日常の在り方

外気の寒さに目を覚ます。
傍らにある熱では補えない、冬独特の寒さが布団から出ている肌を刺した。
もう朝か、とカーテン越しの朝日を確認したところで、隣の存在に気付く。

「…珍しいな」

結婚してからは、彼女はいつも蔵馬よりも早く起きていた。
毎日がそうと言うわけではないけれど、遅く起きるのは年に数回だけ。
たまにはゆっくり休んでいいよと言っても、彼女は笑って首を振った。

「…無理をさせたかな」

紅との付き合いは既に数百年の物になっている。
だからと言って、彼女に対する愛情が薄れる事はなかった。
日々成長する心の行く先に果てはなく、この一瞬すらも愛おしい。

「…蔵馬…?」

視線を感じたのか、眠っていた紅の瞼が揺れた。
掠れた声が蔵馬を呼び、寝起きの眼がそっと開かれる。

「おはよう」
「…おはよう。何時?」
「もうすぐ6時。今日は土曜日だし、まだ起きなくていいよ」

身体を起こそうとした彼女を、少しだけ強引に布団の中に引き戻す。
既に目を覚ましたらしい紅は、驚いたように蔵馬を見た。
それから、もう、と困ったように笑う。

「休みだからって寝坊するの?」
「たまには昼まで寝て過ごすのも良いと思うよ」
「色々とやりたい事があるんだけど。朱音にお菓子作りを教える約束だし、暁斗も帰ってくる―――」

そうして、今日の予定を並べる紅の唇を塞いでしまう。
戯れのような口付けが終わると、紅は諦めたように息を吐いた。

「あと1時間だけよ」

了解、と額に口付け、紅の身体を抱き寄せる。
寒さは、いつの間にか感じなくなっていた。
ぬくもりに誘われるままに、静かに瞼を伏せる。











両親の仲が良いのはいつもの事なので、起きてくる時間が多少遅かろうが、朱音は気にしない。
朝食をトースト1枚で済ませてしまい、ダイニングの棚にある料理本をリビングへと運んだ。
何を作ろうかな、といくつかのお菓子に目星をつけたところで、紅が起きてくる。

「おはよう、朱音」
「おはよ」
「朝ご飯は?」
「パンを食べたよ」

それ、と朱音が食パンを指す。

「おかずを作るけど、食べるでしょう?」
「うん!ね、兄さんってどんなお菓子が好き?」

キッチンに入った紅を振り向き、ソファーの背もたれを掴む彼女。
その目が生き生きとしているのを見て、紅は「そうね」と考えた。

「何でも喜ぶと思うけれど…カスタードクリームが好きだったわね」
「じゃあ、シュークリームにしようかな…。できると思う?」
「いいと思うわよ?何が要るのかメモしておいてね」

カウンター越しの母娘の会話は、実にほのぼのとしている。
リビングに入るなりそれを見た蔵馬は、自然と表情を緩めた。

「あ、おはよ。父さん」
「おはよう。買い物なら、久し振りに隣町まで車を出そうか?」
「行きたい!あそこ、美味しいクレープ屋さんが出来たんだって!」

そこに目を輝かせるあたりは、やはり女の子だな、と思う。
そんな事を考えながら紅を見ると、どうやら彼女も同じ考えだったようだ。
蔵馬はリビングを横切り、キッチンに向かう。

「調味料とかも買おうか。在庫は?」
「そうね。そろそろなくなりそうだから、お願いしてもいい?」
「もちろん。お昼は外で食べてこようか。…朱音が良ければ」

蔵馬はそう言うと、ちらりとリビングに視線を向けた。
ソファーのところでせっせとメモを書いているらしい彼女には、聞こえなかったようだ。

「大丈夫よ。暁斗が帰るのは夜だって聞いているから、十分時間はあるし」
「そっか。今夜はご馳走だね」
「ええ、そのつもり。あの子が帰ってくるのは何か月ぶりかしら」
「半年…それ以上かな」
「今回は随分長く頑張ったわね。………ちょっと、包丁を持っているのに、危ないわよ」

のんびりと会話を楽しんでいたと思ったら、いつの間にか背中から抱きしめられていた。
肩に乗る蔵馬の顎。
頬を掠める吐息と彼の髪がくすぐったい。

「大丈夫。紅に限って失敗はないから」
「…あなたね…」

呆れたように溜め息を吐き、紅はそれ以上何も言わなかった。
言っても無駄と言う事は長い付き合いでよくわかっている。
それに―――少し寒いキッチンで、背中から伝わる彼の熱は、心地良かった。

「あの二人っていつまで万年新婚夫婦なんだと思う?」
「おそらく、ずっと…でしょうね」

いつの間にかそこにいた悠希に問いかけると、そんな答えが返ってきた。
考えるだけ無駄とでも言いたげな返事に、尤もだ、と頷く。
初めの頃は何だか照れくさくて、恥ずかしくて…そう思っていたはずなのに、いつからか気にならなくなっていた。
これが、慣れ、と言う奴なのだろう。

「…兄さん、早く帰ってこないかな…」
「妹か弟ができれば、話し相手が出来て良いですね」
「…それなら、妹が良いかな。弟とはこういう話は出来そうにないし。悠希がいてくれてよかったよ」

悠希を膝の上に抱き、朱音はそう言って笑う。

「光栄です」
「それにしても…悠希、よく付き合ってられるね」
「慣れ、ですよ。それに、佐倉様は私の唯一ですから」
「…そうだったね」
「でも、朱音様にとってもそうでしょう?」

嫌いではありませんよね、と告げられ、当然と頷く。
両親の事は大好きだから、嘘だってそんな事は言えない。

「朱音様も、朱音様の唯一の人と出会えば…きっと、わかりますよ」
「そうだなぁ…まずは、私の中で兄さん以上になってもらわないと駄目だけど」

にっこりと笑えば、そうですね、と同意の声が返って来た。

「朱音。出来たからテーブルの準備をしてくれる?」
「はーい!」

紅の声に振り向いて返事をし、悠希を膝から降ろす。
料理本が何冊か載ったままのテーブルを片付けながら、ちらりとキッチンを見た。
何かを話しているらしい二人は、顔を見合わせて笑い合っている。
そんな仲睦まじい様子は、見ている者を幸せにする空気を纏っていた。

「…うん。あんな風になれたらいいな」

そう呟いて、持ち上げた本をトン、とテーブルで整えた。

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11.12.22