その紅の如く、染まる
コツコツと足音が響く。
不意に、寒い廊下を歩いていたラビはその足を止めた。
徐々に近づいてくる、誰かが走る音。
それと共にバサ、バサという翼の音が聞こえてくれば、その足音の人物が誰なのかという質問には楽に答えられる。
振り向いた彼の視界を、一面の白が覆い尽くした。
グキッと首が嫌な音を立てる。
「…アズ…痛いさ」
片手でそれを引き剥がすように離せば、悪戯小僧のようにペロッと舌を出すアズが見える。
そして彼は躊躇う事無くラビの頬やら鼻やらを舐めた。
随分とご機嫌らしい。
「アズ、一体何が―――あぁ、ラビが居たんだね」
道理でアズが飛んでいくわけだ、と笑いながら登場したのは、アズの主であるコウ。
黒鳶色の髪を揺らして近づいてきた彼女に、ん、と首根っこを掴んだままのアズを差し出す。
彼を腕に抱き、コウは苦笑した。
「また飛びついた?」
「あぁ」
「ごめんね」
駄目でしょ?とアズと目を見合わせる彼女に、何だかわからないが笑いがこみ上げてくる。
クッとそれを漏らせば、不思議そうな二対の眼差しが彼に向けられた。
「や、何でもない。それより、何か用か?」
「あー…うん。ユウを探してるんだけど…知らない?」
「ユウ?見てないけど…何か用事?」
そう問いかければ、彼女はクスリと口角を持ち上げた。
そしてピッと人差し指を天井へと向けて立てる。
「文献を読んでいたら、面白いものを見つけたの。折角だから、彼に協力してもらおうと思って」
「…何でまたユウに?」
「あ、もちろんラビも巻き込む―――って言うより、教団全体を巻き込むつもりだから…宜しくね」
会話が成り立っているようで成り立っていない。
そう感じたが、楽しそうな彼女にそれを追求する事を忘れてしまった。
「この時間なら修練場にいるんじゃねぇか?」
「あ、そうかも。よし、行ってみよう、アズ!」
ポンと手を叩くと、彼女はくるりと踵を返す。
足早に去っていく彼女を見て、ラビは首を傾げた。
「…結局何かわからんままに置いていかれたさ…」
そんな呟きは、誰の耳にも届かなかった。
元日。
例年の如く初日の出を拝んだコウは昼まで部屋から出てこなかった。
その後も、リナリーを探しに来た以外は顔を見せず、時刻は午後3時を回る。
ラビは偶然にも廊下で出会った神田を引きずり、無理やり酒盛りに参加させていた。
いつの間にか他のメンバーも集まって、エクソシストの集まりが出来上がっている。
「あ、こんなところに居たのね!」
「コウ、丁度いいさ。コウも飲まない――――」
飲まないか、と言う言葉は最後まで紡がれる事なく途切れる。
コウの声に振り向いたラビの視界に映ったのは、いつものストレートの髪を綺麗に結い上げた彼女。
彩の良い髪飾りを付け、そこから零れる黒鳶色のそれは緩くカールしている。
「…どうしたんさ?」
綺麗にして、と問いかければ、周囲の視線も自然と彼女へと集まった。
その視線の山に照れるように笑うと、彼女は「まだ途中なの」と答える。
答えになっていないのだが、コウのメイクアップがそれだけでは無いと言うことだけは分かった。
「皆、順番にコムイさんのところに行ってね。準備してくれてるはずだから」
「コムイのとこに?全員?」
「そう。全員。だから―――逃がさないよ?神田」
ラビと話していたはずなのに、コウは神田の動きに気付いていた。
彼は、コウの姿を見るなり何かを悟ったのか、この場から離れようと動き出していたのだ。
彼女の死角を通るようにしていたと言うのに、何故気付かれるのだ。
そう言いたげな視線と共に、彼の肩が跳ねた。
「アズ、神田をコムイさんのところまで連れて行ってあげて?」
彼女の傍らを飛んでいたアズにそう声を掛け、コウはラビに向き直る。
ご愁傷様、とラビが呟いたのを、彼女は聞き逃さなかった。
「じゃあ、トップバッターは神田とラビに決定!ほら、急いで」
「急ぐって…どこに?」
「だから、コムイさんのところ!私は別ね」
そう言ってラビの背中を押しつつ、コウはその場を後にした。
それから一時間と少し。
次第に日も傾き、太陽はその赤みを増してきていた。
「ユウ…これ、動きにくくねぇ?」
「俺に言うな」
始終逃げないようにとアズに見張られていた神田の不機嫌は、最早針を振り切る勢いだ。
腕を組んだままイライラと一定のテンポで指を叩く彼に、ラビは苦笑を浮かべて自身の姿を見下ろした。
いつもの団服ではなく、上下を黒の袴で包んでいる。
動きにくいと訴えなければならないほどではないだろうが、慣れないからか動きにくい事この上ない。
今度は何を企んでいるんだか、と彼は心中で苦笑した。
コウと言う人間は好奇心の代名詞のような人間だ。
