百花蜜
紅は画面に映し出される青年の顔を眺めながら、肩肘をつく。
仕事に対してはきちんとした態度をとる彼女には、珍しい行動だ。
ふぅ、と溜め息を吐き出す彼女の目線の先で笑う青年。
マフィアなどには全く無関係と言った様子で、屈託のない笑みを浮かべている。
映像が切り替わり、また別の表情が見えた。
5枚ほどの同じ青年の映像が流れ、人物が変わる。
中には、確かにマフィアと関係していてもおかしくなさそうな者もいるけれど、普通の青年としても通る者ばかり。
「彼らがボンゴレだと言うのだから…世の中はわからないものね」
タンッとキーを指先で叩く。
ボンゴレとの抗争などに、興味はない。
紅が彼らを敵と認識している理由はただひとつ―――彼らが、白蘭の前に立つから。
彼らがミルフィオーレを敵だと言うから、紅もそう思う―――ただ、それだけ。
きぃ、と背もたれに凭れかかる。
天井を見つめながら、紅はぼんやりと思考の波に身を任せた。
始まりは―――本当に、突然の出会いだった。
日本と言う島国で、特に目立つこともなく秘書として生きていた。
この会社では、社長室を美しく保つのも秘書の役目。
視界に潤いを、と花を飾るようになったのは、秘書に就任した二週間後だった。
中々上等なホテルの向かいに位置する、1フロアの小さな花屋が、紅の行きつけの場所だ。
常連となっている花屋に寄ってからの出勤が紅の日常となった、1ヶ月後。
「花が欲しいんだけど」
「え?」
近くに店員がいないにもかかわらず、そんな声が聞こえた。
店員は今、彼女の選んだ花の処理をしてくれているだろう。
反射的に振り向いた彼女に、ニコリと微笑みかける男性。
「あの…ごめんなさい。私、店員さんじゃありませんから」
こんなにかっちりとスーツを着こなした店員がいるはずがないだろう。
心中ではそう思いつつ、紅は営業用の笑顔を浮かべて対応する。
どこでどんな縁があるかはわからないのだ。
仕事中ではないからと、あからさまに失礼な態度を取るのは控えるべきであろう。
すると、男性は気にした様子もなく「そうみたいだね」と頷いた。
「潤いが足りないんだよね、僕の周り」
「…はぁ。それは…困りますね」
相槌を打ちかねて、そんな言葉が零れ落ちた。
そんな彼女に気にする様子もなく、彼は続ける。
「優秀で綺麗な花が欲しいと思ってるんだ」
そう言うと、彼は笑みを深め、「覚えておいて」と言って店を出て行った。
一人そこに残された紅は、彼の背中を見つめながらただ疑問符を連ねる。
「お待たせ、雪耶さん。…雪耶さん?」
「…あ、ごめんなさい。いつもありがとう」
「どうしたの?ぼーっとしてるなんて、珍しいね」
そう言いながら包んだ花を手渡してくれた彼女は、あら、と声を上げた。
その視線は、紅のバッグにある。
「四葉のクローバーね。久しぶりに見たわ」
「こんなもの、どこで…」
バッグに引っかかっているそれを指先で摘みあげる。
草むらに入った覚えはないし、況してやここで付いたと言うわけでもないだろう。
不思議そうに首を傾げる紅に、店員が笑顔を浮かべた。
「クローバーにも花言葉があって…約束、なんだって。誰かにもらったの?」
素敵ね、とそうであることを疑わない眼差しに、紅は困ったように微笑む。
いい子なのだが、少し想像力が豊か過ぎるところが玉に瑕だ。
「…あ、っと。そろそろ行かないと。じゃあ、ありがとう」
「また来てね~」
レジのところからひらひらと手を振られ、彼女に見送られる。
会社までの僅かな距離を、少し早足で歩きながら、握ったままだったクローバーを見下ろした。
「…約束、ね…」
あの、名も知らぬ男性の置き土産なのだろうか。
紅は二・三度頭を振ってそれを否定すると、手帳にはさんでバッグに押し込んだ。
仕事を始めてしまえば、言葉をかわしただけの男性のことなど、きっと忘れてしまう。
少し勿体無いような気もしたけれど、今は仕事の方が大切だった。
ふと、天井が消えた。
もちろん、本当に消えたわけではなく、ただ見えなくなっただけ。
それを遮ったのは人の手だ。
手の平で気づく―――なんて芸当は紅には出来ないけれど、この部屋に入ることの出来る人は限られている。
部屋に入ることができて、こんな行動を取る人と言えば、一人しかいない。
「目を開けたまま寝てた?」
「…いいえ。お帰りでしたか、白蘭様」
「うん。ただいま」
これ、お土産ね。
そう言って手渡されたのは、小さな白い箱。
形状と側面のロゴから、隣町の店のものだと悟る。
確か、一口サイズのマシュマロが有名なお店だったはず。
「寝てたんじゃないなら、考え事?」
「…そうですね。少し、昔を思い出していました」
「楽しいこと?」
「どうでしょう」
そう言って誤魔化しつつ、受け取った箱を片手に食器類を置いてある方へと歩く。
小皿を用意し、箱を開ければ、予想通りに色とりどりのマシュマロが詰め込まれていた。
適当な量のそれを皿に乗せ、ソファーに座る彼の元へと戻って、コトリとそれをテーブルの上に置く。
「あの写真の彼だけど」
「彼…?」
「ボンゴレの。初めの彼だけ、消しておいていいよ」
「え、でも…」
「もういないから」
白蘭の言葉に紅は驚いたように動きを止める。
恐らく、彼が言っているのは、昨日今日の出来事ではない。
何故、そんな重要なことを…と思いつつ、他の情報源を頼らなかった自分も悪いと反省する。
「これ…まだ持ってたんだね」
突然話題が変わり、紅は「え?」と顔を上げた。
彼が指先でもてあそんでいるそれを見て、先ほど以上に目を見開く。
「な、何でそれを…」
「デスクの上で見つけた」
「人のものを勝手に持ってこないでください!」
いつの間に取っていたのだろうか。
思わず額を押さえる彼女を前に、彼はクスクスと笑い声を零す。
「こうしてると、ただの野草でも中々綺麗だね」
5ミリほどのガラスに挟み込まれたそれは、あの日紅のバッグに挿し込まれていた四葉のクローバーだ。
何故か捨ててはいけないような気がして、知り合いに頼んで加工してもらった。
その後もずっと捨てることができず、デスクに飾っていたのを忘れていたのだ。
「はい」
そう言って差し出されるそれを受け取る。
その指先に違和感を覚え、紅は視線を落とした。
四葉のクローバーを挟むガラスの上に、もう一つの四葉が乗せられている。
「そっちが本命のお土産」
ニコリと笑い、それも大事にしてね、と言う白蘭。
草むらに生きているような草花なのに、何故こんなにも嬉しいのだろう。
まだ千切り取られたばかりと思しきそれを指先で撫でながら、紅は小さく微笑んだ。
08.07.21