鮮やかに、咲き誇る思い出
死覇装の袖に手を通しながら、紅はふとそれを止めた。
帯も締めぬ中途半端な状態だったが、そんな事は気にならない。
紅の眼前に用意されているのは、和の雰囲気溢れる空間の中では異色の姿見だ。
丁度全身が映るようにと調整したそれの中に立つ自身。
一年前はTシャツやらジーンズやらと言った、あの頃で言えばごく一般的な服装ばかりだった。
それなのに、この一年で自分は着物に慣れすぎたと思う。
作業の手を再開させ、帯を締めて最後に羽織を羽織る。
確認するようにその場で右を向いたり左を向いたりしながら、彼女は苦笑した。
「あの時は、まだまだ不慣れだったのに…」
今となっては、いい思い出だけれど。
態々この日のために教室に通った自分に、漏れるのは苦笑に似たそれだけだ。
田舎の祖父祖母から着物が贈られて来たからだとか。
それが言葉も失ってしまうほどに綺麗だったからとか。
そう言うのは、多分関係ない。
ただそこは…着飾った自分を見せたいという、半ば自己満足の世界だった。
何度も何度も練習して、自分なりに…だけではなくて、人から見ても綺麗に見えるような着付けも出来るようになった。
随分と時間をかけてしまったけれど、そう言う労力は惜しくない、と思う。
片手で足りないほど繰り返した肯定を経て、鏡の中の自分は普段とは似ても似つかない姿を露にした。
流石に髪を整える事は自分では難しく、近所の美容院に世話になったけれど。
「変じゃない…よね?」
くるくると鏡の中で何度も回る自分に、思わず苦笑が零れる。
慣れない薄化粧も徐々に馴染んできた。
中学生の自分が着付けたにしては上出来だろう。
背伸びしていると言う事は分かっているけれど…折角の着物を箪笥の肥やしにする必要がどこにある。
まるで独楽のように回っていると、玄関からチャイムが聞こえた。
思わず肩を震わせて玄関へと通じる廊下を見つめてしまう。
しかし、ハッと我に返ると少し足早に和室を後にした。
「行って来ます!」
そう声を残して家を出る。
慣れない草履を玄関のタイルの上で滑らせそうになったりと、冷や汗をかきそうな場面もあった。
それでも何とかチャイムから3分以内に彼の前に姿を見せる。
目が零れ落ちそうなほどに驚いた彼の表情は、きっと一年後でも覚えているだろうなと思った。
「お待たせ、一護」
先ほどまでの焦りや慌てようなど微塵も見せず、お淑やかに彼の元まで歩いてみる。
こんな時くらいは完璧な姿を見てもらいたいと言うのは、彼女なりの意地でもあった。
「紅、お前…」
「田舎から送ってくれたの。どう…かな?」
耳付近の後れ毛を指で耳にかけつつ、問いかける。
着飾った自分を見て欲しいと思っていた筈なのに、いざその時になると照れが前面に出てくる。
所在なさそうに自身の指を絡めて遊ばせれば、一護は口元を押さえたままふいっと横を向いてしまった。
一瞬、似合わないのかとも思う。
けれど、その長い付き合いから彼の行動が照れ故のものであるという事は、即座に理解できた。
言葉が無くとも、その仕草だけで十分だ。
「ほら、行こう?早く行かないと、夕方までに帰って来れないよ」
家の前で立ち止まったままだった事を思い出すと、紅はぐいっと彼の腕を引いて歩き出す。
それにつられて一護が一歩踏み出し、二歩三歩と進み始めたところでその腕を離した。
手が離れても、ふたりの距離は変わらない。
「夏梨と遊子はどうしてるの?」
「例年通り、朝方まで騒いでたからな…。出てくる時にはまだ寝てた」
「ふふ…あの子達らしいね。初詣に皆で行ったりはしないんだ?」
「その内行くんじゃねぇか」
何か言葉を向ければ、それに対する返事は返ってくる。
しかし、彼の方から会話が向けられる事は無かった。
一方通行ではないだけマシだろう。
そう思いながら、紅は彼の心中を思って密かに笑う。
どうやら、まだ照れているらしい。
一向に向けられる事のない視線に、それを悟る。
らしいと言えばらしいけれど、折角一ヶ月頑張ったその成果を見て欲しいと思うのは、わがままだろうか。
ほんの少しだけ寂しさを感じつつも、紅はそれを口に出したりはしない。
口に出せば困るのは彼だし、思ってもいないことを言われても嬉しくはない。
彼はそう言う人なのだと言い聞かせるように目を伏せた。
神社は、初詣の人で賑わっていた。
「大丈夫か?」
「はぇ?」
この時になって、彼は初めて自分から声を掛けてくる。
思わず間の抜けた返事を返してしまった紅に、一護は口角を持ち上げた。
