あたたかな人たち
年末年始を一緒に過ごそう。
蔵馬からそう言われた時は、思わず目を瞬かせたものだ。
幻海の残した広い屋敷を掃除するのは一苦労で、毎年彼も手伝ってくれている。
しかし、大晦日には家に帰り、家族と過ごしていた。
そんな彼からの、突然の申し出。
「もちろん、嬉しいけれど…ご家族はどうするの?」
「母さんが外国のニューイヤーに興味があるって言ってたからね。初めての給料で海外旅行をプレゼントしたんだ」
今頃は空の上だよ、と笑った彼。
彼の表情に、紅は全てを悟った。
母親を喜ばせようと思ったのも、本心だろう。
しかし、あえて自分は残っている辺りに、彼の計画性を感じずには居られない。
紅には、自分と一緒に過ごすために、彼らが不思議に思わないような手段をとったように思えてならなかった。
「父さんってさ、黒いよね」
以前暁斗が呟いた言葉が、紅の脳内でリフレインされた。
「…蔵馬―――!!」
屋敷内に、紅の声が響き渡った。
山一つ丸々彼女の住む土地なのだから、近所迷惑だろうと言う考えは必要ない。
突然の母の声に、蔵馬と共に居間で面白くも無いテレビを見ていた暁斗は驚いたように耳を立てた。
その逆立った尾が、彼の驚きを表している。
「な、何事…?」
「さぁ、何だろうな」
ククッと笑いを堪えている様子で蔵馬は息子の言葉にそう答える。
それだけで、彼は気付いた。
「(父さんが原因!)」
今度は何をされたんだろう、と思うが、父には口出しできないので貝の如くそれを噤む。
そうしている間に、紅の自室の方から足音が近づいてきた。
だが、その足音がいつもよりも小さく―――寧ろ、常人では聞き取れないほどの音量である事に疑問を抱く。
「蔵馬!一体何を使ったの!!」
バンッと障子が勢いよく左右に開かれ、金が露になる。
―――金?
「母さん、その姿…」
「あぁ、暁斗も起きていたのね。おはよう」
暁斗の声だけはちゃんと聞こえているのか、彼女はにこりと微笑んだ。
いつもとは違う、その妖艶な笑みに彼は張子の虎のようにコクコクと頷く。
紅はその金色の髪を掻き揚げ、珍しく蔵馬を睨んだ。
彼女は、今佐倉へと姿を戻されていた。
そう、『戻されていた』のだ、蔵馬によって。
「やっぱり、効果はあったようだな」
「狐奮草花を使ったわね。しかも、ご丁寧に私が眠ってから」
「気付かないほど安心して眠ってくれるのは嬉しいけど…油断大敵」
悪戯な笑みを浮かべる蔵馬に、紅は脱力したように畳の上に座り込んだ。
狐奮草花―――別名、妖狐興奮草。
その作用は、一時的とは言え妖狐の妖力を格段に向上させると言うもの。
つまり、普段は押さえ込んである紅の妖力を、それを使って向上させる事で佐倉の姿に戻したと言うわけだ。
本来は一時的のはずで、ある程度耐性があれば自力でも解く事は出来る。
しかし―――
「あぁ、自分では解けないよ。改良したから」
「蔵馬…変な所に労力を使うのやめて…」
「仕方ないじゃないか。久しぶりに、その姿の紅と一緒に過ごしたいと思ったんだから」
一見、裏表の無い笑顔でそう言われ、信じてしまわない女性は世の中に何人居るだろう。
しかし、忘れてはならないのは、そのために無断で人の姿を本来のそれに戻してしまう思い切りの良さだ。
「もう…。折角だから三人で初詣に行こうって話してたじゃない…」
これじゃ行けないわ、と彼女はその金色の髪を指先に絡めながら呟いた。
見た目的に、彼女が人間であると言い切るのは難しい。
鋭く尖る犬歯や、爪。
その鋭利な眼差し。
そして何より、その人間離れした美しい容姿には、テレビの中の人物でさえも霞んでしまうだろう。
「もちろん、それが狙いだから」
「…でしょうね」
そうだと思った、と答える。
朝起きてみれば慣れ親しんだ身体に戻っていて、寝ぼけたのかと人間に戻ろうとするも、それも出来なくて。
苛立ちのままに蔵馬の元まで駆けて来たのだが、彼の反応に毒気を抜かれた。
完全に諦めた様子で、彼女は溜め息を吐き出す。
「仕方ない…。少し、着替えてくるわ」
「着替え?」
「どうせなら、正月らしく着飾った方がいいでしょう?師範から頂いて、紅のままでは少し背丈が長すぎる着物があるのよ」
こんな物を貰えないと言った彼女に、間違えて買ったから使うように言ったのは幻海だ。
紅と幻海師範と言えば、その身長は驚くほどに差がある。
どこをどう間違えば、自分の身長と彼女の身長を間違える事ができるのか。
無論、その意味するところは一つだ。
「へぇ…それは楽しみだな」
「暁斗、一緒にいらっしゃい。ついでにあなたの分もあるのよ」
「え?俺…?」
「そう。来なさい」
そう言われ、暁斗は「はい」と背筋を伸ばして答える。
彼の反応に気をよくし、微笑む紅と共に彼は去った。
残された蔵馬は、付けっぱなしにされていたテレビの電源を切る。
「さて…どんな格好を見せてくれるのかな」
