移り変わるこころ

ほぅ、と吐き出した息は、白い。
冬なんだなぁと、隣を歩く翼には聞かせられないような、今更すぎる感想が脳裏を過る。

「何を買うの?」
「とりあえず、色々。冷蔵庫空っぽだったから」

いつも使っているグラウンドの大規模な整備が決まったのはひと月前の事。
半月はかかると言うそれに、チームメイト一同が不満を零すのも当然だろう。
各自に分厚いノルマが手渡され、基礎練習に励むようにと解散した数日前。
隣町のグラウンドを借りる手続きも済ませているので、好きに使って構わないらしい。
ノルマ付きの休暇になった翼に合せるように、紅も休みを取った。
この時期は暇になるから、どうせならたっぷり使いなさいと言ってくれる、スレンダーなのに太っ腹な上司。
土日を利用して一週間丸々休みにした二人は、久し振りに日本に帰国していた。
慣れたはずのスーパーは、棚の並びを変えたらしく、必要な商品がすぐに探せない。
軽いアウェー気分を味わいつつ、カートを押していく。

「夕飯、何が良い?」
「…鍋。寒い」
「いいね。鶏肉が安いから、これにしよう」

店長一押しのシールが貼られたパックを持ち上げ、籠に入れる。
安いから、と言いつつも、最近はあちらの通貨に慣れていたので、何だか感覚が曖昧だ。
とりあえず、セール品やら一押しと言ったポップを頼りにして買い物を進める。

「どうしよう…円の感覚が変」
「ああ、俺も。安いのか高いのか…」
「ていうか、野菜が高い。市場で買うと安いのに…」
「仕方ないって。住宅街に八百屋はないんだから。商店街は遠いし」

共働きで、子どももいないから、金銭的に困っているわけではない。
だが、慣れない海外生活で何が起こるかわからないからと、節約意識を持って過ごしてきた。
その感覚が普通になり始めていただけに、品物の高さに溜め息が零れる。

「学生の頃にはなかった感覚だわ」
「だろうね。会話が所帯染みてるよ」
「…ほんとに」

まだ若いはずなのに、と呟く紅が面白くて、気付かれないように笑った。












二人で並んで歩く、スーパーからの帰り道。
まだ日は高く、上から照らす太陽がまぶしい。

「帰ったら、お布団頼んでもいい?」
「うん。あんまり長時間は干せそうにないけど」
「いいよ。とりあえず、少しでもお日様に当てられたら。結構放置してるから」

日本に滞在する間、二人は雪耶家で過ごす事になっている。
玲も暁斗に着いて行っているし、紅の両親は相変わらず海外生活だ。
実質、数週間は空き家になっている。

「家の換気が終わったら、挨拶に行こうか。お土産もあるし」
「そうだね。早く顔を見せないと乗り込んできそうだし」

翼の返事に、紅がくすくすと笑った。

―――帰ってきてるのに何で顔を見せに来ないの!

そう怒る翼の母の顔が、想像できてしまった。

「…父さんも二言目には孫はまだか、だしね」
「大事にされてて嬉しいけど?」
「そう言うもん?」
「嫁姑関係で悩む家は結構多いんだよ。それを思えば…ね」
「まぁね。そもそも、母さんは姑だと自分の事を思ってないよ。昔から、紅の事は娘扱いだし」

それこそ生まれた時から一緒だったお蔭で、本当に大切にしてもらっている。
紅自身、実の母よりも過ごした時間の長い彼女を、第二の母だと思っていた。
相手からもそう思ってもらえる事は、何よりも嬉しい。

「下手すると…紅と喧嘩したら、俺がアウェーになりそうだよね」
「…あはは!確かに!」

追い出されるのは翼かもしれない。
自分を庇ってくれる二人が脳裏に浮かんで、自然と笑い声が零れた。

「そう言う時は、うちの親の所に逃げるといいよ。あっちは翼贔屓だから」

母は、「翼くんに無理を言っちゃ駄目よ」が口癖だ。
娘の紅を信頼していないわけではないけれど、性格を理解している分、翼側に立つ事も多い。
ある意味では、上手くバランスが取れているのだろう。

「…兄さんの所は駄目だけど」
「ああ、うん。あそこは玲がいるから無理。玲は完全に紅寄りだから」

思い出して肩を竦める彼に、そんな事はないけど、と心の中で反論する。
翼に寄らないのは、玲なりの信頼だ。
もちろん、それは紅にも言える事だが。

「久しぶりに会いたい?」
「え?あー…三日前に会ったから、大丈夫」
「………初耳なんだけど」
「職場近くでランチを一緒に食べたの」

美味しかったよ、なんてどうでもいい答えが返ってきた。
紅が玲に懐いているのは今に始まった事ではない。
けれど、こんなにも嬉しそうな顔をされると…複雑な気分になるのも、無理はないのかもしれない。

「翼?眉間に皺」

ぐり、と指先で眉間を押さえると、顔を背けて指を逃れた。
両手が買い物袋でふさがっている彼は、そうする以外に紅の指を防ぐ手段がない。

「前、向いてないと転ぶよ」
「…流石にこの歳でそれはないわ」
「その歳でこけると、恥ずかしくて外を出歩けなくなるよね」
「そうね。大人になってからこけると、翌日筋肉痛になるんだって」
「…誰の情報?」
「悠希」
「………それ、本人が運動不足だっただけじゃない?デスクワークだし」
「そうかも」

他愛ない話が弾むのも、気兼ねなく親友の話が出せるのも。
長い付き合いのなせる技なのだと思えば、そんな些細な事も大きな意味を持つ。

「ここの子、中学生になったんだね」
「ああ、自転車?」

真新しい自転車には、後ろの泥除けに学校名と登録番号が印字されたシールが貼ってあった。

「もう中学生なのか…子どもが大きくなるのって、あっと言う間だね」
「…何か、そのセリフ若くないよ」
「…うん、私もそう思った」

二人で視線を合わせ、笑い合う。

「次に帰ってくる時は、母さんたちを喜ばせられるといいね」
「…うん」

そうだね、と頷いて、空いている手を翼の腕に絡める。
買い物袋が少し嵩張っていたけれど、邪魔だとは感じなかった。

「…ちょっと、楽しみかも」
「そう?まぁ、俺もそうだし…いいんじゃない?」

まだ早い、と思っていた感情が、いつの間にかそう変化していたらしい。
これがタイミングって奴なのかな…紅は、そんな事を考えながら、近付いてくる家に目を向けた。
懐かしい我が家は、もうすぐそこだ。

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12.01.14