそんなことを考えた。
白蘭に引き抜かれ、彼の下で働くようになってから数ヶ月。
もう何年も経っている様な錯覚を起こすほどに、仕事には慣れた。
けれど、どうしてもマフィア独特の冷酷な空気は好めない。
あのような少女がファミリーを背負ってこの場にいるという事が、酷く痛かった。
「白蘭は何を考えている?」
じっと扉を見つめていた紅は、ユニの護衛をしていた男に声をかけられた。
紅は扉から視線を外し、男の方を見る。
「…曲がりなりにも対談と言う場を設けている相手のボスを呼び捨てるとは…ボスの器が知れますね。
ユニ様は無礼をお許しになる方なのですか?」
冷静な言葉にカッと顔を赤くする男。
逆上するとわかっていてそう言った紅自身もまた、少しは平静を欠いていたのかもしれない。
「…今のはこちらが悪かった。申し訳ない。白蘭様は今回の対談をどう考えているのか…知っているか?」
別の男がその男を止め、一歩前へと進み出た。
彼らの中でも、まだ話がわかりそうだと判断し、こちらもまた、理性的な対応をする。
「…白蘭様は何もお話になりません。私が知っているのは、白蘭様のスケジュールとお好きな飲食類だけです」
彼に答える傍らで、紅は心中で自嘲めいた笑みを零した。
そう、自分は彼のことを殆ど知らない。
何を思い、何を考えて動いているのか。
未来どころか、明日への思惑すら聞かされていないのだ。
「…そうか。悪いな、変な事を聞いた」
「いいえ、構いませんよ。あの方は風雲のように掴みどころのない方ですから」
そう答えて扉を見つめてから、紅は改めて四人を見る。
「飲み物を用意しましょう。どうぞ、こちらへ」
「いや、結構だ。ここで待たせてもらう」
もてなしてくれと言われた以上、声くらいはかけなければならない。
もちろん、返って来た返事は予想通りだ。
他の男に目配せをしても、皆同じように首を振った。
どうやらその男一人の判断ではないらしい。
「わかりました。私もご一緒させていただきます」
「…あぁ」
長年敵対しているファミリーだとしても、誰かを案じる気持ちは、同じだったのかもしれない。
09.05.15