静かなるひととき
「今日は十一番隊で新年会だと聞いていたが…良かったのかい?」
トントンとまな板と包丁を合わせていた紅は、藍染の言葉に顔をあげた。
一定の間隔で鳴っていた音がやめば、そこは無音に近しい世界となる。
「別に構わないわ。年末にも忘年会って言って宴会を開いていたんだし」
事あるごとに酒を飲んでは、翌日の任務に支障をきたしている。
その結果、紅の仕事が倍増するというわけだ。
元々事務処理のできる人間など殆どおらず、彼女が一手に引き受けているという現状。
宴会の翌日は、それに加えて他の隊からの苦情が殺到するために紅は一日中執務室から出られなくなってしまう。
何度か隊長に申し出ているのだが、一向に改善されそうにはなかった。
徹夜に近い状況で執務室に缶詰にされるのだ。
紅が嫌がるのも無理はない。
「惣右介さん、今日は何本?」
「一本でいいよ。そんなに酔うつもりはないからね」
「酔わない人が何を言ってるんだか…」
そう言いながら、紅は酒をあたためる。
水面がぐらぐらと揺らぐ前に取り上げ、そのまま縁側で寛いでいる彼の元へと運んだ。
先ほどから用意していたつまみと共にそれを差し出せば、夜空に向けられていた視線が彼女を見上げる。
「惣右介さんは、私が宴会に参加した方が良かった?」
思ってもいないことを…。
自分でも笑いたくなるような言葉だと思う。
彼がどう答えるのかを理解した上で、この質問をしているのだ。
意地が悪い―――まさに、そうなのだろう。
「紅のしたいようにすればいい。私は何も制限するつもりはないよ」
そう言って彼はほんのりと湯気の立つそれを口元へと運ぶ。
彼の答え方も、十分意地悪だった。
宴会に参加しなかったことを喜ぶこともなく、あくまで紅に自由を差し出す。
その言葉自体が彼女を束縛する鎖となり、その足元に帯を成した。
「五番隊の隊長さんは、新年会の予定を組まなくてもいいのかしら?」
部屋の中から二枚の羽織を手に縁側へと出てくる。
一枚を彼の肩へとかけ、もう一枚を自分で羽織る。
そうして、紅はようやくそこに腰をおろした。
「そのあたりはギンが好きにするだろう。あれは、私よりもそう言うことに長けているからね」
「優しい藍染隊長は、喜んで宴会を開いてくれると思うわ」
「そうか。ご期待に添えなくて残念だ。優しい藍染隊長は、家で待つ妻を一人にはしておけないからね」
まるで他人の事を話すような口ぶりの二人。
仕事中に見せている顔が偽りのそれならば、他人事、と言ってもあながち間違いではなさそうだ。
「随分とお優しいのね、藍染隊長は」
「あいにく、妻の方は自分の隊の世話で忙しいようだけれどね」
彼の言葉に紅はきょとんと目を瞬かせた。
それから、一呼吸を置いてクスクスと笑いだす。
「私が宴会に参加すると寂しかったの?」
「まさか。ただ、自分の身の回りの世話がこんなにも面倒だったかと思い知るだけだよ」
死神である彼女は、主婦の鏡と言うわけではない。
けれど、彼女はそれを差し引いたとしてもよくできた妻だった。
自分の仕事を定時まできちんとこなし、彼よりも先に帰って出迎える。
貴族である彼女は毎日料理をしたりはしない。
基本的には家政婦なる者がいてそちらに任せているのだが、それでもこうして週に3度ほどは手料理を作っている。
年末年始は他人を入れたくない。
普段はあまり自分の意見を通そうとしない紅が、師走の頭にそう言った。
面倒が増えても構わないのかと問えば、彼女は是と返す。
それならばと、年末年始の2週間、二人の屋敷で雇っていた家政婦に暇を与えた。
紅の負担は増えているようだけれど、文句も言わずにそれをこなしている。
「惣右介さん。実家への挨拶はいつにする?」
暦を眺めていた紅がそう尋ねた。
紅のように、四席のような微妙な位置ならば、年始もしばらく休んでいられる。
しかし、藍染は隊を率いる長だ。
三箇日をゆっくりと過ごせればいい方だろう。
「…面倒は先に済ませておこうか。明日はどうだい?」
「明日…ええ、大丈夫」
実家への挨拶を面倒と言ってのける彼に、紅は苦笑を浮かべた。
けれど、彼女自身も思っていることなのでそれを咎めたりはしない。
自分の人生において、家の存在など殆ど意味を成していないのだ。
世界が鮮明になったのは、この人と出会ってからなのだから。
見るともなしに視線を向けてくる彼女に、藍染が己の目を向ける。
まだ、彼女は彼が見ていることに気付いていないようだ。
視線は絡んでいるのに、そこに意識がない。
どこかへと放浪してしまっている彼女の意識を思い、彼は苦笑した。
「紅。またどこかへ旅しているよ」
「…!」
ビクン、と肩を揺らし、彼女の目の焦点があった。
彼はそんな彼女の反応を横目に酒を呷り、そして話題を変えるように「所で」と口を開く。
「紅は宴会が好きなのかい?」
5回のうち3回は参加しているからなのだろう。
藍染からの質問に、紅はうーん、と頭を悩ませた。
「…まぁ、偶には騒ぐのも、悪くはないんじゃない?他の隊よりは少し回数が多すぎるとは思うけれど」
「おや、意外だ。君はそんな風に騒ぐのは苦手かと思っていたよ」
「得意じゃない事は確かね。ただ…騒がしさの中にいる時は、何も考えずにいられたから」
多少地が出たとしても、それは酒の所為と思って皆気に止めなかった。
もちろんそんな間抜けをしたのは本当に数えるほどの回数でしかない。
紅が本当に安らげる場所など、自分の家以外にはなかったのだから。
「今は、こうして家でゆっくりと過ごす方が好きよ」
飾る必要も偽る必要もない。
ありのままで居られる場所と言うのは、何と尊いのだろうか。
肩からずり落ちそうになった羽織を戻しながら、紅は薄く微笑んだ。
「随分と正直だね」
「お酒の所為よ」
「飲んでいないのに不思議なものだ」
潜めた笑い声に答える前に、紅は彼の肩にもたれかかる。
こうして、誰かの隣で安らげる日が来るとは思わなかった。
内なる霊圧を抑えることばかりを考えていた昔では考えられない。
「じゃあ、雰囲気に酔ったとでも言っておきましょうか?」
「そう言うのは、聞かずに言ってこそ意味がある」
空いている手が髪を撫でる。
いつも死神の時にはしっかりと結ってある髪も、今は背中に流れている状態だ。
サラリ、サラリと彼の指をすり抜けていくそれ。
身を預けるように瞼を伏せている彼女を見下ろし、藍染は自身の行動に苦笑した。
いや、行動だけではなく、その感情にすらも失笑を禁じえない。
こんなにも自分の領域に踏み込ませる事になるとは思わなかった。
それを許せている自分も、信じられないところだ。
「本当に…君は、予想外の事ばかりをしてくれる」
「惣右介さん?」
「この私がこんな風になるとは…誰が予想できたかな」
彼を見上げようとしたその目を覆うようにして彼の手が重ねられる。
視界がゼロになってしまっても、全く不安を感じなかった。
「どうしたの?」
「何でもないさ。これからもよろしく、と言うことだよ」
そう言って薄く笑い、彼は紅の目元に軽く口付けた。
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Hora fugit 雪耶 紅
08.01.01