望んでいた場所
「翼。これどうかな?」
ベッドにごろんとうつ伏せに寝転がって、紅が翼を呼ぶ。
今まさに風呂から上がったばかりの翼は、ペットボトルを片手に紅の元へと歩いてきた。
彼女を跨ぐように腕をついて、どれ?と雑誌を覗く。
「悪くないと思うけど、この間本棚を白にしてなかった?それだと合わないよ」
「そっかー…値段が手頃なんだけどな…」
「急ぐ必要はないし、もうちょっとゆっくり考えたら?」
そう言って頭を撫でられた紅は、心地良さそうに目を細めた。
そうする、と雑誌を閉じると、そのままごろりと身体を反転させる紅。
身体半分の距離だけ開いた隙間を埋めるように、膝立ちの姿勢から腰を下ろす翼。
濡れた髪をタオルドライし始める彼の膝を見つめていた彼女は、ふと思いついたように上半身を上げる。
そして、そのまま空いた膝の上にことんと頭を乗せた。
「どうしたの?」
「別に」
ちょっとやってみただけ。
そう答えた彼女は、どこかを見てクスクスと笑っている。
不思議に思った翼がその視線の先を辿り、あぁ、と納得した。
視線の先には彼女の左手がある。
もちろん、ただ左手をぼんやりと見つめているわけではなく、そこに光る指輪を見ているのだ。
「四六時中見てるね」
「うん」
最早、否定どころか照れることすらない。
惜しげもなく笑顔を浮かべてそれを見つめる紅に、少し照れくささが残る自分が馬鹿らしく思えてきた。
「翼、明日は早いんだっけ?」
「明日の練習は午後から。午前中は出掛けるよ」
「どこに?」
翼の膝を借りたまま彼を見上げるように動く。
すると、質問の答えの代わりにきゅっと鼻先を抓まれた。
にこっと笑顔を浮かべる彼に、どうやら質問がお気に召さなかったらしいと気付く。
「三日前に休みを聞いてきたの、誰だっけ?」
「…私ですね」
今思い出しました、と呟けば、ピンと額を弾かれる。
「どこに?って言うのはこっちのセリフなんだけどね」
「…私、出掛けたいって言った?」
首を傾げる紅に、何だか会話が成り立っていないような感覚を覚える翼。
次の休みはいつ?と尋ねられる時は、決まって大きな買い物をしたい時だった。
今回もそうなのだろうと思っていたのだが…違うのだろうか。
そんな疑問をぶつければ、彼女はクスクスと笑った。
「外れ。翼が疲れてるみたいだったから、次の休みがいつなのかを聞いておこうと思って」
そう答えた紅は、続けて「疲れてるのに出かけてくれるつもりだった?」と問いかける。
その表情は楽しげで、先読みした自分が負けたように思えてくる。
「…疲れてるの、知ってたんだ」
「当たり前!何年の付き合いだと思ってるの?」
得意げに微笑む彼女とは、既に年齢と同じ年月の付き合いになる。
もちろん、ずっと離れずに一緒だったわけではない。
小学校から中学校へとあがる、一部の時期は、彼との付き合いが希薄になっていたこともある。
違う中学へと進学し、いよいよ家が隣なだけの元幼馴染と言う関係になるんだと覚悟した。
いつだったか…幼い頃に夢見た、彼との繋がりが消えることに、子供ながら傷ついた覚えもある。
けれど、彼はまた紅の前に現れた。
あの頃は紅とて思春期真っ只中で、再会した幼馴染との関係が変わることを期待しなかったといえば嘘になる。
それでも、やはり関係を変えてしまうことへの不安は、そう簡単に拭えるものではない。
二人に必要だったのは、互いの勇気と…きっかけだったのだろうと思う。
「明日はゆっくり休むんでしょ?」
真上にある翼の顔を覗き込めば、額に口付けられる。
「数ヶ月ぶりに二人で朝寝坊でもしてみる?」
「いいね、それ。でも…午前中寝倒して、午後の練習に遅れたりしない?」
「あー…」
間延びした声を発して、続きを紡がない翼。
自分の体調や状況を考えて、それを否定できないと思っているのだろう。
少しだけ悩むように天井を見上げた彼は、やがてチェストの上の携帯をベッドの上に引っ張った。
「翼?」
そう声を上げた紅の唇が、彼の手に覆われた。
彼はもう一方の手で携帯を操作し、そしてどこかへと電話をかける。
黙っていろ、と言うことなのだろう。
紅は無理に彼の手を解こうとはせず、そのまま通話が終わるのを待つ。
唇を塞いでいた手は、いつの間にか紅の頭を撫でるように優しく動いていた。
失礼します、と括った彼が携帯を放り出す。
「明日、休みになった」
「大丈夫なの?」
「ん。監督からも、少しは休めって言われてたし…笑ってたよ」
「翼は真面目だからね。でも良かった」
一日のんびり出来るね。
そう言って、まるで自分のことのように喜ぶ紅。
いつまで経っても変わらない彼女に、翼も笑顔を浮かべた。
何をするでもなく、二人でころころとシーツの上を転がる。
デジャヴを感じたのは、遠い昔…子供の頃にも、よくこうして二人で布団の上を転がったからだろう。
「懐かしいね」
ふと、紅がそう呟く。
クスクスと控えめな笑い声を上げる紅に、翼がそうだね、と答えた。
そんな彼の返事に、彼女はぱちっと目を開く。
「意味…わかってるの?」
「子供の頃の話でしょ」
「当たりだけど…凄いね」
驚きのままにそう紡げば、彼は得意げに口角を持ち上げる。
「何年の付き合いだと思ってるわけ?」
聞き覚えのある言葉に、二人で目を合わせて笑う。
一頻り笑って、ふと音が途切れる。
どちらともなく指先を絡めれば、翼がその手を引いた。
「これ、そんなに嬉しかった?」
指を絡めたまま紅の左手の指輪を見つめる。
同じようにそれに視線を向けた彼女は、柔らかく微笑んで頷いた。
「ずっと…長い間、欲しかったの」
「指輪が?」
「んーん」
否定するように少し間延びした声を返す。
そして、彼女はここ、とベッドを叩く。
「翼に一番近いところ」
「…遠回りしたね」
「寄り道でしょ?」
ほんの少しの違いだが、大きく違うと思う。
「…明日」
「ん?」
「昼には起きるよ」
「ん。わかった」
「で、起きたら出掛けよう」
苦しくない程度に、でも隙間無く抱き締められる。
ぬくもりに安心させられ、自然と瞼が重くなってきた。
「…どこに行くの?」
「指輪。見に行かないと準備が進まないんでしょ?」
そう言うと、それ以上の答えはいらないとばかりに、優しく髪を撫でられる。
瞼が閉じ、視界が闇に包まれても不安など無い。
おやすみ、と言う声を最後に、意識は夢の中へと沈んだ。
Thank you 3,000,000 hit!!
09.02.19