速度差ゼロ、距離20センチ
1日は午前10時に学校集合。
そんな簡略なメールを作ると、そのフォルダに入れてある全員に送信する。
送信完了、のメッセージを見届けると、紅はそれの電源ボタンを押した。
待ち受け画面が表示され、その数秒後にディスプレイが真っ暗になる。
ベッドに横たわったまま、真っ暗なそこに映る自分をぼんやりと見つめる。
日付は先ほど変わったばかり。
一度は社会人を経験している紅にとって、日付の変わる時間は「もう」ではなく「まだ」だ。
一向に戸を叩いてくれない眠気に、紅はむむ…と眉間に皺を寄せた。
「明日は早いんだから、寝たいのに…」
寝なければ、と思う時に限って、起きてからの事なんかを考えて寝られなくなると言うのは良くあること。
普段寝つきがいいだけに、こう言う時は対処に困る。
去年は朝まで飲んでいたなぁ、と懐かしむように目を細めた。
ファミリーの皆は、今年も同じように飲み明かしているのだろうか。
イタリアとの時差を考え、まだ日付は変わっていないと言うことを思い出す。
「年明けと共にメール…は難しいわね」
流石に、海を越えた先に届く時間を見越して送信するのは困難を極めるだろう。
況してや、行く年来る年でやたらとメールの送受信が多くなる日だ。
電話会社から大晦日から元日のメールは控えるようにと手紙が来ていたなぁ、と思い出す。
そんな事を考えながら眠気がやってくるのを待っていた、その時。
見るともなしに見ていた黒いディスプレイに、突然色が戻った。
目を瞬かせる間もなくメロディーが流れ始める。
すでに相手の名前は表示されていた。
「はい」
『紅?』
「そうです。珍しいですね、雲雀さんからかけてくるなんて」
『忘れていた用事を思い出したからね』
電話の向こうから聞こえてきたそれに、用事?と鸚鵡返しする。
すると、彼、雲雀はうんと頷いた後、口を開いた。
「無理難題を言われるのは慣れました。いえ、慣れたと思っていたんですけれど…」
「けど?」
「今回ばかりは、流石に攻略は難しいかと思いましたよ、雲雀さん」
もう少し連絡が早くなりませんかね、と言う思いをこめて睨んでみる。
だが、柳に風、暖簾に腕押しと言った感じで効果はゼロ。
「忘れてたんだよ」
「まったく…。まぁ、身内の伝があったから何とかなりましたから、良かったですけど…」
そう言いながら、彼女は自身の姿を見下ろす。
彼女の今の格好は、普段ならば絶対に着る事のない、着物姿。
これこそ、昨夜…と言っても日付は変わらない…の彼からの「忘れていた用事」だ。
「はい、じゃあ…集金よろしく」
「全部任せるつもりですか!?」
はい、と大きな茶封筒を渡され、紅は思わずそう返した。
彼女らが居る場所は、一番近い神社だ。
元日と言う事もあり、多くの人出と共に客引きの屋台が軒を連ねている。
夏祭り同様、今回も風紀委員の活動費を集金すると言うことは知っていた。
それが夜になって突然「着物を着て来い」と言われ、茶封筒を渡される。
このままで回る事になるんだろうなと言う予測は付いていたが、それ以外は全て想定外だ。
「集金したお金を盗られたら困るからね。一応付き添いはするよ」
「あ、そうですか。ならいいですけど…」
そう言いつつ、茶封筒を受け取る。
今は空っぽだが、再びこの場所に戻った頃には茶封筒と思えないほどに膨れ、大金が詰まっている事になるのだろう。
「行くよ」
「はい」
紅が受け取るなり歩き出す彼に続き、彼女は思う。
結局のところ、彼になら何を言われたとしても…出来る限りで叶えようとしてしまうんだろう、と。
「惚れた弱み…なんだろうね、これは」
人の賑わいで聞こえないのをいい事に、紅は小さく呟いた。
そして、少し足を速めて彼を追う。
どれくらい歩いただろうか。
すでに封筒の中は少しずつ厚みを増してきている。
夏祭りよりもスムーズに集金が進んでいるのは、紅のお蔭だ。
「おはようございます。風紀委員の集金に来ました」
笑顔と共にそう告げれば、同性が相手だって悪い気はしない。
それが男性ならば、効果は抜群だった。
まず払えない、払わないと門前払いを食らう事がないので、連絡を待っている委員の者は暇をしているだろう。
最短時間で着々と金額を増やしていく封筒内に、紅自身も少しばかり驚いていた。
「ありがとうございます」
そう言って、もう一度笑顔。
