次へ、次へと続く
「紅、起きろよ」
小さく声をかけられ、眠りの世界から呼び戻される。
ぬるま湯のような微睡の時間を抜け、薄く目を開いた。
室内はまだ薄暗く、完全に夜が明ける時間ではないと知る。
「…政宗様…?」
何かあったのだろうか―――
徐々に覚醒し始めた頭で、考える。
そんな彼女の思考に気付いたのか、政宗は小さく笑い、その頬を撫でた。
「出かけるぞ」
「…今から、ですか?」
「後に回したら出かけられないだろ」
天下が統一されたところで、そこここに転がっていた問題が即解決するわけではない。
そういった諸々の対応もあり、最近は忙しい日々を送っていた。
今日も今日とて、同じように右へ左へ、東へ西へと走り回る予定がある。
「…執務がありますよ」
控えめな声は、政宗を説得しようと言う意思を感じさせない。
一度言い出した彼が素直に引き下がるとは思えないからだ。
「そんな事言ってたら、いつまでも休めねぇだろ」
「それはそう、ですけれど…」
「どうしてもって言うなら残ってもいいぜ?」
悪戯に笑う彼を見ていると、この人が天下の覇者だとは感じない。
今の彼は、奥州筆頭の伊達政宗だ。
「…お供します。お一人で抜け出すと、いつまでも戻ってきていただけませんし」
「…素直に行きたいって言った方が可愛いぜ?」
「………行きたい、です」
「おう、行くか!」
ガシガシと髪を撫でられ、寝乱れた髪がより一層酷くなる。
もう、と咎めるようにその手を掴むと、逆に掴まれて引き寄せられてしまった。
油断していた身体が素直に政宗の胸元へと抱き込まれる。
一瞬―――掠めるように、口付けられた。
「用意しろよ」
そう言って、名残を惜しむように頬を撫でた手が離れ、彼は部屋を出て行った。
その気配を見送り、はぁ、と息を吐く。
「まったく…あの人は」
不意打ちの触れ合いは、心臓に悪い。
頬の熱を冷ますように、パタパタと手で扇いだ。
誰にも見つかるわけにいかないから、馬は使わなかった。
最近は使用頻度がゼロだった抜け穴を通り、城を抜け出す。
氷景は確実に気付いているだろうけれど、追ってくる気配はない。
紅の心情を汲み取り、黙認を選んでくれたようだ。
「まだ町も眠っていますね」
「そのうち起きだすだろ」
「どこに行くんですか?足がないので遠出はできませんよね」
「さぁな…とりあえず、適当に歩くか」
沈黙する町中を抜け、歩いていく二人。
徐々に動き出している気配も感じるから、町の目覚めはすぐそこだろう。
「馬屋で借りてもいいんだがな…」
「…やめてあげてください。馬で遠出したら、探し回る小十郎さんが不憫です…」
「あんまり硬い事言うなよ。お前も、最近は忙しかっただろ」
「ええ、まぁ…暁斗が可哀想でしたね。構ってあげられなくて」
伊達の中でも重要な位置にいる紅もまた忙しく、暁斗の世話は氷景や小十郎に任せていた。
彼らも紅や政宗についている事が多いけれど、二人が城で大人しくしていれば暁斗を構う暇くらいはある。
「なら…あいつも連れて来ればよかったな」
「………」
「どうした?」
黙り込む紅に気付き、問いかけると彼女は曖昧な笑みを返した。
そして、誰もいないとわかっているのに、声を潜めて政宗の耳に口を寄せる。
「実は、暁斗もあの抜け穴に気付いたみたいです」
「…そうなのか?」
「氷景が、抜け出していた事を教えてくれたので」
どこからと言うのは聞いていないけれど、先ほど抜け穴を通った時に気付いた。
自分たち以外の誰かが使った形跡が残っていたのだ。
「そうか…」
「子どもは自分で成長するものなんですね…」
こうして、教えられずとも視野を広げていき、色々な事を見て聞いて、体験していくのだろう。
「…怒りますか?」
「…この状況でそれを聞くのか?」
笑いを含めた返事に、いいえ、と首を振った。
自分たちも城を抜け出しているのに、どうして暁斗だけを怒る事が出来ようか。
そうして、自ら動いて色々なものを見て育ってほしい。
与えられる環境だけでなく、自ら開拓していくその好奇心は、素直に評価できた。
「しかし、そうなってくると…本格的に剣を覚えさせる必要があるな」
「ええ。とりあえず、と言う腕では心配ですから。誰かをつけましょうか?」
「いや…俺が教える」
そう言った政宗の目が、少年のような輝きを帯びる。
紅は嬉しそうに彼の横顔を見つめ、頷いた。
「では、そのように時間を調整しましょう」
「ああ。任せていいか?」
「もちろん」
既に脳内では、彼への執務の割り振りを考えている。
何を誰に任せれば時間を作る事が出来るか―――
口を閉ざし、黙り込む彼女。
その脳内はめまぐるしく動き、これからの予定を立てているのだろう。
そんな彼女に口角を持ち上げた政宗は、無言で彼女の手を拾い上げた。
それに気付き、彼女の意識が政宗の元へと戻る。
「今はいい」
「え?」
「今は考えるなよ。今のお前は、母親でも奥州筆頭の妻でもない。…だろう、“紅”?」
名前が、特別な音を帯びていた。
紅はぱちぱちと瞬きをして、それから納得したように表情を緩める。
「そうですね。考えるのは帰ってからにして…今は、この時間を楽しみます」
紅は手を繋がれたまま、更に一歩、彼へと近付く。
肩が触れるその位置は、決して歩きやすい距離ではないけれど、心を共有するには最適な距離だった。
「もうすぐ日の出ですね」
「ああ。向こうに絶景が見られる場所があるぜ。行くか?」
「はい!」
山の端が、徐々に明るくなってきている。
間に合わせるために少しだけ歩調を速め、町を抜ける二人。
寄り添う一つの影が、薄く地面へと伸びる。
「暁斗」
「はい、父さん」
「剣を教えてやる。しっかりついて来いよ」
「…はい!」
「…筆頭が教えるのか」
「ええ。とても楽しみにしているみたい。ふふ…子どもが二人いるみたいな表情よね」
「嬉しそうだな、姫さん。筆頭の時間を空けようと思うと、姫さんが苦労するってわかりきってんのに」
「あの顔が見られるなら、何だってするわよ。それに…政宗様は一人で背負い過ぎなのよ」
「…だな」
Thank you 4,000,000 hit!!
12.01.22