Bloody rose

「ボスが日本に渡った?」

任務を終えたコウが戻ってきたのは、例の日から1ヶ月後のことだった。
宣言どおり半月で片を付けたのだが、近くの部下からの要請でその足で現地へと向かったのだ。
そんな風に忙しく過ごして屋敷に戻ってみれば執務室は空。
ついでに息子と幹部の姿もなく、適当な部下を捕まえて事の由をたずねた。
返って来た答えに、彼女は盛大な溜め息を吐き出す。
捕まえた部下を解放してソファーに座り込むコウ。
額に手をやって、はぁ、と溜め息を吐き出した。

―――嫌な予感がする。

閉じていた目を開いたコウが、ポケットから携帯を取り出した。
そこで執務室に別の部下が姿を見せる。

「コウ様。どちらへ?」
「日本よ」
「駄目です。我々はボスから“死んでもイタリアを出すな”と命令されています」

一人の部下の後ろにずらりと並んだ二十人以上のヴァリアー。
幹部ではないにせよ、それなりの実力者だ。
コウは執務室に入らず廊下まで侵食している彼らを一瞥し、口を開いた。

「通しなさい」
「ボスの命令です。コウ様はいつも通りの仕事を行ってください」
「誰に―――」

ヒヤリ、と空気が冷えた。

「誰に向かって言っているのか―――わかっているのかしら」

呼吸すら許されないようなピンと張り詰めた空気。
場慣れしているはずの彼らを、コウはその視線一つで床に縫い付けてしまった。
いつも執務室でデスクワークをしている彼女の姿からは想像も出来ない。

「死んでも…ね。じゃあ、選ばせてあげる」

コウの手が彼女の愛銃を抜いても、彼らは指先一つ動かす事は出来ない。
彼女はそっとその銃身を撫で、冷めた眼で彼らを見る。

「今すぐ死ぬ道か、後から…死ぬかもしれない道か」

死んでもイタリアを出すなと言われている以上、コウを逃がせばボス自ら制裁を下すだろう。
しかし、それに関しては彼女が口添えをすることが出来る。
少なくとも、今すぐにコウの邪魔をする事よりは生存率は上がるだろう。

「ほら、選びなさい」

動けなくしている殺気を抑え込み、しかし銃はその手に握ったままの状態で、彼女はそう告げた。
緩慢な動きで道を譲る彼ら。
目の前の恐怖に、XANXUSの命令が霞んだ瞬間だ。
コウは組んだ足を解いてソファーから立ち上がる。
腰に銃を戻し、モーゼの十戒のように割れた人波の間を歩き出す。









廊下を歩きながら、コウは自分の手元に視線を落とす。
左の薬指に光る指輪は、既にそこにあるのが当然になっている。
一瞬だって外そうとは思わないそれは、1ヶ月前から彼女の指に存在した。










何も言わずに背後に立ち、コウの手を取ったXANXUSが、彼女の指にそれを嵌めた。
されるがままになっていた彼女は、解放された手を見つめて呆然とする。

「XANXUS様…」
「面倒な式はあげるつもりはねぇ。老いぼれには話しておけ」

まだ放心状態から抜け出せない彼女の手に書類を握らせる。
ゆっくりと開いたそれには、既に癖のあるXANXUSの字が記されていた。
渡されたそれを握りつぶしてしまわないように、けれどしっかりと握り締める。
そして振り向いた彼女は、何も言わずに彼に抱きついた。
いつもはそっと触れる程度の彼女にしては、驚くような珍しい行動だ。
そんな彼女を見下ろし、けれど何も言わずに腕一つを彼女の背中に回す彼。


ティルという繋がりだけで十分だと思っていたのだ。
けれど、ティル以外にもきちんとした形で自分に隣を許してくれた彼に、何を言えばいいのだろうか。
何かを伝えようとしても声は言葉にならない。
ただ、嬉しかった。






コウは自身の記憶の中から抜け出した。
ただ一人何も知らずにいるなんて、あんな事はもう二度とごめんだ。
全てが終わってから他人の口から事の由を聞くなど、耐えられない。

関わらせようとしないならば、自分から関わる。
もう、捨てられるかもしれないと怯えて従順に従うだけだった自分ではない。
捨てられる事よりも、怖いことを知っているから。

コウは廊下の向こうを睨みつけ、ブーツを鳴らした。















「ねぇ、スクアーロ」
「…何だぁ?」

ころり、とグラスの中の氷を動かすティル。
呼びかけられたスクアーロがちらりと彼に視線を向けた。

「母さんに話さなくていいの?」
「…XANXUSが決める事だ」
「でも…ゆりかごの時も、置いていったんだろ?母さん、怒るよ」
「…………………」

コウが怒る姿を想像してみたけれど、うまく形にならない。
冷静に仕事をこなしている姿や、哀しんでいる姿のような、日常的なものが浮かぶ。
よく考えると、彼女が怒ったところを見たことがないかもしれない。
絶対服従と言っても過言ではないXANXUSの行動に、彼女が怒る事があるのだろうか。

「父さんは何で母さんに何も言わないの」
「関わらせるつもりがねぇからだ」
「そんなの、おかしいよ。何も知らないところで全部終わらせるなんて、無理なんだから」

後から他人に聞く方が嫌に決まってる。
ティルの言葉にスクアーロは視線を前に戻した。
10歳にも満たない子供の言う事じゃない。
しかし、コウのことをよくわかっていると感心する。
彼女は間違いなく、XANXUSの口からの説明を望むはずだ。
たとえそれが、彼女自身を哀しませるものだったとしても。

「考え方の違いだな」
「…父さんって馬鹿だね」
「…お前、てめぇの父親だろうが」
「母さんを大事にする方法が間違ってるんだよ。二人はもっと話し合うべきだね」
「………マセガキ…」

ティルを子供だと思う事はやめる。
スクアーロは酒を喉に流し込みながら、そう決めた。

09.12.15