昔、夢見た穏やかな日々

まさか、実現できるとは思っていなかった。
紅は今、現世に降り立ち、窮屈な義骸に入り、そして大きな鳥居の前に立っている。
隣には、信じられない事に―――同じく義骸に身を包み、いつもと変わらぬ様子の白哉がいた。
目立つからと言う理由で牽星箝を外しているけれど、堂々とした空気は人波に紛れるようなものではない。
初詣の混雑の中、容赦なく存在感を放つ彼。
恋人なのか夫婦なのか、そんな二人組の女性が彼そっちのけで白哉に向ける視線。
流石の紅も苦笑を浮かべた。
そんな彼女も、多くの視線を集めているのだが、こちらは自分に向けられる視線には気付いていない。

「…人が多い」
「初詣ですから」

無理はありませんよ、と告げる。
白哉の眉が僅かに動いたけれど、彼はそれ以上文句を言うつもりはないようだ。
紅はここで立っていても仕方ないと、彼の腕に手を添えて先を促した。

「早くお参りをして、お守りだけ買って帰りましょう?」
「…そうだな」

促されるままに歩き出す彼。
大丈夫だろうか…ふと過る一抹の不安を消し、彼の隣を歩く。








事の発端は、紅が「少し現世に行ってまいります」と告げた事だ。
まださほど目立つ様子はないけれど、妊娠により休暇中の彼女が、一人で行くと言う。
当然、白哉はそれに「否」と答えた。

「虚が出たらどうするつもりだ」
「その時は…戦います。今でも多少は身体を動かしていますから、後れを取るようなことはありません」

大丈夫です、と頷くと、その場の空気が重くなる。
子供によくありません、と霊圧を抑えてもらい、改めて彼と向き合った。

「行くなと言っても聞かぬようだな」
「そうですね。動けなくなる前に、一度参っておきたいと思っていましたから」

譲れないのだと微笑む彼女に、かつての面影はない。
もちろん、控えるべきところは弁えているけれど、白哉に対して遠慮して口を噤む回数は減った。
分かり合えたと言う事は喜ぶべきところなのだろう。
相変わらず笑顔の彼女を前に少し思案した白哉は、やがて静かに息を吐き出す。
そして、結論を出した。











二人が着物だから目立っていると言うわけではない。
二人によく馴染んだ着物自体は、彼らを引き立てる要因でしかないのだ。
右を見ても左を見ても、着物を着ている参拝者は多い。
けれど、二人ほどよく馴染み、着こなしている人はいない。
日頃から着物で生活をしているのだから、当然と言えば当然なのだが。

「ルキアも一緒に来れば良かったのですが…仕事とは残念ですね」
「死神としては当然の事だ」
「休暇をいただいている身としては心苦しいですけれど…」

私の分も安産を祈願してきてください、と強く頼まれたから、その任を全うしたつもりだ。

「しかし…何故突然、参拝など…」

そこが腑に落ちなかったのだろう。
白哉の呟きに、紅は苦笑した。
彼は信仰心が高そうにないし、自分も同じ。
尸魂界で過ごす事自体が、現世の宗教的概念とは別の世界で生きると言う事だ。
そんな紅が現世に降りてまで参拝してみようと思ったのは、女中の一人から話を聞いたから。

―――現世では無病息災や安産など、神社で祈願する方が多いそうですよ。お方様も如何ですか?

どこから仕入れた情報なのかは知らないけれど、そう教えてもらった。
又聞きの情報を全て信用しているわけではない。
でも、無事に生まれる事を望んでくれるその気持ちが嬉しかった。

「…秘密です」

考えるような素振りを見せてからひと言。
白哉の表情が少しだけ険しくなったけれど、それ以上言及される事はなかった。

「それにしても…参拝客が多いから、露店も沢山ありますね」

見回す限り、人、人、人。
そんな人の波の向こうに見える、露店のテント。

「興味があるのか?」

白哉にそう問われ、紅は首を振った。

「いえ…あまり、こう言う物は慣れないので」

白哉はもちろんの事、紅もまた、四大貴族に嫁ぐだけの良家の出身だ。
道端で食べ物を売ると言う感覚自体が、理解の範囲を超えている。
一体どんなものが?その程度の興味はあれど、自分で手に取るなど考えられない。
その時、不意に白哉が紅の肩を抱いて身体を引いた。
不思議そうに彼を見上げた彼女は、その直後に人波が揺れるのを見る。
あの立ち位置にいたら、意図的ではないにせよ、誰かにぶつかられていたかもしれない。

「ありがとうございます」
「…人が多すぎる。もう帰るぞ」
「そうですね。そのうち押し潰されてしまいそう」

呑気な紅の言葉に、思わず溜め息を零した。
そして、危機感のない彼女の背を支え、来た道を引き返す。
留まる人間の方が多いのか、鳥居を抜けたあたりで人波は途絶え始めた。
満足に呼吸が出来たような解放感を抱く。
人ごみと言うのは、自分が思う以上に疲労を溜めるものらしかった。

「大丈夫か?」

気遣う白哉の声が優しい。
小さく息を吐き出したつもりだったのに、彼には気付かれていたようだ。
彼を安心させるように微笑む紅。

「大丈夫です。それに…私が望んだ事ですから」

倦怠感は否定できないし、彼の前では否定する事すらも無駄だろう。
素直にそれを認め、けれど大丈夫だと伝えた。
自分の限界は、自分が一番よくわかっているつもりだ。

「…帰るぞ」
「はい」

ごく自然に差し出された手に、躊躇う事無く自身のそれを重ねられるようになった。
向けられる優しさを疑い、紡がれる言葉を否定した日々も、今となっては良い思い出だ。









「何か、やたらと多くねぇか?」
「撒き餌の状態だからな、当然だろう」
「…あぁ、紅さんか」

電柱の上に立ち、阿散井は小さく息を吐く。
この1時間の間に、何体昇華しただろうか。
そんな彼に、さも平然と言ってのけるルキア。
彼女とて疲れていないわけではないけれど、彼女には戦う理由がある。
もちろん、彼女ほどではないにせよ、阿散井自身もその理由を持っているけれど…思いの深さが違う。

「二人分、だもんな」
「それに、兄様の血を継ぐ子だ。平凡であるはずがない」

自分の事ではないけれど、誇らしげに語るルキアを見て、阿散井は笑った。
彼女がこうして、白哉の事を語れるようになって、どれほどの時間が経っただろう。
随分と馴染んでいて、擦れ違いが嘘のようにも思えるけれど…実はまだ、最近の話だ。
良い傾向だと、阿散井は安堵する。

「よし!もうひと踏ん張りするか!」
「うむ!兄様からの依頼だ―――針の先ほどの綻びも許さぬぞ!」
「言ってろよ!」

そう笑いあって、二人は空を蹴った。

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あけましておめでとうございます。
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申込みの際のコメントから、もう何年と言うお付き合いの方もいらっしゃるようです。
顔も知らないお付き合いではありますが、こうして共有できる―――ネット世界の素晴らしい所だなと思います。
今年もサイト共々よろしくお願いいたします。

2011年が皆様にとって良い年でありますように。

Hora fugit 雪耶 紅

11.01.01