Bloody rose
そろそろ寝る準備でも始めようかと言う頃になって、自室のドアが無遠慮に開かれた。
ヴァリアーの中に女性は少ない。
いないと言っても過言ではないだろう。
探せば居るには居るのだが、いかんせん“女性”と形容すべきかを悩んでしまうような人間だったりする。
自室を与えられたとしても、女性と言うだけで危険は付きまとう。
それだけに、コウの部屋には二つの鍵がつけられていた。
部屋に居るときは基本的にしっかりと施錠するようにしているため、内部の者でも迂闊には進入できない。
突然部屋を訪れたXANXUS。
彼は何をするでもなく、いつの間にか持ち込まれていた上等なソファーに腰掛けている。
とりあえず用意した晩酌は手付かずでテーブルの上に放置されていた。
「あの…何か、気になることでも?」
元々口数が多くはない彼だ。
共に過ごした時間を無駄に過ごしていなければ、自ずとその表情から心中を悟れるようにもなる。
迷いつつも発せられた質問に、XANXUSの目が一瞬だけ彼女へと向けられた。
「―――お前」
「はい?」
「あの老いぼれと親しかったな」
「え…ええ。それなりに」
今でも時々手紙のやり取りをするし、茶会に招かれる事もある。
ヴァリアーに居る以上、9代目と密に関わる事はよくないのだろうけれど、彼は気にしなくていいと言ってくれた。
「…そうか」
カラン、とグラスの中で氷が音を立てた。
「明日―――帰りは遅くなる」
漸く本題と思しき内容が彼の口から紡がれた。
しかし、その内容に、コウは「え?」と戸惑いの声を上げる。
「明日は…お休みだったのでは?任務をはずしておられたので、てっきりそうなのだと…」
「…私用だ」
短くそう答えた彼は、気にするな、と続けた。
薄々感じていることがある。
彼が、何か大きな事を計画していると言うこと。
それに、自分の上司であるスクアーロも参加すると言うこと。
そして…何も聞かされていない自分は―――。
心の中の蟠りを晴らしたければ、今ここで彼に問いかければいい。
何を計画しているのですか、と。
しかし、コウはそれを問うことが出来なかった。
聞くことが恐いわけではない、何かを計画している彼が恐ろしいわけでもない。
何も言われていないことを無理に聞き出そうとして、幻滅されるのが恐かった。
「わかりました。…お気をつけて」
それが、コウに言えるぎりぎりの言葉だった。
恐らく、彼は彼女の葛藤に気付いているだろう。
あえてその態度を言及しないのは、彼の優しさだろうか。
目を伏せる彼女を一瞥した彼は、その視線を置かれたままのウィスキーボトルへと向けた。
「明日の朝、部屋に来い。一日部屋から外に出るな。食事は運ばせる」
「…はい」
「誰かに聞かれても、お前は無関係だと答えろ」
「無関係…」
はい、と答えなければならないのに、その意味を探るように口を噤んでしまった。
やがて、返事を求める彼の視線に促されるようにして、わかりました、と小さく呟く。
関わっているのだと、思われることすら許されないということか。
彼女は心中で自嘲めいた笑みを浮かべた。
「コウ」
滅多に呼ばれない名前を呼ばれ、コウは軽く目を見開いた。
それだけで心臓を逸らせる自分は、なんて単純に出来ているのだろうかと思う。
「はい、XANXUS様」
「…この件が片付いたら―――」
何か、とても大切なことを言おうとしている。
ピンと張り詰めた空気から、何となくそれを悟った。
しかし、いくら続きを待っても、彼の唇は動かない。
「―――…何でもねぇ」
「XANXUS様?」
「とにかく…部屋から出るな。わかったな?」
念を押す彼に、コウはその続きの言葉を聞くことを諦めた。
「わかりました。ですが…ひとつだけ」
「…言ってみろ」
「必ず…帰って来てくれますか?」
ぎゅっと自身の手を握り締め、何とか最後まで言葉を紡ぎだす。
彼の目を見る事は出来なかった。
「………待ってろ」
これだけで十分ではないか。
コウは顔を上げ、嬉しそうに…けれども、どこか哀しげに微笑んだ。
翌日、殆ど眠れなかった頭を何とか起こし、自室を後にする。
建物内がどこか緊張しているのを感じ、これから何かが起こるのだと悟った。
きゅっと唇を結び、XANXUSの部屋を目指す。
重い足取りで進んだとしても、いつかはそこへとたどり着く。
立派な装飾の扉の前に立ったコウは、そこで深呼吸をした。
ノックをして、入室許可の声を聞いて部屋の中へと入る。
既に外出の準備を整えているXANXUSと、そして。
「…何ですか、その山は」
机の上に詰まれた書類の山に、コウは目を見開くしかなかった。
「片付けておけ」
「片付けてって…一日仕事ですね」
近づいてその内容を確認した彼女は、思わずそう呟いた。
一日部屋から出るなと言われている以上、拒む理由はない。
寧ろ、何もすることがなかったらどうしようと思っていたくらいだ。
「コウ」
書類を見下ろしていた彼女は、名前を呼ばれて顔を上げた。
同時に、髪に指を差し込まれ、やや乱暴に後頭部を引き寄せられる。
驚きに目を見開いている間に奪われるように口付けられた。
獣じみた、まるで噛み付くようなキスによる息苦しさに眉を顰める。
何とか彼の胸に手を添えたところで、漸くそれから解放された。
「行って来る」
名残を惜しむでもなく背を向けた彼は、そのまま扉の方へと歩いていく。
「…っお気をつけて!」
扉が閉じる直前に告げた声は、ギリギリ彼の耳に届いただろう。
バタン、と扉が閉ざされ、室内に独りきりになるコウ。
唇を覆うように手を添えて、彼女は革張りの椅子に倒れこむようにして座った。
キス以上のことも、もう数え切れないほどにした。
けれど、あのように激情をぶつけるようなキスをされたのは初めてだ。
まるであれが、彼がなそうとしている事の重大性を示しているようだった。
「…XANXUS、様…」
こんな思いをするくらいならば、嫌われることを覚悟して何かを聞くべきだったのだろうか。
悶々とした考えを頭の中に巡らせつつ、一枚目の書類に手をつけた。
09.06.10