「なんて声出してんだよ」
「うるさいな…っ」
今度は彼女がふいっと顔を逸らす番だった。
堪えたような笑い声が耳に届くと、彼女は恨めしそうに彼を睨んだ。
綺麗に化粧した顔で睨まれても、恐くも何とも無いのだが。
「で、何が大丈夫なの?」
「だから…人多いけど、大丈夫なのかって事だ」
それくらい分かれよ、と肩を竦める彼に、紅は更に首を傾げた。
人酔いする性質ではないのだから、問題はない筈だ。
それを口にすれば、再び向けられるどこか呆れたような視線。
「歩き慣れないんだろ?」
「…気付いてたの?」
「いつもに輪をかけて足が遅かったからな」
からかうような笑みを浮かべてそう言ってくるが、その表情は違う。
どちらかと言えば優しいそれに、紅は自然と笑みを浮かべた。
「折角ここまで来たのに、背中を向けて帰るなんて嫌よ」
「なら、大丈夫だな?」
「うん。大丈夫。そんなに柔じゃな―――」
柔である事を否定する言葉。
その途中に、紅は背後から肩を掠めるようにぶつかられた。
例えば彼女の服装が制服だったならば、足を前に踏み出して身体が傾くのを防げばいい。
しかし、思い出して欲しい――彼女の服装を。
「…どこが大丈夫なんだ?」
「今のは不意打ちだからよ」
言いながら、説得力が無いと言う事は分かっていた。
身体の傾きは、横から差し出された彼の腕によって支えられている。
図らずも密着するような姿勢になってしまったことに頬を染めつつ、紅はそんな天邪鬼な答えを返していた。
彼の腕を離れて一人で立ち上がると、ちゃんとお礼は言っておく。
「ぶつかられんのはいつも不意打ちだろ。まったく…」
「でも、次は大丈夫」
「当てになるかよ。…ほら」
ぶっきら棒に差し出されたのは、先ほど離したばかりの彼の手だ。
掌で空を仰ぐように差し出されたそれを見つめ、紅はクスリと笑った。
長い袖の分だけ、少し重くなっている右手をその上に乗せる。
「ありがと」
「どーいたしまして、か?」
得意げに笑い歩き出す彼に続く。
こうして手を繋ぐのは、小学校以来かもしれない。
こんな状況に騒ぎ出しそうな心臓は、不思議なほどに穏やかだった。
まるで祭りのように屋台が並ぶ中を歩き、今の時間は午後3時。
賑わいに心を躍らされた所為か気分は上々。
足取り軽く帰路を進む紅と、何かを考えているように沈黙する一護。
酷く対照的な二人は、それでいて隣り合うのが当然のようにも見えた。
「紅」
「ん?」
子供のように強請った末、溜め息交じりの一護に買ってもらった綿菓子を片手に彼の方を向く。
一護から見ると、紅は何かを髣髴とさせる白くふっくらとした髭を纏っているように見えた。
一週間と少し前辺りに世間を賑わせる、赤い服でトナカイの引くそりに乗ってくる彼だ。
「その着物…」
「うん?」
「自分で着付けたのか?」
「うん。言ってなかったっけ?」
口元から白いそれを離して首を傾げる彼女に、一護は頷く。
田舎からの贈物だという事は聞いたが、自分で着付けたとは聞いていない。
にも関わらずに、何故彼女が自分で着付けたと思ったのか。
それは、幼馴染の勘としか言いようが無かった。
「着付け、出来たのか?」
「まさか。教室に通って教えてもらいました!」
中々上手いでしょ?と綿菓子を持たない方の手は袖を握り、くるりとその場で回ってみせる。
半日も履いていれば、この程度の動きならば問題ない程度に草履も慣れた。
一護の答えを待つ彼女に、彼は「あぁ」と答えた。
そして、ピタリとその足を止めてしまう。
隣を歩いていた紅は、二歩ほど彼よりも前に出てから同じくそれを止めた。
「一護?」
「あー…。その、だからよ…」
躊躇い、躊躇い…首の後ろを掻き、躊躇う。
そんな事を繰り返していた彼だが、漸く決心したのかそれを口にした。
「…似合ってる」
「…一護にしては、気の利いたセリフだね」
「な…!お前なぁ…」
「冗談だよ」
そう言って紅は悪戯に笑って歩き出した。
背後からゆっくりと追ってくる彼の足音を聞きつつ、前を向いたままだった身体を前触れも無く反転させる。
「でも、誰に褒められるより嬉しいよ。ありがと」
彼が笑って、自分も笑って。
また一年、こうして過ごす事ができたら―――午後の冬空の下、そんな事を考えていた。
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Hora fugit 雪耶 紅
07.01.01