過去、現在、未来
風邪を引かないようにとたっぷり着物を着せられた赤ん坊は、少し動きにくそうに見えた。
とは言え、まだまだ自分で動き回るような年齢でもないので、さほど気にはなっていないらしい。
肌触りの良い布団の上で仰向けに寝かされている赤ん坊は、周囲の様子に興味津々だ。
ひときわ興味を惹くものがあったのか、短くふっくらとした手を伸ばしている。
「あら、どうしたの?」
我が子の様子に気付いた紅が、布団の傍らに腰を下ろした。
そして、寝かせていた赤ん坊を膝の上に抱き上げ、目を合わせる。
あぅー、と言葉にならない声を発する赤ん坊に、クスクスと笑った。
「何だか慌ただしい?そうね。これから、新年の宴があるのよ」
だから皆忙しいのよ、と微笑みかけた。
城内はその所為で俄かに活気づいている。
それに気付いているのかどうなのかはわからない。
しかし、昼寝の時間を過ぎても愚図る様子がない所を見ると、少なからず影響を受けているようだ。
「あなたはあまり泣かない子だから助かるわ」
膝の上であやす赤ん坊は、紅の言葉を理解していないのだろう。
差し出された彼女の手に興味を移し、握ったり撫でたりと忙しい。
微笑ましくそれを見守っていた紅が、ふと顔を上げる。
少しして、襖が開かれた。
「…起きてたか?」
「ええ、今日は眠らないみたいです」
ねぇ?と声をかけながら、赤ん坊を抱いて立ち上がる。
危なげない動作だったのだが、近付いてきた政宗が補助するように彼女の背を支えた。
そして、その腕から着物で着膨れた赤ん坊を受け取る。
「…今日はまた、随分と着込んでるな」
「一段と冷えますからね」
「お前が着せたのか?」
「まさか。私が見た時にはこの状態ですよ」
その光景がありありと浮かび、政宗が肩を竦めた。
犯人の目星はついている。
しかし、それは一人ではない。
それこそ、目に入れても痛くないほどに溺愛される赤ん坊。
乳母候補は一人や二人ではなく、むしろ城全体がそう言う雰囲気だ。
「それにしても…着せ過ぎだろ」
「私も思いましたけれど…本人は嫌がっていませんし、このままでもいいかなと」
やや動きにくそうには見えるけれど、それはあくまで大人の視点から考えることだ。
本人は気にした様子もなく、目に映る色々なものに次から次へと興味を移している。
自分の着物など、全く関係ないのだろう。
「…まぁ、いいか」
「はい。ところで政宗様、どうしてこちらに?行商人が挨拶に来ていると聞きましたが…」
「ああ…終わった。時間が出来たからな」
彼の何気ない返事に、紅は頬を緩めた。
出来た時間をこの子のために使おうと思ってくれたのだ。
これを嬉しく思わないはずがない。
「少しは重くなったか?こんだけ着てるとわからねぇな」
「すくすくと成長していますよ。もうすぐ長時間抱えるのが難しくなりそうです」
「そうか?ならいいが…」
「きっと、もうすぐ這うようになると思いますよ。今でも少し動こうとしますから」
紅がそう言うと、政宗が赤ん坊を布団の上におろした。
うつ伏せの状態にして、手足だけを動かす赤ん坊をじっと見下ろす。
「…流石に、今すぐにとはいかないと思いますよ?今日はたくさん着ていますし」
「………そうらしいな」
苦笑し、もう一度赤ん坊を抱き上げる。
そして、縁側に胡坐をかいた自分の膝の上に赤ん坊を乗せた。
紅もその傍らに座る。
冬の寒さは厳しいけれど、どこか暖かさを感じた。
穏やかな時間を過ごしていた紅の耳に、トトト、と走ってくる足音が聞こえてきた。
「母上!」
「どうしたの?そんなに急いで」
縁側を走って曲がってきた息子は、政宗の姿を見るなり急停止した。
そして、今更ながら取り繕いつつ、板の上を歩いてくる。
「…ごめんなさい」
怒られる前に謝ってしまえ。