同時に、思いついたことは大概実践してしまうだけの度胸や行動力も持ち合わせている。
面白い事好きのコムイとタッグを組んで何かを企む、というのもまた、よくある事。
「お待たせ~」
そんな暢気な声と共にやって来たのは、今回の企画の張本人。
振り向く二人の視界に映ったのは、二人の女性。
一見濃すぎるとも見える紅地に白銀の蝶の描かれた着物に身を包む、黒鳶色の髪の一人。
彼女の濃い髪色と白い肌に、その紅が驚くほどに引き立ち、目を惹く。
もう一人は浅黄色の地に梅の花の描かれた着物の、黒髪の女性だ。
こちらももう一人と同様、着物を完璧に着こなしていた。
言うまでも無く、前者がコウ、後者がリナリーだ。
どちらも薄く化粧を施しているのか、一見すると誰だかわからないくらいに雰囲気が違う。
「やっぱり二人も似合ってるね」
「本当。神田はやっぱり日本人なんだね。違和感も全然無いよ」
花綻ぶような笑顔で笑いあう彼女達に、不覚にも男性陣は言葉を失った。
自分達がこの姿にされた時点で予想はしていたが、この似合いようは想定外。
褒める言葉も浮かばない二人に、彼女らは気付いていない様子で近づいてくる。
「日本では正月に着物を着るって言うから…コムイさんに協力してもらったの。中々風流でしょ?」
悪戯にそう微笑み、コウは小首を傾げて見せた。
いくら美しく着飾ろうとも、変わらない彼女の表情や仕草。
それを目の当たりにして、彼らは漸く動きと言うものを取り戻す事が出来た。
「じゃあ、コウさん。私兄さんのところに…」
「あ、うん。慣れない着物でこけないようにね」
そう言ってみれば、リナリーは笑って「こけません!」と答えた。
そして、いつもよりもゆっくりした狭い歩幅で去っていく。
「やっぱ、コウの提案だったんだな」
「当然でしょ?前にユウに色々と聞いて…作ってみました!」
ぐっと親指を立てる。
そんな彼女の仕草に、やはり中身は変わっていないんだな、と思うと、どこか嬉しかった。
「ったく…奇妙な事ばっかり考えるなよな」
「年始までシリアスな雰囲気背負ってても仕方ないでしょう?」
そんな彼女の言葉も、尤もだ。
せめてこの時くらいは、こうして穏やかな時を過ごす事を許されたい。
普段張り詰めている教団内の空気が違うと感じ、ラビはそう思った。
「それにしても…二人ともよく似合うね。特に、ラビが意外」
そのオレンジ色の髪は、明らかに日本人とは似ても似つかない。
それなのに、日本の伝統的な袴を着こなす姿は、不思議でそれで居て格好良い。
神田の方も、その立ち姿からして決まっていて、酷く目を惹かれる。
二人で並んで立つ彼らは、町に出れば女性の視線を釘付けに出来るだけの要素を十分に持ち合わせていた。
「こんなん初めて着たさ」
「そりゃ、着た事があるって言われたらその方が驚きだけど…。うん、でも似合ってる」
それしか言えない自分の語彙力の無さが恨めしい。
胸元に擦り寄ってきたアズを抱き上げ、その純白の毛並みを撫でながらコウは微笑んだ。
「コウも似合ってる」
はにかむような笑みを浮かべてそう言われ、照れないほどコウは慣れていない。
薄く頬を染め、ありがとうと答えた後、照れを隠すように視線を彷徨わせた。
「ユウも何か言ってやれよ。折角なんだからさ!」
「……………―――だ」
ぼそりと何かが紡がれたのがわかった。
先ほどの照れも忘れ、彼を見上げる。
首を傾げてみれば視線を逸らされ、彼の唇がもう一度動いた。
「綺麗だっつってんだ!」
一回で聞き取れ、と無理難題を言う彼。
直球な言葉に口笛を吹くラビの隣で、コウは今度こそ耳まで赤く染め上げる。
言葉を述べる事すら間々ならず、不審に視線を彷徨わせた。
だが、言うべき事を思い出したのか、頬を染めたまま一度俯き、そして顔を上げる。
「ありがとう。ユウとラビにそう言ってもらえて…照れるけど、嬉しい」
満面の笑みでそう言えば、彼らは顔を見合わせる。
そして、それぞれらしい表情で答えた。
「どういたしまして」
ラビはそう言って同じように笑みを浮かべ、神田はフンとそっぽを向く。
顔を背けたところで僅かに赤らんだ頬を隠す事など出来るはずもない。
その後、からかうコウとラビ、そして、声を荒らげる神田の姿が一人のファインダーによって目撃された。
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あけましておめでとうございます。
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2007年が皆様にとって良い年でありますように。
Hora fugit
07.01.01