百花蜜

「ねぇ、紅ちゃん?」

ソファーの背もたれにぐたりと背を預け、伸びをするように後ろにいる紅を見る。
逆向きに映った彼女は、軽く息を吐き出してからこちらを向いた。

「白蘭様。先ほどから仕事が進んでいないようですが?」
「うん。この二人だけど、どっちがいいと思う?」

ぺラッと二枚のそれを持ち上げた彼に、聞いてませんね…と溜め息を零す。
今時珍しく、紙面で送られてきている資料だ。
データを送ってきた方が嵩張らないのに…と思いつつ、ソファーの後ろまで近づいてそれを見た。

「あぁ、例の伝達係ですか?どちらも優秀な者ですから、白蘭様のお好きな方をお選びになってください」
「それじゃあ駄目でしょ」
「はい?」

こともなげにあっさりとそう言った彼に、首を傾げる紅。
新しい伝達係の採用に、自分の意見など必要ないはず。
そんな彼女の考えを読んだのか、彼はニコリと微笑んだ。

「だって、紅ちゃんも顔を合わせるんだよ?」

あぁ、そう言うことか。
例の警報騒ぎの翌日、紅の仕事部屋は最上階へと移った。
馬鹿みたいに広いこの部屋の一角にデスクを置かせてもらい、そこで仕事をこなしている。
白蘭の仕事状況が把握でき、更に報告などに時間がかからなくなった。
意外とメリットもあったな、と思いつつ、今日を迎えている。

「…白蘭様のお好みで構いませんよ。私は自分の仕事をするだけですから」
「うーん…じゃあ、どっちがブラックだと思う?」
「ブラック…ですか?」

そう言われて、改めてそれを見る。
二人の男の写真と経歴を交互に読んでみた。
確か、二人ともホワイトスペルだと思うのだが…。

「レオナルド・リッピ…でしょうか」
「何で?」
「………何となく、ですけれど」

頼りない答えを返すと、それを聞いた白蘭が突然笑い出した。
いつも笑顔を浮かべているが、こうして声を上げて笑うのは珍しい。
きょとん、と目を瞬かせた紅に、彼は手を伸ばして彼女の頭を撫でた。

「じゃあ、正チャンにそう伝えておいてくれる?」
「わかりました。―――何か、変なことを言いましたか?」
「んー?そんな事ないよ」

答えるつもりがないのだろう。
紅はそれ以上粘ろうとはせず、軽く肩を竦めてから自分のパソコンの前に座った。
そして、正チャン、こと入江正一へと返事のメールを送る。

「紅ちゃんは、何でレオ君がブラックだと思ったの?彼は、ホワイトだし、正チャンの推薦だよ」
「だから…先ほどもお答えしたように、何となくです。理由は私にもわかりません」
「そっか、うん」

今の会話のどこに納得できる部分があったのだろうか。
うんうん、と頷いている彼に、紅は心中で首を傾げる。
彼と言葉を交わしていると、疑問符ばかりが蓄積される。
いつか、この疑問符が綺麗さっぱり片付くことはあるのだろうか。

「やっぱり、紅ちゃんだね」
「…どうお答えすればいいのかわかりかねますが…」
「我ながら、優秀な人材を引き抜いたと思うよ」
「はぁ…光栄です?」

疑問形になってしまったのは、どこからそう言う話に進んだのかが理解できていないから。
そんな、不思議そうな紅の表情を楽しげに見つめる白蘭。

「そう言えば…伝達係が任命されたら、私の仕事がかなり減ってしまいますね」

喜ぶべきなのかはわからないところだ。
クビになってしまうかもしれないなぁ、と思いつつ、本文を打ち終えたメールを送信する。

「減らないよ?」
「伝達係と世話係で十分ですよね。秘書がいる方が不思議なのですが…」
「だから、減らないってば。紅ちゃんの仕事は両方だから」

いつの間に世話係まで含まれたのだろうかと思う。
しかしながら、クビにする様子など微塵も見られない、彼にどこか安心したのもまた事実。
結局のところ、彼の下で働きたいという気持ちに変わりはない。

「伝達係や世話係は外で仕事をしてもらうことも多いしね。紅ちゃんくらいだよ、一日中ここにいるのは」
「…元の仕事部屋は1階下ですけれど」

「所で、ここの結界はいつでも万全?」

また、何のかかわりもない話題へと移ったものだ。
突拍子がないのは今に始まったことではないので、紅は即座にそれを確認する。

「特に問題が起きたという話は聞いていませんが…確認しますか?」
「いや、いいよ。引き続き、よろしくね」
「伝えておきます」

そう言ってふと部屋の中を見回すと、観葉植物が枯れ始めていることに気付く。
室温が悪かったのだろうか、と思いつつ、それに近づいた。
葉の先から変色を始めているそれは、この部屋に飾っておくには適さないように思える。

「白蘭様。これは別のフロアに運んでもよろしいですか?」
「あぁ、枯れちゃった?この部屋が涼しすぎたかな」

振り向いた彼は、紅の提案に頷いた。
彼女一人でも十分に持ち運びが出来るサイズの植物。
ひょいとそれを抱えあげたところで、白蘭が「あ」と声を上げた。

「それの代わりがほしいな。紅ちゃん、用意してくれる?」
「はい。ご希望はありますか?」
「うん。アイビー」

彼の答えを聞き、紅はそれを脳内に浮かべた。
アイビーと言えば、それなりにポピュラーな観葉植物だ。

「花をつけませんけれど、それで構いませんか?」
「いいよ。でも、紅ちゃんが嫌なら、他のでもいいよ」
「白蘭様のお部屋なんですから、私の好みは言いませんよ」

そう言って、クスクスと笑う。
そんな彼女に、彼も笑みを浮かべ「花言葉」と呟いた。

「ちゃんと覚えてから、持ってきてね?」
「?わかりました」

花言葉が何の関係があるんだろう。
そう思いつつ、紅は彼の言葉に頷く。
とりあえず、これを下のフロアに運んで処理を頼んで、それから調べてみることにしよう。
そう思い、紅はそれを腕に抱えて部屋を後にした。


三日後、決して大きくはないアイビーがフロアに届けられた。
瑞々しい葉を太陽へと伸ばしている。
そんなアイビーを、どこか楽しげな表情で見下ろす白蘭の姿が度々目撃されるようになった。

アイビーの花言葉:死んでも離れない。永遠の愛
08.06.25