有り触れたひととき
新しい年が明けた。
いつもと同じ朝日が昇り、そして一日が始まる。
魔界の年明けなど、何の変哲もない日常だ。
知識の深い紅や蔵馬はそれを知っているけれど、新しい年を迎えたことすら知らぬ者もいる。
明日も保障されぬ魔界では、そんなことに一々意識を向けていられないのだ。
「とは言え…新年早々ご苦労なことね」
ご苦労にも窓から侵入してきた妖怪を片腕で伸しながら、紅はため息交じりにそう言った。
何が悲しくて、新年からこんな風に過ごさねばならないのだ。
「魔界に新年を祝う概念はないからな」
バキッととても痛そうな音がして、妖怪が壁まで吹き飛んだ。
そのままクレーターを作るようにしてそこにめり込み、ズルズルと床に崩れ落ちる。
流石に、同情せずにはいられない。
相変わらず情け容赦のない攻撃だ。
そんな風に考えながらも、紅は向かってきた妖怪の背後へと回りこみ、ついでにその妖怪の腕を背中へと回す。
耳障りな音と共に腕が変な方向へと曲がった。
床の上でのた打ち回るそれを見ながら、自分もあまり変わらないか、と息を吐く。
「この分だと、人数はそう多そうではないわね」
「そうだな。精々20人くらいだろう」
「それなら、これの打ち上げついでに宴会でもしましょうか。偶には人間界のイベントに則るのも悪くはないでしょう?」
蔵馬の元へと歩くのに邪魔だった妖怪を踏みつけ蹴飛ばし、彼の元へと歩く。
やや乱れた髪は、彼が穏やかな笑顔と共に整えてくれた。
「悪くないな」
「そうでしょう?なら…そろそろ来る筈の暁斗に伝言を頼みましょうか」
そう言い終えるが早いか、寝室のドアが勢いよく吹き飛んだ。
いや、粉砕に近かったかもしれない。
「母さん、無事!?」
侵入センサーが鳴ったからびっくりして飛んできたんだ。怪我はない?侵入者はどうした?
立て続けに紡がれる言葉に、紅は苦笑を見せた。
そして、半ば体当たりのように抱きついてきた息子を抱き上げる。
「怪我はないし、侵入者は片づけたわ。床に転がっているのがそう。それから…来てくれてありがとう」
えらかったわね、と頭を撫でれば、嬉しそうに尾が揺れる。
銀色のそれがちらちらと動くのを横目に見ながら、紅が思い出したように声を上げた。
「きっと他の場所にも侵入しているんでしょう?」
「うん。廊下にも2人居たよ。センサーは3階を中心に6か所で鳴ったみたい」
ここと、あそこと…そう言って順番に場所を上げていく暁斗。
全てを聞いた紅は、にこりと微笑んだ。
「そう。それなら、もうすぐ片が付く頃ね」
「片付けついでに準備に取り掛からせるか」
「準備?」
二人の会話に首を傾げた暁斗。
そんな彼に、彼女は目線を合わせるようにその小さな身体を持ち上げた。
「侵入者撃破の打ち上げついでに、宴会でも開こうと思ってるの」
「ちょうど、前の盗りで結構な食料や酒が入ったからな」
そう言うと、暁斗の表情がぱっと輝いた。
そして紅の腕から下りると、すぐに出口へと走っていく。
「俺、皆に伝えてくる!!」
元気に走り去った息子を見送り、クスクスと笑う紅。
いくら背伸びをしていても、彼はまだまだ子供だ。
馬鹿騒ぎ…とは少し違うけれど、賑やかな宴会などは大好きなのだ。
すでに姿のない息子を思い、紅は楽しげに微笑む。
「紅も楽しそうだな」
「暁斗が楽しみにしているようだから」
私も気合い入れないとね、と意気込む彼女。
安上がりな二人だと思うけれど、そんな彼女らの笑顔を見ればどうでもよくなる自分もあまり変わりはない。
薄く笑った蔵馬は、漸く駆けつけてきた部下に侵入者の後始末を命じ、自分も部屋を後にした。
もちろん、紅も当然のように彼の隣に並んでいく。