快く背中を送り出されると、紅はすぐに学ランの彼を探す。
これだけ込み合っている中でも彼を見つけられる自分に、思わず拍手したくなったのは秘密だ。
「………雲雀さんっ」
「済んだ?」
「はい。この辺は今で最後です。次は…神社の東ですね」
彼は神社に生えていた巨木に背中を預けるようにして紅を待っていた。
行きますか?と問いかければ、当然とでも言いたげな視線が返って来る。
すぐにでも歩き出しそうな彼に、紅はさっきから思っていたことを言おうと口を開いた。
「雲雀さん」
「何?」
くるりと振り向く彼に、一瞬言葉を詰まらせる。
しかし、これだけは言わなければ…そう思い、改めて唇を開いた。
「もう少しだけ、ゆっくり歩いてもらえませんか?」
今まで何度も着物は着たし、草履だって履いた。
だから決して慣れていないということはない。
でも、この人通りの多い道で人との接触を避けながら歩くのはやはり辛いのだ。
況してや、いつも通りの速度で歩く雲雀を追わなければならないとなれば、なおさら。
紅の申し出に、彼は何度か瞬きした後「あぁ」と頷く。
「歩いてみて」
「え?」
「早く」
そう急かされ、訳が分からないままに数歩だけ歩いてみる。
彼に近づき、そして追い越した辺りで止まって振り向いた。
これでいいですか?と問いかける前に、彼が口を開く。
「それが普通の速度?」
「あ、はい」
「そう。…行くよ」
そう言うと、彼は足早に紅に追いついてきた。
だが、追いついて並んだ時点からは、速度が急激に落ちる。
慌てて追う必要も、歩速を速める必要も無い速度だった。
もう少しだけゆっくりと歩いてくれ、と言った彼女。
しかし、彼は速度を落とすだけでなく紅に合わせてくれるらしい。
それに気付くと、紅は嬉しそうに頬を緩め、そして彼の隣に並んだ。
「ありがとうございます」
「順調に進んでるからね。少しくらい遅くなっても問題ないし」
素直にどういたしまして、なんて言うとは思っていない。
あまりにも彼らしい返事に、紅はクスクスと笑った。
「きっと委員会の皆さん暇してますね。さっきから出番無しですから」
「いいんじゃない?偶の休みだと思えば」
「ワォ、雲雀さんにしては優しいお言葉ですね」
「…何か文句でもあるの?」
若干低くなった声に、紅はまさか、と笑う。
こんな軽口を叩けるようになったのも、彼との距離が縮まったからだろう。
以前ならば、そのトンファーが姿を見せる事を避けてこんな事は言えなかった。
時間様々だな、とそう思う。
「時間が余ったらお参りします?」
「…僕が神に参るような人間に見えるの?」
「………すみません。神様にまでトンファーをチラつかせる光景しか浮かびませんでした」
そもそも、神社の敷地内で集金している時点で加護を受ける価値は無いようにも思える。
紅は今年の初詣はいつになるかなぁ、と考えながら歩いた。
「紅は行きたいの?」
「何がですか?」
聞いてませんでした、と答える彼女に、雲雀は「初詣」と答える。
そんな彼に、紅はあぁ、と頷いた。
「んー…別に、行きたいわけでも行きたくないわけでもありませんよ。ただ、ここまで来てるついでと言うか…」
雲雀も罰当たりではないと言えば嘘になるが、彼女のそれも十分罰当たりな発言だ。
彼女らしいと言えばそれまでだが、人によっては眉を顰めるものだろう。
「行きたいなら、付き合ってもいいよ」
「え、じゃあ行きます」
「…即答だね」
「だって…神様を拝む雲雀さんなんて、すごく貴重な絵じゃないですか」
これは見逃せません。
そう答えれば、ビシッと彼の指に額が弾かれた。
いつもなら頭を軽く叩かれるところだ。
恐らく、そうしなかったのは、紅の髪が綺麗に結い上げられているからだろう。
珍しい計らいだ、と思いつつも、今度は口に出さないでおく。
痛みに一瞬止めてしまった足。
その分だけ開いた距離を縮めるように足を速め、彼の隣に追いつく。
そして、再び並んで歩き出す。
学ラン姿の男と、晴れやかな着物姿の女。
傍から見れば面白い光景だろうなと思いつつ、それが気にならない自分が何だかおかしかった。
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2007年が皆様にとって良い年でありますように。
Hora fugit 雪耶 紅
07.01.01