Babyシリーズ
--黒揚羽 番外編
放課後、応接室にやってきた紅は、そのドアの前に置かれていたものに首を傾げる。
ふわふわした毛布に包まっていたそれに、紅は驚いた。
「雲雀!!」
バンッと勢いよく扉を開き、ずかずかと応接室の中へと踏み込んでいく。
デスクに向き合っていた雲雀は、彼女に冷めた視線を向ける。
「何、騒々しい」
「何なの、これは!」
ずいっと差し出されたそれに、雲雀は眉を顰める。
この布の塊がどうしたと言うのだ。
そう言いたげな視線を向けられ、紅はその布の端を捲った。
そこに見えたのは、すやすやと眠る安らかな寝顔。
1歳になっていないであろう赤ん坊がそこにいた。
「……………」
「……………」
両者の間に沈黙がおりる。
数秒口を閉ざしていた雲雀は、何も言わずに手を持ち上げ、そして―――
「!?!?な、何するの、雲雀!!」
思わずバッと赤ん坊を引き寄せる。
もう片方の手で振り上げた彼の腕を押さえ込んだ。
「この赤ん坊も強いんじゃないの?」
「この安らかな寝顔を見てトンファーを振り上げられるあなたの神経を疑うわ!」
とりあえず安全確保のため、彼の間合いから離れる。
信じられない、と呟きつつ、紅は彼をギロッと睨んだ。
「まったく…」
紅は肩を怒らせつつソファーに腰を下ろした。
膝の上に毛布ごと赤ん坊を置き、腕で支える。
これだけ騒いでも寝ていられるとは…中々、図太い赤ん坊だ。
「で、どこで拾ってきたの?」
「応接室の前にぽつんと置かれていたわ。覚えはないの?」
先ほどの一件を随分と警戒しているのか、紅の声には棘がある。
しかし、それを気にした様子もなく、雲雀は「ふぅん」と呟く。
反応から察するに、彼が関係しているわけではないようだ。
「どこから来た…わけないわね。誰が置いていったのかしら」
いい迷惑だ、と心中で思うが、置いていかれた、いわば被害者である赤ん坊に非はない。
じっと見下ろしていると、何と言うか……不思議と、守らなければならないような気がしてくる。
あぁ、これが母性と言う奴だろうか。
この子を産んだのは自分ではないのに、そんなことを思ってしまう自分に苦笑した。
「どうするつもり?」
「…仕方がないので、今日は連れて帰るわ。放っていくわけにも行かないし」
精神は20代なのだ。
中学生のように慌てることもなく、紅はそう決断した。
何より、雲雀に預けるわけには行かない。
本当ならば、ここで先生に知らせると言う手段を取るべきだ。
実際に、彼女もそう考えた。
しかし―――何故か、それを行動に移せない。
エゴだとしても、人の手に預けたくないと思ってしまった。
紅は赤ん坊の頬を指先で撫でる。
「その辺に捨てておけばいいのに」
「赤ん坊は守られるために生まれてくるの。これくらいの子をそんな風に放り出せないわ」
野生で生きる草食動物の子供は、生まれてすぐに立ち上がる練習をする。
それに対し、人間の子供は何日の何ヶ月も、動くことが出来ない。
守られなければ生き延びることの出来ない存在なのだ。
「帰りに粉ミルクを買って帰らないと…」
「それを連れて?」
「…………」
確かに、この子を連れて買い物に行くのは大変だ。
思わず沈黙する彼女に、雲雀が溜め息を吐き出した。
「だから言ってるんだよ。その辺に捨て―――」
「もう一人いたらいいのよね。付いてきてくれない?」
「…咬み殺されたいの?」
先ほどまであれだけ警戒していたと言うのに、これだ。
呆れたようにそう告げれば、彼女はまさか、と首を振る。
「雲雀が買ってきてくれたら解決するし」
「断る。他の奴を使いなよ」
そんなものを買いに行くなんて、冗談じゃない。
フンッと顔を背ける彼に、紅は肩を竦めた。
「協力してくれるなら、来週センセに学校に来てくれるように頼むわ」
「………」
リボーンが雲雀の興味を引いていると理解した上での交換条件だ。
最近骨のない連中ばかりが相手で、暇をしていると知っているから出た言葉でもある。
即座に否定の声を上げず、メリットとデメリットを考える雲雀。
程なくして、彼は長く深い溜め息を吐き出した。
「…守らなかったら咬み殺すよ」
「よーく覚えておきます」
「………………ちょっと待ってくれ」
インターホンが鳴り、玄関のドアを開いたのは暁斗だ。
彼は目の前の光景に、文字通り固まった。
金縛りから回復したのはそれから1分ほど後。
何とかそう言った彼の目の前には、腕に赤ん坊を抱いた紅がいた。
その後ろには、いつも通りの冷めた表情でそっぽを向いている雲雀がいて、手には粉ミルクだけが入った袋がある。
「お父さんはそんな娘に生んだ覚えはないぞ…!!」
「暁斗に生んでもらった覚えはないわ。通れないから退いて頂戴」
すっぱりとそう切り捨てると、少しだけ場所を譲った暁斗の横を通り抜ける。
少し間を置いて、雲雀も玄関のドアをくぐった。
その表情はやや不満げである。
実のところ、彼は買うものを買ったら解放されるのだと思っていた。
しかし、彼女は帰ろうとした彼にこう告げる。
―――“協力してくれたら”、って言ったわよね?
にこりと微笑み、交換条件を口に出す。
協力と言う広い意味の条件にしておくことにより、買い物だけにとどめない。
流石と言うか何と言うか―――彼女らしい運び方だ。
乗りかかった船、ここで引き下がると、今の買い物が無駄な行動になってしまう。
一瞬のうちに結論を出した彼は、これ見よがしに長い溜め息を吐き出し、現在に至るというわけだ。
「ミルク作れる?」
「…作れると思うの?」
「…ま、あなたに作れるって答えられても驚くけど…仕方ないわね。抱いておいて」
「いい加減にしないと本気で咬み殺すよ」
「ミルクを作るのとどっちがいい?」
未だ玄関で動けずにいる暁斗の耳に、そんな会話が聞こえてくる。
「…え?ちょ………マジ?」
誰か夢だと言ってくれ―――心の叫びを抱え、とりあえず助けを求めるべく走る。
携帯を引っ掴んで自室へと飛び込んだ彼は、着信記録の一番上に並んでいたディーノの携帯へと電話をかけた。
その翌日、散々騒がせた赤ん坊は、忽然と姿を消していた。
寝ている間に消えてしまっていた、と紅は語る。
夢だったのか、と思った彼女だが、それが夢ではなかったことは、残された毛布からも明らかだった。
「…何だったのかしら」
非日常的なことに慣れている紅も、流石に首を傾げた。
しかし、現時点ではその答えは見つかっていない。
彼女はその答えを知るのは、今から10年ほど先のことだ。
08.05.25