途中、最後の一人であろう侵入者を3秒で伸し、彼らは暁斗を追った。
深夜まで続いた宴会は、未だ衰えを知らない。
寧ろ、酒の入った連中の生気を吸ってどんどんと騒ぎを広げているように思う。
気がつけば、昼間でもこんなに煩くはないと思えるほどに騒がしくなったアジト。
こんな日もあってもいいか、と紅は苦笑交じりに足を組みなおした。
「姐さーん。姐さんも一緒にどうっすかぁ~?」
陽気な声が紅を呼んだ。
蔵馬は少し席をはずすと言ってこの場にいない。
一人酒を飲んでいた彼女は、声のした方を向き―――呆れにその表情を染めた。
「…一応聞くけれど、何をしていたの?」
「一気飲み競走っス!!」
ぐっと親指を立てた妖怪は、殆ど服を着ていない。
よく見れば、そこに屯している他の面子も似たり寄ったりだ。
そんな中、きちんと上着まで着ているのは…。
「暁斗、どう言う事?」
「や、何か…一気飲みで競争するんだって張り切って、誘われて…勝っていくうちに」
こんなことになってしまったわけだ。
そもそも、ザルといっても過言ではない暁斗に勝負を挑むのが間違っている。
意気揚々と勝負を挑み、結果としてひん剥かれていく部下たち。
その光景がありありと想像でき、紅は苦笑いを深めた。
「姐さんも勝負しやしょー?」
すでに出来上がっているらしい妖怪の一人が、馴れ馴れしくも紅に向かってそう言った。
よく見れば、この妖怪たちはまだ入ったばかりの新米だ。
確かに無礼講とは言ったが、限度があるだろう。
そんなことを考えている間に、妖怪は紅の沈黙を肯定と取ったらしい。
伸びてくる腕に、紅はため息を吐きだした。
「わぉ。死刑決定だね。勇気あるなぁ」
暁斗の他人事のような声が耳に届くのと、伸びてきた腕が別の者により阻まれるのとはほぼ同時だった。
「頭の女を脱がせようとはいい度胸だ」
低い低い声。
地を這うようなその声は、その場の喧騒を静めるほどだった。
古株の部下がこちらの様子をうかがい、「あぁ、またか」とどこか納得した様子で去っていく。
紅の存在は、良くも悪くも部下たちに大きく影響する。
どこにいても目を引く存在である彼女への思いは、憧れや尊敬だけには収まらない。
酒が入ればその思いが増長されることも多々あり、結果として新人は手痛いお返しを受けることとなる。
「お酒って怖いわねー」
カラン、とグラスの中の氷を転がしながら、紅は楽しげに目を細める。
彼女の視線の先には、ボロ雑巾のような扱いを受けている例の面子。
先輩達は新人を助けようとはせず、既に自分たちの集まりで宴会を再開している。
「…何か死にそうだけど」
「あぁ、別にいいわよ。放っておいて。ここで死ぬようなら、大して役には立たないんだし」
これ食べる?と果物を暁斗の元へと取り分けながら、紅は日常会話のように返す。
彼女にとっても見慣れた光景なのだろう。
今更だが、布きれ一枚に剥かれた部下たちが哀れに思えてきた暁斗だった。
「お疲れさま」
「疲れていない」
「でしょうね。飲む?」
戻ってきた蔵馬に彼の好きな酒を差し出す。
それを受け取りつつ彼女の隣に腰を下ろす蔵馬。
「…不愉快だ」
「まぁ、気にしなくていいわよ。どの道、勝負になっていたとしても負けないから」
負けた時のことを心配する必要なんてないでしょう?
そう言って悪戯に微笑んだ彼女の前には、空になったボトルが十数本積まれていた。
そんな会話をしながらも着々とグラスを空けていく蔵馬と紅。
暁斗は、確かにその血を色濃く受け継いでいた。
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2008年が皆様にとって良い年でありますように。
Hora fugit 雪耶 紅
08.01.01