Bloody rose

訓練用にと建てられた施設の一室で、コウは愛銃を構えていた。
狙う的は、彼女の位置からでは僅か5センチにも満たない。
真剣な表情で的を見つめる彼女が、その細い指先をかけたトリガーを引く。
銃声と共に弾丸が撃ち出され、寸分も狂うことなく人型の的の眉間に風穴を開けた。




ふと、真夜中に聞こえた銃声の主が気になったXANXUSは、気がつけば施設のドアを押し開いていた。
本来は音が洩れるはずのない建物から、何故音が聞こえてきたのか。
それを疑問に思いつつも、彼は薄暗い廊下を歩く。
暫く歩いた彼の耳に再び銃声が聞こえ、視界には細い光が見えた。
どうやら、部屋の明かりが零れているらしい。
きちんと閉じられていない扉の所為で、音が外に洩れているのだろう。
しっかりした防音設計も、開いた扉の前では無力だ。
その部屋―――射撃場の中から、銃声が聞こえている。
場所さえわかれば何のことはない。
読んで字のごとく、射撃を行う場所なのだから銃声は日常茶飯事だ。
あえて異を唱えるのならば、今が常識外れの真夜中だと言うことくらいか。
急激に興味を削がれたXANXUSは、そのまま踵を返そうとした。
音に引かれたのも、偶然外を歩いていて耳に入ってきたからで、他に特別な理由はない。
そのまま出口へと向かおうとした彼だが、ふと足を止める。
ここまで来たのだから、こんな時間まで銃声を響かせる物好きな人間の顔を拝んでおくのも悪くはない。
覗き込むわけではなく、開かれた隙間から遠慮なく中を見る。
ヴァリアーの敷地内には相応しくない、線の細い背中が見えた。











不規則な動きをする的を見つめ、照準を合わせる。
慣れた動作でトリガーを引くコウの指の動きに合わせて的に穴が開いた。
弾切れになった所でガチンと音を鳴らすことなく、銃を引く。

「………この辺にしておいた方がいいかな」

壁にかけられた時計を見上げ、かなりの時間が経っていたことに気付いた。
夕方の6時頃からここに入って、かれこれ8時間程こもっていたらしい。
明日は任務の予定がないからとは言え、流石にそろそろ止めるべきだろう。
初めこそ複数人影の見えた場内も、今はがらんとしていた。

「おい」

背後からの声に、コウは驚くことなく冷静に振り向いた。
途中から様子を伺っている人がいることはわかっていたのだ。
その人は、自分の気配を隠そうともしなかったのだから、気付くのは難しくない。

「ボス…こんな時間まで、どうしたんですか?」
「てめーこそ、何を企んでやがる?」

鋭い視線に対し、コウは首を傾げて「企む?」と問う。

「これは…日課です。流石に、こんな風に時間を忘れる事はそうありませんけれど」

それに関しては、彼女につけている見張りの報告からも証明されている。
彼女はいつも決まって6時頃にここに来て、数時間射撃の訓練を行う。
2時間の時もあれば4時間の時もあり、時間は決めていないようだが。
一心不乱に…いや、寧ろ、無心でと言った方が正しいだろうか。
他に誰がいようが、誰に見られようが…揺らぐことなく、的を撃つ。
その場に居る者の中には、容赦なく急所を貫く弾道の数々に、身震いする者も居た。

「見張りの方も今日の所は諦めたようですね」
「…気付いてたのか」
「ええ。気配の一つも悟れないようでは、カノーヴァでは生き残れませんから」

そう言って微笑む彼女に、どこか違和感を覚える。
少しだけ悩んだ末、その原因が口元にあることを悟った。
いつも唇を彩っている赤い口紅がないのだ。
似合わない、と口に出しているけれど、いざその存在がない姿を確認すると、やはり、と確信する。
わざと背伸びをしているかのようなあの赤は、コウの内面を酷く曖昧なものにした。

「まだ、疑われているのですね」
「当たり前だ。カノーヴァは他のファミリーに娘をやったりはしねぇ。
況してや、てめーは次期カノーヴァボスだろ」

迷いのない言葉は、それが事実だと知っているからなのだろう。
調べさせたのか、知っていたのかは定かではないけれど。
コウは彼の言葉に沈黙する。
しかし、ややあって小さく口を開いた。

「私は次期ボスではありません。もしそうなのだとしたら…今、ここにはいないでしょう」

次期ボスともなれば、学ぶ事は沢山ある。
他所のファミリーの中に入っている場合ではないのだ。
確かに、彼女がここにいるという事は、彼女が次のボスではないという証明になるだろう。

「なら、わざわざボスの座を蹴ってヴァリアーに来たってのか」
「…私の他にも候補は居ます。ボスに相応しくない人間は、ファミリーには必要ない」
「候補者争いから逃げてきたってわけか…ハッ!どんなに腕が立とうが、所詮はカスだな」

何となく読めてきた、とばかりに鼻を鳴らす彼。
コウは彼の言葉を否定しなかった。
言いたいことはあるし、言えることもある。
けれど、彼が言う「逃げてきた」と言うことも、強ち間違いではないと思うのだ。
現在のボスの子供はコウ一人ではない。
兄と姉が1人ずつ、そして弟が一人。
男でなければ、と言う決まりはなく、だからこそコウが最有力候補だと言われてきた。
カノーヴァファミリーのボスに求められるものは性別ではなく、ファミリーの中で最高のスキルを持つ者。
若輩ながら、コウは今のボスに次ぐスキルを持っている事は、誰もが認めている。

「…XANXUS様」

銃をホルダーに収め、コウが彼を呼んだ。
ボスと呼ばず、彼自身の名を唇に乗せる。

「カノーヴァの出身であると言う事実はなかったことにはなりません。けれど、あそこに戻るつもりはない。
私は―――カノーヴァにいたと言う事実を捨てなければ、ヴァリアーにはいられませんか?」

仕事の時の彼女とは、まるで別人のようだ。
不安にその瞳を揺らす姿は、ヴァリアーとの関わりを感じさせない、ただの女性だった。

「何故そこまでヴァリアーに拘る?」
「私が生きていける世界だからです」
「カノーヴァはお前の生きる世界じゃねぇのか」
「はい」

間髪容れずに返って来た答えに、彼は唇を結ぶ。
それから、くるりと踵を返した。
歩いていく背中に、これはやはり拒絶なのだろうか、と肩を落とすコウ。
すぐに理解して欲しいとは思わないけれど、いつまでもスパイ扱いされるのは嬉しくない。
況してや、彼は彼女にとって自分自身を認めてもらいたい存在だった。
いつかは―――わかってもらえるだろうか。

「コウ」
「え…あ、は…はい!」
「付き合え」
「…あの…?」
「適当な酒を持って来い」

酒?どの程度の量を?

そんな風に疑問を積み重ねている間に、彼はそこから消えてしまった。
残された彼女は、ひとりになった空間で瞬きを繰り返す。

そもそも、持って来いってどこに?

そう悩んだ所で、はた、と気付く。
同時に、コウの頬が真っ赤に染まった。

「今…名前…」

少しだけ…ほんの少しだけ、近づけたと思う事は許されるだろうか。

09.01.03