素直に自分の非を認めた息子に、政宗は満足げに頷く。
日頃から小十郎にやんちゃが過ぎると怒られている成果なのだろう。
「どうした?」
「あ、えっと…四国から祝いの品が届きました。海の幸を籠一杯にして、五つも!」
このくらいの籠です!と両手を広げる息子。
興奮冷めやらぬ様子を見れば、どれほどの品なのかがよくわかると言うものだ。
「あら…じゃあ、お礼を書かないといけないわね」
「何かお返しをするんですか?」
「品物はもう届いている頃だと思うわよ」
紅が答えると、そうなんですか、とにこにこ笑う彼。
四国の海の幸は一味違うらしく、息子のお気に入りだ。
前にそれを話したことがある所為で、最近は何かが送られてくるとすると海の幸ばかり。
もちろん、こちらとしても喜ばしい物なのでありがたく受け取り、城の皆で美味しくいただいている。
「おいで」
紅は上機嫌の息子を膝の上に招いた。
迷いなく膝の上に座ってきた彼は、やはり興奮気味に籠の中身を教えてくれる。
「じゃあ、今回のお礼の文はあなたが書いてみる?」
「お、それはいいんじゃねぇか。氷景に字を教わったんだろ?」
「うん!頑張る!!」
しっかりと拳を握った彼は、そのまま氷景を探して三人の元を離れていった。
走っていく背中を見送り、少しだけ皺になった着物を伸ばしつつ、紅が口を開く。
「で、本当のところはどうなの?」
「少なくとも、手紙を書けるほどじゃないな」
何もない場所からの返事。
瞬きの間に姿を見せた氷景は、やれやれと言った様子で肩を竦めた。
「まぁ、何とか形にはするけど…」
「あら、いいのよ。子供の手紙なんだから、完璧じゃなくても」
「…読めなきゃ意味ねぇだろうが」
「大丈夫だって。悠希が何とか解読するだろうし…ねぇ?」
政宗に同意を求めれば、彼は口元に笑みを浮かべて頷いた。
大切なのは中身ではなく、感謝を自分で伝えようとする心だ。
自分たちよりも親歴が長い彼女は、それをきちんと理解している。
「…わかったよ」
「ええ、お願いね。探しているみたいだから、行ってあげて?」
子供に忍を探せと言うのは無理があるのだろう。
見当違いの方へと走っている気配に、紅はクスクスと笑う。
その気配を追って姿を消した氷景。
子守なんて本来の忍の仕事ではないだろうけれど、氷景自身は割と楽しんでいるように見える。
「あら」
ふと、視線を落とした紅が、政宗の膝にいた赤ん坊が眠っていることに気付く。
彼女の声でそれに気付いた政宗が、無理のない姿勢に抱き直した。
紅は膝で動いて彼との距離を縮め、そっと手を伸ばして赤ん坊のふくよかな頬に触れる。
「政宗様。私…幸せです」
「…そうか」
隣に座り、彼の肩を借りる。
体温を分け合う距離に彼がいて、手を伸ばした先には可愛い我が子がいて。
これ以上の幸せなど、知らないと言う程に幸せだ。
「政宗様」
「ん?」
「今年もよろしくお願いします」
「今年だけか?」
「…これからもずっと、ですね」
顔を見合わせ、二人で笑い合う。
まるで秘め事のような時間は、穏やかに過ぎて行った。
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あけましておめでとうございます。
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申込みの際のコメントから、もう何年と言うお付き合いの方もいらっしゃるようです。
顔も知らないお付き合いではありますが、こうして共有できる―――ネット世界の素晴らしい所だなと思います。
今年もサイト共々よろしくお願いいたします。
2011年が皆様にとって良い年でありますように。
Hora fugit 雪耶 紅
11.01.01