愛すべき人がいて

「紅!どこにいる?」

部屋で縫物をしていた紅の耳に、政宗の声が聞こえてきた。
しかし、そちらに行こうとはせずに再び視線を手元に落とす彼女。
傍らに控えていた侍女がそっと、愛姫様、と咎めるような声を上げる。

「いいんです」
「しかし…筆頭がお呼びですわ」
「いいと言っているでしょう。こちらから動かずとも、あの人は来ますわ」

ふん、と鼻を鳴らす主人に、侍女は漸く彼女が何かに怒っているのだと気付いた。
彼女が幼い頃からの付き合いになるので、こうなった彼女が梃子でも動かないと言う事はよくわかっている。
はぁ、と溜め息を吐き出したところで、近付いてくる足音が聞こえてきた。

「…ここにいたのか」

ガラッと襖を開いた政宗に、侍女は深々と頭を下げる。
しかし、紅はちらりと視線を向けただけで何の言葉も返さなかった。
ハラハラと心配する侍女を横目に畳を歩く政宗。

「下がってろ」
「…はい」

主人が何か粗相をしないだろうかと心配でならないけれど、政宗に言われてしまえば嫌とは言えない。
再び頭を下げた彼女は、足音を小さくその場を後にした。
「いつまで拗ねてるんだ、お前は」

「拗ねているつもりはありませんわ。政宗様の気のせいではありませんか?」
「なら俺の目を見て話せよ」

そう言って、伸びてきた政宗の手が紅の顎を攫う。
上を向かされた紅は臆する事無く独眼を見つめ返した。

「真田幸村に会わせなかったのがそんなに不満か?」
「ええ、それはもう。他の戦の時には連れて行ってくださいますのに、あの時だけは城に残された。
その理由を聞かないことには納得できませんわ。常々、幸村様のファンだと言っていましたのに」
「俺も言ってるはずだが?どこで真田幸村を知ったんだ、ってな」

その問いかけが来ると、紅は貝のように口を閉ざした。
それは…、口ごもる彼女の様子を見れば、いらぬ想像を膨らませるのも仕方のないことだ。

「…色々と武勇伝をお聞きしていますから」
「人伝の話でファンになるような軽い女じゃねぇよな、お前は」

流石、長い付き合いの彼は誤魔化されてはくれないようだ。
しかし、事実を告げるわけにもいかないので、誤魔化せないなら黙るしかない。

「…いっそ信濃まで走ってしまいましょうか」

心の中で呟いたつもりだったのだが、どうやら声に出ていたらしい。
無言で頬を抓られた。
流石に嫁いで10年近くともなれば、相手も容赦がなくなってきている。

「ったく…口を開けば真田幸村だな」
「だって…!折角この世界に生まれ落ちたのですから、一度は本人を見ておきたいんですもの…!」

僅かに赤らんだ頬を押さえながらそう答える紅に、溜め息が返ってくる。
天下が落ち着かないこの状況で、敵国である真田と会う事の難しさは彼女とて理解していた。
だからこそ、戦場で構わないと言ったのに、置いていかれてしまったのだから納得できない。

「真田幸村は敵だぞ」
「わかっていますわ」
「俺が奴に斬られたらどうするんだ?」

特に意味を持った言葉ではなかった。
彼女ならそれでも関係なく過ごしそうだと思ったから、零れ落ちた言葉。
政宗の問いかけに、紅は笑顔を返した。

「その時は真田幸村を斬り、あなたの後を追うでしょうね」

迷いもなく告げられた言葉に驚いたのは政宗だった。
呆気に取られたような、そんな表情を見た紅は苦笑いを浮かべる。

「私は幸村様のファンですけれど、自分の夫くらいはちゃんと理解しています」
「…夫、か」
「もちろん、夫だからと言う理由ではありませんわ。政宗様が政宗様だから…この命は、あなたと共に」

義務感で彼を追うのではない。
自らがそれを望むからこそ、そうするのだ。
その明確な違いは、彼に伝わっただろうか。

「…紅、お前は…幸せか?」
「………毎日愛しい人々に囲まれ、平和な生活を送れていることを幸せに思わない人間はいませんわ」

紅の答えは遠回しだったかもしれない。
政宗は頷くこともせず、じっと紅を見つめていた。
その視線の意味するところに気付いた彼女は小さく息を吐く。

「政宗様、私は幸せです。可愛い我が子、大切な家臣、愛しいあなた―――これ以上に何も望みません」

言葉にして、初めて気づいた。
こうして、幸せだと自分の想いを口にするのは初めてかもしれない。
紅と言う人間を構成する全てが幸せだと伝えていただろうけれど、言葉にするのはまた違う。

「…昨日、真田幸村率いる一軍が国境近くに来ていると報告が入った」
「また戦ですか?」
「いや、そのつもりはない。が、国境を越えられるのは面倒だ。牽制を兼ねて南下するんだが…来るか?」

政宗の言葉を理解するのに、少しの時間を要した。

「…あれほど駄目だと仰っていたのに…どう言う心境の変化ですか?」
「嫌ならいい」
「いいえ、行きます!ご一緒いたします!」

思わず元気に返してから、ハッと我に返る紅。
しかし、政宗は穏やかに微笑んだまま、彼女の頬を撫でた。

「それで少しは真田幸村熱も治まるんだろうな?」
「え?」
「………おい」
「あ、えっと………たぶん、治まり…ます?」

確証のない答えに、頬を撫でていた指が別の動きを見せた。











「初めまして、幸村様。紅と申します。皆からは愛姫と呼ばれておりますわ」

目が輝いている。
興奮とは少し違うかもしれないが、似通う状況に幸村が珍しくたじろいだ。
普段は振り回す側の彼が引き気味の状況に、佐助はへぇ、と楽しげだ。

「う、うむ。愛姫は某の事は既に知っているようだが…」
「是非、紅と呼んでくださいませ」
「…紅、殿?」

戸惑いつつも言われるままにその名を口にすれば、彼女は笑顔で「はい」と頷く。
見ている者を微笑ましくさせるような笑顔だったが、一部の者には逆の効果を与えた。

「…小十郎!紅を連れて行け!!」
「は!愛姫様、こちらへ」
「わかっていますわ。幸村様、またお会いしましょうね」

目的は達成した、とばかりに素直に従う紅は、幸村に笑顔を残して小十郎と共に去っていく。
政宗と幸村と、そして佐助。
三人を取り巻く空気は微妙なものだ。

「…政宗殿、紅殿は…」
「呼ぶな。あいつを紅と呼んでいいのは俺だけだ」
「な、なるほど。して、愛姫は…」
「俺の嫁だお前のファンらしいから連れて来たんだが…あそこまでHighになるとは思わなかった」

呆れたように吐き出された溜め息は深く長い。
妬いても無駄だとはわかっているし、好意が別の種類であることもわかっている。
しかし、理解と納得は異なるのだ。

「あらー…独眼竜の旦那も意外と苦労してんのね」

佐助の暢気な声が嫌に身に染みた。

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10.09.08