酷く浮つく自身の心を自覚し、彼はクスクスと笑った。
誰もが振り返るような容姿を持ちながら、彼女はそれを磨くことにかけては酷く疎い。
人間の姿の時はまだマシだが、佐倉に戻るとそれが露骨だった。
尤も、自分だって戦闘に適した白魔装束以外を着ないのだからお相子だろうか。
彼女が望むなら、自分は魔界の一国を支配する者からでも財宝を奪い取っただろう。
そうしないからこそ、彼女だとは知りつつも、もう少し欲深くなっても良いのではないかと思う。
彼女のただ一つの願いは、現在進行形で叶えている。
「せめて、もう一つくらい望みを聞いてから、かな」
そう遠くない未来に交わすであろう誓い。
未来をともに歩むと言う、人間界なりのその誓いはまだだ。
妖狐蔵馬と佐倉は、自他共に認める夫婦だが、今の南野秀一と雪耶紅は違う。
一日でも早く独立できるように。
それだけが全てかと問われれば否と答えなければならないが、それも理由の一つとして、彼は進学よりも就職を選んだ。
あくまで恋人と言う領域から踏み出すことの無い関係に、終止符を打つ日はそう遠くは無いだろう。
「こら、暁斗。そんなに走ったら崩れちゃうじゃない」
「母さん。これ、動きにくいよ…。妖怪が来たらどうするの?」
「今日は蔵馬に任せればいいわ」
そんな声が近づいてくる。
相変わらず、紅の足音は耳を澄まさなければ聞こえない。
盗賊時代に培われたものは、そう易々と彼女の中から消え失せたりはしないのだ。
彼女たちを待つ間に、蔵馬は自身の姿も妖狐蔵馬へと変化させる。
久しぶりに、家族水入らずの妖怪生活も悪くは無いだろう。
「お待たせ―――って、あら。蔵馬も戻ったの?」
すらっと襖を開け、第一声。
紅は流れる銀髪にそっと目を細めた。
「いや。そんなに待って、いな…い」
不自然に言葉が切れてしまったのは、図らずも彼女の姿に見惚れたから。
金色の髪がよく映える、美しい絵柄の入った着物だ。
着崩されたところから覗く白磁の肌は、それだけで色香すら感じさせる。
描かれているのは、桜…だろう。
緋色の花が舞い散る様が、酷く彼女に似合っていた。
化粧を施さず、髪も結い上げず。
ただ着物を着付けただけの彼女。
しかし、それでも彼女は美しかった。
「悪くは無いでしょう?」
「いや、寧ろ…」
襖に背中を向けるようにしていた彼は、立ち上がって紅の前に立つ。
見下ろす視線を、やや挑発的なそれで見上げてくる紅に、彼は口角を持ち上げた。
「随分とよく似合う。綺麗だ」
「私からすれば、照れもせずに言えるあなたが凄いわね」
そう言いつつも、頬を撫でられて目を細める紅。
その甘えるような仕草に、彼は引き寄せられるように腰を折った。
自身の唇を彼女のそれに重ねる―――
「俺の存在忘れてない?」
不満げな声に、距離5センチと言う所で蔵馬の動きが止まった。
忘れていたのは蔵馬だけで、紅はと言えば何かを含ませたような笑みで彼を見ている。
そこから更に視線を落としつつ右へとずらせば、唇と尖らせる暁斗が見えた。
自分譲りの銀髪がよく映える、漆黒の袴を着た彼。
「…なるほど。暁斗も似合うじゃないか」
悪くは無い、と彼の頭を撫でる蔵馬。
その撫でられる手の温もりに機嫌を戻しそうになり、暁斗は慌てて頭を振った。
「こんなので誤魔化されないよ!大体父さんたちはいつまで新婚気分なんだよ。見せ付けられるこっちの事も考えてよね」
「悔しいなら、お前も良い相手を見つけることだな」
「まだ50やそこらの子供に言うセリフじゃないよ、それ」
種族によってかなりの差はあるが、妖狐の場合婚期は大体齢150から200。
暁斗に例えて言えば、少なくともあと100年は掛かるのだ。
挑発めいた笑みと共にもう一度髪を撫でられ、負けた気分を味わう暁斗。
いつか母さんよりも綺麗な女性を妻にしてやる、と心に誓う。
だが、直後に「そんな人が見つかる筈はない」と思いなおした。
魔界を虱潰しに探して回ったとして、果たして一生のうちに出逢う事ができるか…。
例えるなら、隕石が頭上に降るほどの低い確率。
そんな事を考えていた隙に、蔵馬は紅を抱き寄せてその頬に唇を落とした。
暁斗の存在を配慮して唇を避けたものと思われるが、彼からすれば頬だろうが唇だろうが変わらない。
「今日と言う今日は勘弁ならないよ!父さん!勝負して!!」
「あぁ、いいだろう。精々頑張るんだな」
ビシッと突きつけられた人差し指にも怯まず、寧ろ楽しげに口角を持ち上げる蔵馬。
暁斗が庭先に飛び出していき、それを追うように蔵馬も続いた。
「勝負って…袴で蔵馬に勝てるつもりなのかしらね、あの子は…」
すっかり失念している暁斗に、縁側に腰を下ろした紅はそう笑った。
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Hora fugit 雪耶 紅
07.01.01